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サッカー姉弟のあれこれ【弟編#1】

前編で次女(中学3年)の高校サッカー進学が確定。悩みの種のうち、1つは片付いた。

もうひとつは長男(小学6年)。
彼の場合は来春中学生なので、純粋に
「どこのU15チームでサッカーをするか」
コレに尽きた。
彼自身が早い段階から自主的にサッカーを中心とする食事・睡眠・勉強を取り入れ、彼なりのサッカーキャリアを描いていたからだ。


地元サッカースポーツ少年団への入団

息子のサッカー人生は、小学1年生の時の地元サッカースポーツ少年団への入団から始まる。
いわゆる「スポ小」である。
クラブチームとは違い、会計から送迎、試合当番まで、運営のほとんどを保護者が担う。
スポ少については指導面や属人的な運営に保護者界隈で賛否両論あるのが常だが。
他のスポ少もさることながら、息子が所属するスポ少のコーチ・監督はボランティアの要素が高く、保護者側も「指導してくれるだけありがたい」と非協力的な保護者はほぼいなかった。
私自身、その監督やコーチの人間性に惹かれ、絶対にこのチームで卒団させようと決意した。

当然、県内の名の通ったクラブチームとは練習環境が違うし、そもそも、運動神経が良くてサッカー上手いぜ!の子たちはそっちへ行く。

ただ、そのスポ少は40年を超える長い歴史があり全国大会出場も数回。実はコーチ陣もサッカー界に顔の広い方達ばかりだった。
試合に行くと、少年サッカー界の関係者からは「〇〇少年団さんは昔から強豪ですからねー」と声を掛けられる。

・・・しかしそれらは過去の話である。

少子化の影響なのか、
近年弱小チームだからなのか、
長男の代の入団は計2人。(その後もう1人はすぐにバスケ転向した)
今は5名まで増えたが、それでも同学年だけで2チームも3チームも編成できるクラブチームに選手層で勝てるわけない。


エースナンバーの拝命

長男が小2の終わり、つまりその時の6年生が卒団して新U12チームとなる時に、
来春小3になる長男がチームのエースナンバーを
なぜかもらうことになる。
コレにはワケがあり、コーチの息子で且つそのスポ少の卒団生であるOBと長男が偶然にも同じ名前だったのだ。
かつて豪傑で轟かせたOGの名前のオマージュで、
古豪スポ少の小2にエースナンバーが充てられただけだった。
ところがその後、長男はエースナンバーに恥じぬ実績を次々と残して行くのである。


カテゴリー差


小学生サッカーは年齢カテゴリーに分けられる。
 U12(6年生)
   U11(5年生)
   U10(キッズ)〜
前述のとおり、それぞれのカテゴリーで
人数が揃っていれば、フィジカル面で
劣ることはほとんどないのだが、
長男のチームは違う。各年代の「サッカー上手いぜ」連中は強豪クラブチームへ行くため、自ずとスポ少はU12のカテゴリーに下級生が名を連ねざるを得ない。
体格差は歴然である。
強豪チームはベンチの控えメンバーすら全員6年生なのだ。(もちろん上手な5年生などもいる)

若干小3の長男がU12に出るぐらいだから、チームとしては当たり前に不利な状態。
我が古豪スポ少は「かつては〜」の枕詞を拭い去る実績を挙げられずに、それから数回の卒団生を見送った。
その過程の中、勝ちを求めて他のクラブチームへ
行くチームメイトも何人もいた。

しかし、その屈辱が我が長男にとってはプラスに働いた。


U11カテゴリーでの快挙

5年生になり、同級生メンバーも5人に増えた。
入団が1番早い長男がキャプテンとなり、
下級生メンバーの力を必要としながらのチーム編成。
桜の開花と共に、その世代がメインとなる市内数十チームのU11公式戦リーグが始まった。

春から秋にかけての前期・後期長いリーグだが、終わってみると
「12勝1分・パート優勝」という快挙で、7、8年ぶりの県大会に駒を進めたのである。

その前後を境に色々なチームから声がかかるようになる。
「そのチームじゃ勝てませんよね!?」
「来年来てくれたら希望のポジション叶えます!」
「〇〇君(長男)が来てくれたらフォーメーション完璧なんです!」
長男チームのコーチにバレないよう、コッソリお誘いのパターンを挙げるとキリが無い。
ただ、本人・親共にスポ少で小学校サッカーを完遂する覚悟にはどの言葉も響かなかった。



