創作怪談 「電気のついた台所」

 これは、生垣さんという男性から聞かせて貰った話。生垣さんは、40歳になった現在も実家暮らしをしており、地元の居酒屋で働いているそうです。いつも帰宅時間は午前2時頃。車の通りもほぼなく、明かりも少ない。町は静まり返っている。そんな中を1人歩いて帰るのが好きなんだそうです。

 これは、8年前の6月。仕事を終え、いつもの帰り道を歩く。時間は、午前1時30分頃だった。住宅街に入ると違和感を覚えた。いつもであれば、どこの家も電気はついていない。しかし、その日はどこの家も1ヵ所だけ電気がついていた。磨りガラス越しに見えるシルエットと場所から察するに、恐らく台所だと思ったそうです。午前1時30分に近所の家々で台所の電気をつけている。ただそれだけの事だが、いつもと違う光景に少しゾッとした。歩みを進めていくと、もう一つ奇妙な点に気が付いた。電気がついていて、調理器具らしいシルエットは見えるが、人影がない。料理や洗い物をしているのであれば、人影が動いているのが見えるはずだが、どこの家でもそれがない。ただただ台所の電気がついているだけ。自宅に近付くにつれて「まさか自分の家もこうなっているんじゃ…」と不安になってきた。なぜ不安になったのかは分からないが、住み慣れた田舎のいつもと違う光景がとにかく怖い。恐怖心を感じながらも歩みを進める。自宅が見えると、すぐに家の台所の電気がついているのが分かった。やはり人影は見えない。自分の家のさらに先にある家でも、台所の電気がついているのか気になり確認しようと思ったが止めた。鍵を開け家に入る。家の中は静まり返っていて、料理などをしている気配は全く無かった。台所に行くが、やはり誰もいない。しかし、キッチンの天板の上に、ご飯と味噌汁、ネギの味噌焼きにナスの漬物が用意されていた。何となく、食べてはいけないと思ったそうです。電気を消そうか迷っていると、階段を下りてくる足音が聞こえた。父親だった。父は、台所に立つ生垣さんを見ると
「電気は消すなよ。失礼にあたるからな」
そう言うと、階段を上り寝室へ戻って行った。生垣さん、いつもであれば、両親を起こしてはいけないので、帰宅後は入浴せずに朝起きてから入浴をしているそうです。しかし、その日は恐怖心からか脂汗をかいていて気持ち悪かった。そのため、シャワーを浴びてから寝ることにした。
 頭を洗っていると、外の方から人の叫び声が聞こえてくる。その声は、2件隣に住む一人暮らしのお爺さんの声だったそうです。体感時間で約3分程、お爺さんの叫びが続いた。耳を塞ぎたくなるような声だったが、ふと何事も無かったかの様に突然叫び声が止む。そして、お爺さんの気配そのものが消え去ったかの様な静けさが戻ってきた。その瞬間、2階から両親の足音が聞こえてきて“ドタドタ”と階段を下りてくる。
「選ばれなくて良かったね!」
「でも2件隣だもんな。危なかったな」
などと2人で話ながら台所へ向かって行った。生垣さんが脱衣所から頭だけ出して、台所の方を見ると、台所の電気は消えていた。両親は生垣さんの顔を見ると、見たことが無いような笑顔で
「もう大丈夫だから。これで安心して寝られるよ。明るくなったらお礼しに行こうな」
と言った。何一つ理解が追い付かない。生垣さんがどこにお礼に行くのか聞くと、両親はキョトンとした顔で「神社に決まってるでしょ」と言い、近所にある小さな神社の方角を指差した。そして
「日曜日だけど早く起きろよ。7時になったら一緒に家出るからな」
そう言って寝室へ戻って行った。
 当時32歳だった生垣さん。産まれてからずっとこの土地に住み続けてきたが、今までこんな経験は無く、そんなしきたりも聞いた事が無かった。お礼をしに行くと言っても、何のお礼をしたら良いのか分からない。しかし、地域の家々で台所の電気をつけていた事、お爺さんの叫び声、「選ばれなくて良かった」という両親の喜び方、そして神社へお礼をしなければならない事。この4つの事実だけで、ただならぬモノの力が動いていることは容易に想像出来た。お爺さんの件がまるで無かったかの様に、穏やかな時間が流れた。おかげで、短い睡眠も快適に取れた。
 朝6時過ぎ、外が騒がしくて目が覚める。外を見てみると、近所の人達が話をしながらゾロゾロと同じ方向へ歩いていた。手には何かを持っている。皆、神社へ向かっているであろう事はすぐ理解出来た。母が部屋に来て
「皆もう出てるみたいだし、私達も行きましょう」
そう言って、米が入った升と、野菜が入ったビニール袋を渡してきた。「何これ?」と困惑していた生垣さんだったが、どうやら神様へのお礼の品らしい。着替えをすませ、両親と3人で家を出る。相変わらずご近所さん達は、ゾロゾロと同じ方向へ歩いている。挨拶を交わしながらその群れへ合流する。歩くのがやっとのお婆さんも、片手にナスを持ち、杖をついて一生懸命神社へ向かっていた。皆口々に「良かったね、良かったね」と言い合っている。例のお爺さんの家の前を通る時に、皆、手を合わせていた。生垣さんもマネをして手を合わせる。お爺さんは家の中に居るのか、それとも皆と一緒に神社へ行ったのかは分からないが、姿は見えなかった。神社に着くとその光景に驚いた。初詣と見間違うかの様な行列が出来ていた。行列に並びながらも、やはり皆「良かったね、良かったね」と声を掛け合っている。お爺さんの家から離れていて、叫び声が聞こえなかった人達は
「誰が犠牲になったんですか?」
と聞き回っていた。
「○○のお爺さんですよ」
「あら~、後で手を合わせに行かないと」
という会話を聞いた生垣さんは、選ばれた人がどの様な末路を辿るのか何となく想像出来た。そして、「自分が選ばれなくて良かった」と心底安堵したそうです。長い行列に並び、神様に“犠牲に選んでくれなかった事”を感謝し、お礼の品を境内に納める。家に帰る途中、お爺さんの家の前には大勢の人が集まり、皆手を合わせていた。お爺さんは玄関のドアの前に座り、手を合わせる人々を恨めしそうな目で睨んでいた。声を掛ける人は1人も居なかったそうです。
 家に帰ると、両親から今回の一連の出来事が何故起こったのか説明された。

