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母を自分の中に見つけて


「お義母さんにそっくりやなあ~」
シニアグラスをかけた私の横顔を見て夫が笑う。
自覚はあった。私は年々母に似てきている。


元々私は母親似だった。
彫りの深い父に似た姉に比べ、母に似た私は平べったい薄顔。若い頃はそれなりにコンプレックスもあったが、この顔のおかげで年より若く見られたり、いい人そうに思われたり、いろいろ詐称できるメリットもあったので、そこまで不満はない。
30代後半になった頃からだろうか。鏡や写真に映った自分を見て、
「うわっ!母そっくり!!」
とギョッとするようになったのは。顔は言うまでもないのだが、何というのだろう、表情とか、姿勢とか、クセみたいなものが母そのもので、DNA仕事してんな、と思わずにいられない。



母はテキトーで能天気な人だった。

①母が書いた書類を学校に提出すると、ミスだらけでしょっちゅう先生に呼ばれた。保護者の欄が空欄になっていたり、「ふりがな」とあるのにカタカナで書いていたり。確認ということをまずしない人なのだ。
結婚した時、婚姻届けの保証人になってもらったのだが、当然のように住所を書き間違えて、
「あははー、間違えちゃった!」
とか言っていた。相変わらずだ。

②夏休みの宿題が多くてぼやいていたら、
「宿題が多すぎるって連絡ノートに書いてやろうか」
と言い出し、本当に書いてドヤっていたのには驚いた。そのまま提出した私も私だが。
先生にどう思われたか想像するのも怖い。

③愚痴を言ったり弱音を吐いたりすると、
「そんなのやめちゃえばいいじゃない」
と平然と言ってくる。価値観を根底から覆される予想もしなかった母の言葉にびっくりするが、不思議とその言葉で気持ちが軽くなって、もうちょっとがんばってみようかという気持ちになるのだった。
母の作戦だったのだろうか。いや、違うに決まってる。

④小学5年生の頃、スーパーの屋上に設置されていた日よけテントが強風で飛ばされ、鉄骨ごと我が家の屋上に落ちてくる事件があった。
鉄骨は我が家の屋上、畳屋の屋根、果物屋の屋上の3点にまたがって落下。それなりに損傷があったが、幸い大事にはならなかった。
数日後、スーパーの責任者がフルーツ詰め合わせを持参して謝罪に来た(果物屋には何をもっていったのだろう?)。そのフルーツ詰め合わせには、当時珍しかったパパイヤ、マンゴー、アボカド、キウイなどの南国フルーツが入っていて、家族のテンションはアップ。屋上が破損したことなど忘れ、大喜びで食べまくった。
植物好きな母は食べたフルーツの種を片っ端から蒔いていった。芽が出たものも出なかったものもあったが、母は「珍しい果物を育てている」自分にウキウキだった。

⑤夏休み、茨城の母の実家に行った時のこと。
伯父夫婦が暮らすこの家の庭には、高さ40センチ、直径15センチ位の高級そうなサボテンの鉢植えがあった。そのサボテンには直径5センチ位の子株が一つだけちょこんとついていて、それが何とも言えないかわいらしさ、そして絶妙なバランスだった。母がそのサボテンの前にしゃがみ込んで何やらしているので覗いてみると、シャベルを持ってゴリゴリと一粒種の子株をもぎ取ろうとしている。
「1個しかついてないのにいいの⁉」
あまりの暴挙に驚く私に母は、
「いいんだよ!」
と言い放ち、無理やりもぎ取った子株を家に持ち帰った。
そのサボテンは鉢に植えられたが、その後熱が冷めたのか放置され、今も実家の屋上の片隅にひっそりと存在している。



このようにテキトーで能天気な母を見て育った私は、自分は母よりしっかり者できちんとした性格なのだと思っていた。
しかし、社会に出るとそんな思い込みは打ち砕かれることになる。

最初に働いた菓子販売の仕事では、包装紙の向き、備品の並べ方、商品品出しのタイミング、賞味期限ハンコの押し方、言葉遣い、さらに「いらっしゃいませ」の発音に至るまで、ことごとく注意され、直された。ちょっとくらいのミスならいいだろうと高を括っていると必ずばれる。①とたいして変わらない自分に気付いて愕然。私は母に似ていたのだ。
社会の厳しさ、自分のテキトーさを思い知り、自己流は通用しないと痛感した職場だった。

結婚してからは夫の仕事の愚痴に対して、②③の母とまったく同じことを言っている自分。
「上司に言ってあげようか?」
「やめてくれや!」
「やめちゃえばいいじゃん。」
「そんなわけにいかんやろ!」
あまりにいっしょで唖然とする。
夫は気持ちが軽くなっているのだろうか。そんな風には見えないが。

気付けば植物好きも同じだ。
ベランダは無計画に植えた花や野菜でいっぱいで、うっそうとしている。
果物の種を蒔いたり、野菜を再生させたりはよくやるし、実家に行ったときサボテンやアロエの子株を勝手に奪ってくることもある(お金をかけないところがポイント)。まさに④⑤。
当時は何やってんだろと冷ややかな目で母を見ていた私だが、今なら母の気持ちがわかる。ちょっと珍しそうな植物をタダで育てるのは超ウキウキだ。



姿形だけでなく、性格や行動に至るまで母の影響を免れない私。
母親というものは良い部分にしろ悪い部分にしろ、人間に多大な影響を与える存在なのだと痛感せずにいられない。
年齢を重ねるにつれ、自分の中の母に愛おしさを感じたり、くすっとなったりすることが増えている。

これからも鏡を見るたびに、自分の言動を振り返るたびに、母を感じながら生きてゆくのだろうと思う。