見出し画像

気さくでかっこいい釣り人


高額なものを販売する部署で働いている。

どれくらいの金額を高額と考えるかは人によって違うと思うが、私の年収くらいの価格のものがしょっちゅう売れるのだから、高額なものを販売する部署、と言って差し支えあるまい。

今の部署に異動したばかりの頃はかなり緊張していた。
なんせ高額なものを販売する部署である。きっと客は金持ちばかりに違いない。機嫌を損ねてしまったらどうしよう…。何もわからない自分がここで仕事などできるのだろうか…。
そんなことを考え、毎日ドキドキしながら過ごしていた。

前にいた部署は1000円ほどの品を包装して販売するようなところだった。単価は安いが数とスピードで勝負。とにかく包装して、梱包して、数多く売りまくっていた。
ところがここは、話がまとまれば1点で私の年収くらいの売り上げになるところである。その1点で、あくせく働いていた前の部署の1日の売り上げの10倍くらいだ。

ゲシュタルト崩壊

客層も全然違う。
この部署のお得意様は、社員と信頼関係があり、長い間お付き合いしている方が多い。顔パスで名乗らない人が多いものだから、来たばかりの私はお客様の名前を覚えるのにとても苦労した。
とにかく覚えなければ。
私はお客様の顔と名前を一致させるため、メモ帳にお客様の特徴を書くようになった。


ある日受付にいた時のこと。
受付を覗き込んだ男性が急に声をかけてきた。

あおちゃんいる?

見れば、キャップにカジュアルなズボン、ポケットのいっぱいついた作業用ベストという、これから釣りに行かれるのですか?と言いたくなるようないでたちの50台後半くらいのおじさんが立っていた。

おじさんは「こんにちは」とあいさつするわけでもなく、「○○ですけど」と名乗るわけでもない。いきなりの「あおちゃんいる?」である。
おそらくベテラン社員の青山さん(仮名)のことであろうと思ったが、青山さんはあいにく休みだった。そう伝えるとおじさんは笑いながら、
「なぁーんだよ、休みかぁー!しょっちゅう休んでんなぁー。あおちゃんにちゃんと働けって言っといてよ!」
と言ってくる。そして、名前を聞く隙も与えずに、
「また来るわ!」
と去っていくのだった。
客だろうか?それにしてはフランクすぎる。青山さんの友達なのかもしれない。

数日後、おじさんはまたひょっこりやってきた。前回同様の釣りファッションに身を固め、相変わらず友達を飲みに誘いに来たかのような口ぶり。
この日は青山さんが出勤していた。おじさんの姿を見た青山さんは駆け寄ってきて、
あああー、津山様(仮名)
と深々と頭を下げた。
げっ、おじさん客だったのか……。友達だとばかり思っていた私は驚いた。
青山さんに会ったおじさんはとても嬉しそうだ。ワハハと笑い、
「あおちゃん、いっつもいねぇんだもん!おれのこと避けてるんじゃねぇの⁉」
と楽しそうに軽口をたたいている。ごきげんなおじさんは青山さんとひとしきり談笑した後、
「あおちゃん、今日払ってっちゃうわ!」
とカバンの中から何やら取り出した。
それは銀行の名前が入った分厚い封筒だった。ぽんっと置かれたその封筒の中には、帯のついた現ナマが数束。

私は予想もしなかった展開に驚愕した。

まさか、これから釣りに行く気さくなおじさんにしか見えない人のカバンの中から、帯のついた現ナマが……。
その時の私はちょっとしたパニックに陥っていたと思う。呼ばれて一緒に札を数えたのだが、あまり記憶がない。帯のついた札束などというものを見るのは初めての体験だった。それまで帯付きの札束はピン札だと思い込んでいたのだが、実際はそうではなかった。

会計を終えたおじさん、津山様は、
「また今度取りにくるからさ、もうしばらく預かっといてよ!」
とワハハと笑って去っていった。
青山さんと私は津山様の背中に深くお辞儀をした。そして、その姿が見えなくなるまで見送った。

何といえばいいのだろう‥‥心に余裕があり、おおらかで、偉ぶらない。
かっこいいおじさんである



私は例のメモ帳に津山様の名を記入し、「釣り人」と書き記した。