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続15年越しに豊崎愛生さんと生電話をさせて頂いた話

トゥインクルクスのCD購入者キャンペーンの豊崎賞「トゥインクルクス」豊崎生電話に当選し、豊崎愛生さんとお電話をさせて頂きました。


7/3 スタッフさんからの確認のお電話

水曜日の夕方に、非通知から電話が掛かってくる。

最近、海外からの非通知通話が増えていて、俺の携帯にも週に2本くらいワン切りで着信が入っていたのだけど、今回はコール長めだったのでドキドキしながら出てみる。

電話の主はミュージックレインのスタッフさん(ものすごく丁寧)で、キャンペーンの当選候補者への確認の電話とのことだった。

今回、募集の際に記載していた「豊崎愛生さんと話したいこと」について具体的な内容(俺は「最近頑張っている『夢』についてのお話を聴いて欲しいです!」と書いた)を聞かれて、小説の新人賞に向けて応募をしていて、そのことについて聴いてもらえたら……という内容を話したら「それは是非お話して下さい」と言って頂けて、ひとりよがりな内容ではあったので、とてもありがたかった。

その後は「いつからファンですか?」「きっかけは何ですか?」「豊崎さんのライブには参加してますか?」「高垣さんやスフィアののライブはどうですか?」と結構いろいろなことを聞いていただく。

アンケートも兼ねているのかもしれない。

俺も、日頃よりミュージックレインさんにはお世話になりっぱなしなので「長くファンで頂いて、ありがとうございます」「いえいえ。こちらこそ長く好きでいさせて頂いてありがとうございます……」「いえいえ!そんなそんな……」と、スタッフさんと謙遜合戦が繰り広げられることになった。

この時点で、まだ当選は確定ではなく「当選の場合は今回のようにスタッフではなく、豊崎から直接電話がいくので、そのままお話して下さい」と告げられて確認の電話が終わる。

気が動転していたため「7/6(土)19:00以降に連絡、豊崎から電話」と、めちゃくちゃ苗字で呼び捨てにしてしまった……。

ちょっと自分だけで抱えきれない問題だと思い、豊崎愛生さんのソロのライブをずっと共にしてきた高校時代の友人に電話をかけて気持ちを落ち着かせる。

そういえば、何分くらい電話できるのか聴くの忘れていた……と思い、みやっちさんが生電話に当選された時に日記を残してくれていたことを思い出す。

長らく直接連絡はとっていなかったのだけど、みやっちさんの日記を読んだことで心の整理ができたこともあり、3年ぶりくらいにLINEで生電話の件を報告した。

こちらだけ感情が昂っている急な怖い長文LINEにも関わらず、とても丁寧に返事を下さり、みやっちさんに対してはいつまでも弟の気分でいてしまう。

生活する場所が離れて、ライブの現場で会わなくなっても、かつて本気の想いをぶつけあった血の通った関係性だからこそ、ずっと心の中で元気で過ごしていることを祈っていて、みやっちさんも同じように想って下さっていたのがとても嬉しかった。

帰宅してきた彼女にも、生電話が当選したことを伝えて「心細いので隣で手を握っていて欲しい」と死ぬほど情けないことを口走っていた。(土曜日彼女は出勤のため無理)

改めて、豊崎愛生さんと出会った15年でもらった一番大きなものは、この人と人との繋がりの中にあって、それは間違いなく今の俺を構成するほとんど全部だなとも感じる。

7/4~7/6 プレッシャーで体調を崩す

スタッフさんからの確認電話があった日、ほっともっとで買ったのり弁からあげ5個を食べたところ、寝る時も胃がモタれてしまい、何度もお腹が痛くて目を覚ましてしまう。

寝不足も相まって、日中は会社の人に頂いたビックリマンのウエハースも胃が受け付けないほど胃が衰弱してしまい、木曜日は一日何も食べられない状態になってしまった……。

おかえりらじおを聴いてすぐ寝て、金曜日には大分回復したのだけど、木曜日に直前でキャンセルしてしまった中学時代の友人と仕事後に飲みに行き、本日土曜日も1日中腹痛で苦しんでいた……。

自分で応募しておいて、いざ生電話の最終選考まで残ると、嬉しさよりもプレッシャーが前に来てしまうの、ライトノベル新人賞の選考を通過していった時と全く同じだったので、己のどうしようもなさを痛感することになる。

多分、宝くじで6億当たっても「誰かに盗られないか」とか「人間関係が変わってしまうのではないか」とか気にして、喜びよりも謎の不安感に駆られる比重が大きいのだと思う。弱き生き物すぎる。