 まず、今回の出来事は、前の年の12月に行った儀式が原因らしい。この儀式が何かというと、生垣さんの住む地域では、毎年12月に、食べずに腐らせてしまった農作物を燃やして供養する儀式を行うそうです。その儀式をする場所は、お礼に行ったあの神社。なぜこの様な事をするのかというと、この神社には、かつてこの土地に豊作をもたらした神様が祀られていて、折角の収穫を無駄にしてしまった事を詫びる意味でこの様な儀式を行うそうです。そして、神様の怒りを鎮めるために「おかげさまでこんなに美味しい食物が取れました」と農作物を使って食事を作り神様に納める。120年以上続く風習だそうです。
 生垣さんもここまでは、地元の人間なので当然知っていた。しかし、ここから先の話は生垣さんが知らない話だったそうです。前の年の12月も例年通りその儀式を行った。しかし、ついうっかり神様に食事を提供するのを忘れてしまったそうです。怒りを鎮めるための食事を出さなかった。過去にも何度か不作などを理由に食事を出さなかった、もしくは腐った作物で料理を作り提供したことがあったそうです。しかし、そういう事をすると儀式から半年後、つまり次の年の6月、誰かの家に災いが降りかかった。その災いというのは、毎回似たような物だった。家中の食物が食い荒らされ、その家に住む住民は皆食べ物も飲み物も口にすることが出来なくなってしまう。つまり、餓死を待つ状態になる。最初の頃は、災いが降りかかるのは1軒だけで済んでいた。しかしある年、3軒同時に災いが降りかかった時があった。当時、その地域が小さな村だった頃の村長は、事前に食事を用意してないことに立腹したのではないかと仮説を立てた。それ以来、12月の儀式の日に食事を提供しなかった、もしくはやむを得ない理由で提供出来なかった場合は、儀式の日から丁度半年後の6月に各家庭で料理を準備し、料理の隣に目印として1本の蝋燭を灯すことにした。そうすることで、1軒は犠牲になってしまうが、それ以上の犠牲は出ずに済むのではないかと考えた。その考えは間違っていなかったのか、それ以来儀式の日に食事の提供を出来なくても、半年後の犠牲は1軒に押さえる事が出来た。大正時代辺りからは、蝋燭ではなく台所の電気を付けるようになったという。近年は極端な不作に悩まされる事もなく、この様な言い伝えも有ることから、昭和の中期を最後にここ数十年間は食事の提供をしないなんて事はなくなった。そしていつからか、この話を若い世代へ伝える事もしなくなったという。生垣さんの父は
「仕事も運転も慣れてきた頃が1番危険って言うけど、こういう習わしも馴染んできた頃が1番油断禁物だね」
と笑っていたそうです。