トレセン

トレーニングセンターの略
言わずもがな、各種地区においての選抜のことである。
市から始まり、県⇨日本各エリア⇨ナショナルと、選ばれれば「あいつ〇トレのヤツやん」と知らない人からも好奇の目で指を指される。
これについては良い面、悪い面あると思う。
親としてはもちろん選抜された方が本人のモチベーションのため、とは思うものの、地元の少年サッカー界隈の常識に明るくないので、そんな狭い世界観に縛られたくないとも思っていた。
選考会でのゲームを中心としたひと通りのプログラムを終えた後、
「もし長男が選ばれなかったら誰を選ぶんだ?」
と、根拠もない確信が芽生えたのを覚えている。
ここだけ切り取るとただのバカ親だが、
サッカー未経験者の目から見ても絶対的な自信があった。(もちろん他の親には口に出して言えない。)
TVゲームの類いに目もくれず、自らの食から睡眠までの全てをサッカー中心に回してきた長男の生活を覆すような他の才能は、選考会の会場には見当たらなかった。

後日の選考結果を受け、その確信は本物だった。


オスグットとの戦い

チーム歴で数年ぶりに出場権を獲得したU11県大会は結果、ベスト16で幕を閉じた。
3・4年生も交じるチームで他のクラブチームと
対等に渡り合えたことを純粋に褒め称えた。

来年のU12を見据え、チーム最高実績を目指そうと決意新たに意気込んだチームの陰で、長男の膝が悲鳴を上げていた。

急激に身長が伸びはじめたのと、重なる試合による疲労の蓄積で、筋肉の柔軟さがなくなり成長期のサッカープレーヤーに多いオスグットとの診断が下った。
これにより、結果的に5年生の終盤3月末ごろから6年生の8月までの約5ヶ月間、長男にサッカーを禁じることになる。


休むことのジレンマ

サッカーしたい。
試合に出たい。
CK・FK蹴りたい。
休養が必要と頭では分かっていても、それらの衝動は遠慮なしに襲ってくる。
小学生サッカーの集大成として臨む最終年度に
ピッチの外からチームメイトを眺め続けていれば、当然のことだ。
キャプテンとしてリーダーシップを取ってきた長男に対し、出場機会を得たチームメイトから容赦ない言葉や態度を取られることもあり、何も出来ないイライラがマグマのように溜まっていくのが、カメラのファインダー越しに伝わってくる。
みんなは夏にスタミナをつけるべくピッチでボールを追い、走り回っている。
もし治ったとしても居場所があるのか、
前のようなキレのあるプレーが出来るのか。
結果的に公式戦前期リーグは全て出場させなかった。
チーム成績を3勝3敗1分けのリーグ4位で折り返す。


復活

市トレセンの県外遠征メンバーから外れ、
もちろん県トレセンの選考対象からも外れ、
モヤモヤを抱えたまま、後期リーグが開幕。
足にはテーピングとバンドを付けたロボット状態で臨むことになる。
「復活するなら出来うる限りの最高のコンディションで」
と本人とも話し合い、スタミナ対策やストレッチに没頭した。YouTubeには本当に助けられた。
が、私の意に反し長男の顔は明るかった。
そもそも小学生なんぞは、ナーバスに考えるほど繊細ではない生物であることに感謝した。
終わってみれば居場所があるのか〜なんて不安は杞憂だった。
約5ヶ月休んだおかげで驚くほど身長が伸び、
フィジカル面で自チームはおろか、他チームにも全く引けを取らない体でピッチに戻ってきた。
整列の時に頭1つ分飛び抜けているような状態だ。
プレーの精度も日を追うごとに飛躍的に向上し、ケガ前をも凌ぐ勢いで得点を量産した。 
公式戦の会場に面識ない人が現れ、ピッチの隅で黒いバインダーを手にメモメモしているのに気付いたのもこの頃だ。
(続く)

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