当日は仕事だったので、生電話の予定時刻までに仕事を残さないよう、胃薬を飲みながら今週は仕事一本に集中することにした。

7/6 いざ生電話

18時頃に仕事を終えて、18時50分頃からスマートフォンの着信を待つ。

結局、この瞬間まで何をどう話そうか、具体的なプランは決まっていなかった。

でも、俺にはその時その時の自分が書いてきた、豊崎愛生さんについての文章15年分残っていて、時間までその文章たちを読み返したりしていた。

前回、おかえりらじおの配信イベントで、豊崎愛生さんと三森すずこさんと生電話させて頂いた時の俺がとてもいいことを書いていた。

2017年7月に行われたおかえりらじおのイベントの後、みやっちさんとお話する機会があって、そこでお話された『手紙』のお話が強く心に残っていた。
みやっちさんは手紙の中で、日常の中で上手くいかないことも、自分の弱い部分も、嘘をつかずに、全部愛生さんに伝えているのだと教えてくれた。
何故なら、それは愛生さんが私たちにしてくれていたことだからなのだと。

その言葉は、自分勝手なプライドに雁字搦めになっていた私には、あまりにも真っ直ぐで眩しい光だった。
いつか、自分もそうなれる日が来るのだろうかと思い続けていた。

11年越しに豊崎愛生さんと生電話をさせて頂いた話

今の俺は、それでいいのかもしれないなと思えた。

その時、その時の俺がいろんな感情に苦しみ悩み、悶えながら、豊崎愛生さんにきっかけをもらった「書くこと」を手離さず、積み重ねた先で、この機会を頂けた。

15年越しに二人で5分もお話できる機会を頂けたのに、緊張からめちゃくちゃ腹を壊してしまう情けない人間ではあるが、今の俺は今の俺なりに、真剣に向き合ったからこそ、今伝えたいことを精一杯伝える以外に方法はない。

だけど、やっぱり愛生さんが活動を続けているうちは、自己満足でも、あの人のことを想って何かを書いていたい。もし会えなくなっても、かつて自分が見ていた小さな夢をたくさん混ぜ込んで「書くこと」だけは辞めないでいたいと思う。
「ありがとう」を伝えられる日は、今も夢のままだけど、いつかちゃんと伝えられる日を夢見て、この先も歩いて行きたいです。

「30」

2016年のケイスケくん「書くこと」を手離さないでくれてありがとうな……。そのおかげで今の俺がいるよ……。お前も連れていくからな。

 正確に言えば、かつて一つだけ目指していた大会があって、それが「ライトノベルの新人賞」だったなと思う。
 でも、今の私の願いがそこにあるかというと、ハッキリと「無い」と言える
 そもそも、エントリーさえできなかった自分を認められなかったことが、これまで豊崎愛生さんと話せなかった理由のほとんど全てだった。
 今は、私の人生や生活を少しずつ肯定できるようになってきて、それを放棄してまで、その夢を目指す情熱は失われているのだということを自覚した。
 それでも、どれだけ荒唐無稽な夢だったとしても、並び立つことを目指して「書くこと」を続けた先に、少しずつ認めらるようになった今の人生がある。
 私は今でも「書くこと」を手離してはいなくて、それが自分の武器になって、仕事になって、かけがえのない友人たちと出会えた。
 夢が叶わなかったとしても、歩いてきた道のりに何の意味も無かったのだとは思わなくて、あの日から続いていく今の人生そのものだった。
 ならば、何者にもなれなかったとしても、私は、豊崎愛生さんにもらった「書くこと」を手放さずに、この先の人生を生きて行こうと思った。
 その決意を、書くための理由とエネルギーそのものだった、スフィアの4人に誓うことで、背中を押してもらおうと思った。
 だから、激励ボイスメッセージには
「ケイスケさん、小説を書くこと頑張って下さい」
 という言葉で応募した。
 さっきも書いた通り、新人賞に応募する気はないので、かつてと目的は違う
 それでも願いは変わらなくて、私は、この先も、私が見てきた景色のことを、私が救われた瞬間のことを『書くこと』で刻み付け続けたいと思った。
 受かったとしても受からなかっとしても、彼女たちに誓いを立てるために応募したかったのだ。

letter writer(豊崎愛生さん34歳のお誕生日に寄せた個人的なブログ)

バーカ!!!!!2020年の俺、バーカ!!!!!!!

何もしてない癖に諦めたみたいにカッコつけてんじゃねえよボケカスが!!!!!!!

まだ始まってもねえわ!!!!!!!!

でも、未練がましく書くのをやめないでくれてありがとう!!!!!!!

かつての自分が書いた文章たちに想いを馳せて、勝手にすっきりした気持ちになっていると19時を迎える。

スケジュール的に、高垣さんと豊崎さんは、リリースイベント3つをこなしたあとの生電話になるので、お疲れだろうに……大丈夫だろうか……あまりご迷惑をおかけしないように気をつけよう……。

19時……こない。

19時10分……こない。

19時20分……こない。

19時30分………………こない。

あれ…………これもしかして落選しましたか?