 ここまで話を聞いた私が
「たしかに1人の命は犠牲になってしまいましたが、生垣さん含め下の世代の人達がさらに下の世代の人達にこの言い伝えを伝承する、その切っ掛けにはなったと思います。もう、この様な悲しい出来事が起きなくなると良いですね」
そう言うと、生垣さんは少し苦い顔をしながら
「実は、3年前に起きてしまったんですよね。しかもその時は、わざと食事の提供をしなかったんです」
そう言った。何があったのか聞いてみると、発端は4年前。千葉県からとある家族が引っ越してきたそうです。裕福な家族なのか、立派な家を建てた。最初は地域住民も歓迎ムードでその家族を迎えたが、関係はすぐに悪化したという。大きな理由は、その家族が高飛車過ぎた事。会話をしていても、言葉の節々に人を見下す感じが見て取れた。子供も中々のもので、近所で誰かを見かけると「ボロ家!ボロ家!」と声を上げていたそうです。これは当然地域住民の癇に触った。そして、一部の人達である計画が立てられた。その計画の内容は、12月の儀式の日にわざと食事を提供せずに神様を怒らせる。半年後、地域住民は神様への食事を用意し、台所の電気を付けて神様を迎える準備をする。しかし、この習わしを知らない例の家族は、神様を迎える準備をしないため狙われてしまう。その結果、一家全員“謎の死”を遂げてしまう。そういうものだった。そして迎えた半年後の6月。犠牲となったのは例の家族ではなかった。犠牲になったのは、地域住民の中では1番ご長寿の103歳のお爺さんと、その同居家族。もちろん、その家では神様を迎える準備はしていた。対して例の家族は、新しい家なので台所の様子を外から確認する事は出来ないが、この習わしを知る手段がないため恐らく食事の用意はしていなかったであろうとの事だった。結局、わざと食事を提供しなかった事が原因で、この様なイレギュラーな事が起きたのだろうと結論付けられた。地域住民は、わざと神様を怒らせるようなことをしたにも拘わらず、1家族のみの犠牲で済んだ事を“幸いな出来事”としたそうです。7名の命が失われたが、1家族は1家族。その事に生垣さん自身、正直ホッとしたそうです。しかし、例の家族の高飛車な態度は相変わらずのため、また同じ事をしてしまう人が出てくるかもしれない。そう話してくれた。

 わざと怒らせられる神様は一体どんな気持ちなんだろう。近い将来、この土地は本当に大変な目に会うのではないか。そう思わざるを得ない話だった。

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