『氷の城にて』


 氷の城に美しい女王がいることはだれもが知っていた。
 彼女はいつも窓の外を眺めていて、城の近くに人が来ると、悲しそうに微笑みかけて俯くのだった。時折、女王は城の外へ出ようと試みているようだったが、門番は決してそれを許さなかった。

 城の門番は巨大な氷のゴーレムで、城に近寄る者を威嚇した。それでも通ろうとする者は容赦なくこのゴーレムに殺されてしまった。同時に女王が城から出ることも許さず、主である彼女を傷つけるのも躊躇しなかった。

 やがて一人の男が門の前に立った。つい先日、遠い国から城下町に帰還したその男は、かつては名高い騎士団の一員であったという。その横には城下町から案内を任せられた付き人が一人いた。しかし付き人もまた、ゴーレムを前にすると怖気づいて村へと帰っていくのだった。

 騎士団のなかでもずば抜けた体力と勇気を持ったその男は、ゴーレムを前にしても冷や汗ひとつ流さなかった。

 男は剣を抜いた。刀身からは赤い炎がちらちらと燃えていた。

「〈火の眼の狼〉より授かった眼を柄に埋めた炎の剣だ。この炎は猛吹雪のなかでも決して消えぬ。これでお前を斬り倒せるぞ」

 男の言葉にゴーレムは怒り、すぐに戦いが始まった。戦闘は数時間にも及んだ。男は炎の剣でゴーレムの足を何度も、何度も斬り続けた。ようやくゴーレムは膝をつき、男はその隙に城へと侵入した。

 女王が倒れているのが見えた。怪我をしている。今日も城を抜け出そうとしたのか。きっとあの門番にやられたのだろうと男は思った。

「あなたをお待ちしていました」
 氷の女王は駆け寄った男を抱きしめた。

「あなたのような強い人を待っていたのです。ずうっと。ずうっと。退屈でした。苦痛でした。生きる意味がわからなかった。いっそ死んでしまおうとも思っていました。何度も自殺を図りました。けれど死ねず……でも、あなたは来てくれたのですね」

「もう安心です、女王。初めてあなたを見た日からずっと、このときを夢見ていた。炎の剣を手に入れるため、東の国の渓谷で過酷な試練を耐え抜き、技を磨きました。あの門番に打ち勝てるよう更にこの身を鍛え上げました。今こそ城を抜け出しましょう」

 ふたりが城の外へ出ると、ゴーレムは怒り狂ったように彼らに襲い掛かった。

「女王様、あなたは怪我をしている。このままでは逃げることはできません。明日もう一度、私は門番に挑戦します。その時こそヤツを倒し、再びあなたを連れ出します」

「ええ。待っています。何度でも」

 男は暴れるゴーレムから命からがら逃げ出し、城下町へと戻った。宿屋では付き人が彼を待っていた。

「どうでした」
「明日こそ倒す。まずは足を狙い、動けなくなったところを叩き切る」
「それは名案ですね」

 次の日、男は再び氷の城へとやってきた。
 もう一度剣を抜き、門番を斬りつける。男は戦慄した。

「昨日よりも太い」

 ゴーレムの足が強度を増しているようだった。何度も何度も、何時間も何時間も斬りつけても、足を断つことはできなかった。

 その日、男はゴーレムを倒せずに町に戻った。今のままでは倒せない。もっと鍛錬を積まなければならなかった。

 一週間後。
 男は城へとやってきた。三度目の挑戦。

 男の執念は技量に昇華された。より速く、より連続で斬りつけることができるようになった。何度も。何度も。今度こそ。今度こそ。しかしゴーレムもまた、男と戦うたびに強くなっているようだった。やがて男の剣技に慣れ始めると、今度は斬りつけることすら出来なくなった。ゴーレムが強くなるたびに男は撤退し、やはり再び鍛錬を積むのだった。

「なぜだろう。なぜ勝てん」

 宿屋の柱を殴りつけながら男は叫んだ。
 胸にあるのは女王の顔だった。悲しげな瞳に熱を灯すことが自分の使命であり、彼女の笑顔を見ることを夢観続けていた。そのためならばどんな困難にも耐え抜く覚悟があったはずなのに、あの門番がそれを拒む。

「そうか」
 男ははっとした。
「顔だ。首を切り落とす」

 次の日、男は最後の勝負を挑んだ。
 以前にようにまた男はゴーレムの足を斬りつけた。ゴーレムがそれを先読みし、身をかがめて男を殴りつけようとする。男はにやりと笑った。

 その瞬間、男はゴーレムの首に炎の剣を刺した。氷の中でめらめらと燃え続ける炎は、ゆっくりとゴーレムの首を溶かした。そしてゴーレムの頭が地面に落ちるのを見た。勝負はついた。長い、長い勝負だった。

 男はゴーレムの首を見下ろして、一滴の涙をこぼした。

「私はいま、奇妙な寂しさを感じている。私はお前を倒すことに必死だった。お前も、私を倒すために強くなったのだろう。女王は私にとって最愛の人だが、お前は最高の好敵手だった」

 男は涙を拭い、ゴーレムの首を近くにあった木の横に奉った。しばしの間、男はゴーレムと競い合った日々を回想した。

「楽しかったよ。お前にとってもそうならば、どうか笑ってほしい」
 いよいよ男は、氷の城に入った。
 

 転がる女王の首を見たとき、男はすべてに気づいた。そして狂ったように叫び続け、最後には炎の剣で自分の首を貫いた。

 彼女は笑っていた。

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