みやっちさんのブログを再度確認すると、みやっちさんも同じような感じで19時30分頃に電話を受け取ったとのことだったが、19時40分になっても一向に電話が鳴らず、完全に落選したものだと思い始めていた。

友人や彼女、みやっちさんや、昨晩猛烈ラジオを聞いてくれた皆さんに、完全に当たった感じで話して祝福されてきたのに、俺はどんな顔して戻ってくればいいんだ……(完全なる自業自得)

また最終選考で落ちるのか……俺は……そういう人生なのか…………。これは電話ではなく受賞して作品で伝えろという、神(豊崎愛生さん)からの試練……。そうなのですか…………。

ようやく心の神棚から豊崎愛生さんを降ろすことが出来たにも関わらず、もう1回神棚に上げそうになっていた。

めちゃくちゃお腹も痛くなっていたので、20時になったら本当に諦めよう……と思って、20時まで待っても電話が来なかったので仕事用のPCを起動したところ20時04分に着信がくる。

「せ、せっかくだから、少しでも近くでお声を聴こう……」という良くない精神性が出てしまい、Bluetoothイヤホンで電話を取ったのだけど、このイヤホン、通話で使うと高音域の声が途切れる傾向があり、豊崎愛生さんのお声が途切れてしまう瞬間があり、完全に天罰を食らう形となった。

想像するに、事前に聞かれた際に応えた「三森すずこさんがゲストだったおからじの配信イベントで、生電話したことがある」という情報がお手元にあったのだろうけど

「ひょっとして、ダンボールを片付けないと、ゴ〇ブリが中に卵産むよとみもりんに怒られたケイスケさんですか?」

と、愛生さんに聞かれて「はい。あの時以来のお電話となります……」と答える形になってしまった。

たった1回の電話の機会なので、俺側は当然強くそのことを覚えているのだけど、おかえりらじおでも2023年にふとした瞬間に話題に上がっていたりしたので、完全にgkeisukeのgはゴ〇ブリダンボールのgになっている可能性も否定はできなくなってしまった。

ただ、小説のことも(これも手元にあったものだろうが)ラジオでのメールも含めて覚えていて下さっていた。

というか、個人情報をあまり明かさないミステリアスオタクパート1として15年間を過ごしてきたつもりでいたけど、愛生さん側からの発言から、結構とんでもないところまで俺の情報が割れていることが判明した……。嬉しい気持ちと、適当なことを出来なくなる気持ちの両方がある。(本当か?)

今書いている小説についても聞いてもらって

「読める日を楽しみにしてて、いいのかな?」

と言って頂いた。

でも仮にデビューしたとして、こちらから送りつけたりするのもご迷惑かもだしな……という弱気が出てしまい「もし俺だと気付かなくても、豊崎さんに届くくらいの物語を書きます」と、自虐が相まって逆にとんでもない宣言をぶちかましてしまった……。

ペンネームまで聞いて頂いたのだけど、先述の音声的な不調も相まって(言い訳)「猛烈ケイスケです」と言えずに「あ、ラジオネームと同じカタカナのケイスケで……」と答えてしまった(バカタレ!)ので、やはりデビューしたらご迷惑かもしれないがお手紙と共に作品を送らせて頂こう……。

おかえりらじおへのメールでも、スタッフさんへの確認のところでも、なぜか「ライトノベル」と言えずに「小説」とイキってしまっていたので、電話の最後で「すみません。書いてるの正確にはライトノベルなんです。だから、いつかご一緒にお仕事できる日も夢みてます」と、ようやく本心を伝えることができた。

生電話を終えて

イヤホンの問題だけでなく、上手にお話できたか、伝えたいことを伝えられたか、話したいことを話せたかといわれると、全くそんなことはなかったと思う。

もともと俺は話すのが決して得意な人間ではないし、今回のような場であればなおさら。

でも、これで良かったのだとも思う。

コミュニケーションが上手ではないからこそ、じっくり考えて選んだ言葉や熱量を伝えられる「書くこと」を選んだ俺が、その先にある夢を伝えて「楽しみにしてます!」といってもらえた。

ならば、もう俺には届くまでやり遂げる以外の道しかないのだと思う。

今はライトノベルを書くことの理由は豊崎愛生さんだけではなくなって、だからこそ新人賞に応募できて、電話することも出来たのだと思う。

目の前のメモ帳には「男の子なので頑張って泣かない!→仕事で会うならなおさら泣くな!」と書かれていたけど、全く泣くことは無かった。

別にこれがゴールでも何でもないし、俺は結局今も何者でもない。豊崎愛生さんは神様ではなくて尊敬する一人の人間で、俺も同じく一人の人間でしかない。

15年の時が経って、恐らく多くの人にとっては最初からあたりまえだったそんな関係性の中で、ようやく自分自身の本当の言葉を交わせたことが、何か本当に嬉しかったのだ。

これまでいろんなきっかけで仲良くなって、今は違う場所で生活を送っていたり、なかなか会えなくなった友人たちにも、物語なら会えるかもしれない。俺では救えない誰かや何かをキャラクターたちなら寄り添えるかもしれない。

そういうことを信じて、自分の信じていることに嘘はつかないで、友人たちにより広く届けられるプロを目指してみようと思った。

でも、やっぱりその最初のキッカケと、たくさんの繋がりをくれたのは豊崎愛生さんで、一番届けなくてはいけないと思っている一人であることに変わりはないのだとも思った。

勝手に救われてばかりで、もらってばかりの人生だ。

いつか少しでもお返しを出来るように、今回もらった言葉をまた15年も先延ばしにしないように、また次の作品に歩みを進めようと思います。

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