バレンタイン🍫

バレンタイン商戦に、すっかり出遅れた。
今日、たまたま「彼女にあげたい!」と思えたチョコレートを見つけることができたのだが、時すでに遅し。画面には無常にも「完売」の文字が。。。

ぬかった。
バレンタインの戦いは年明けから始まっているのだ。

私は毎年彼女にバレンタインのお菓子をあげている。チョコレートをあげる時もあれば、クッキーの年もある。

お返しを期待してるわけではない。
好きなのだ。
好きな人の楽しそうな顔を想像するのが。

どんなパッケージなら、興味を持ってくれるだろうか。どんな彩りなら、箱を開けた時に声をあげてくれるだろうか。
そんなことを考えながらじっくり選ぶものだから、毎年お菓子選びは難航する。

有名なブランドならそれでオッケーってわけでもないので、なおさらなかなか。
趣味に合ったら500円のチョコでも喜んでくれるだろうし、ハマらなかったら、5000円のチョコでもそれほど喜んではもらえないだろう。彼女はそんな人だ。
ちなみに私は、情けないことに権力によわよわなため、高いチョコレートをもらうと普通に大喜びする。そしてもったいなくてなかなか食べられず、結果、賞味期限を切らす。一番残念な感じの人間だ。

というわけで、毎年この時期は、バレンタイン好きの血が騒ぎまくる。

彼女宛のおやつを選びながら、ふと思い出す。

数年前までは、私、バレンタインが本当にに嫌いだったなと。

嘘じゃん! と思われるかもしれないが、本当なのである。
今はもう平気なのでこの時期は楽しいだけなのだが、毎年めちゃくちゃ嫌だった。

かつての私は、何がそんなに嫌だったのか。

原因ははっきりしている。

間違いなく、職場での義理チョコだ。

私は、とにかく義理チョコという文化に迎合できない人間だった。特に、職場での義理チョコに本当に意味を見出せなくて、かなりの苦痛を覚えていた。

義理チョコをあげる予算が職場から出るなら渋々やる。でも渋々だ。義理チョコ任務をこなしたら手当が出るよ!と言われて初めて、よし、しゃーないからやったるか!とやる気が出ると思う。

さらに、職場での義理チョコは自分の意思ではどうしようもできないということが、余計にストレスを加速させている。

思いやりと、気配りと、優しさに溢れた方が提案する。
個人で義理チョコを用意するのは大変だから、女性陣全員からということでお菓子を人数分用意しないか、と。

もう、そんな感じならやめても良くないですか?笑

そうやんわりと提案したのだが、「日頃お世話になってるんだから」とあえなく却下されてしまった。しかもあろうことに、当時一番若造だった私は、お菓子の調達係に任命されてしまっていたのだ。

暴れて突っぱねれば良いのかもだが、社会人に擬態している私にはそんなことはできない。

あげたい人は、その人たちだけで勝手にやってくれ。その言い分が通用せず、やりたくないのに強制的にやらされているので、余計にやりたくない気持ちになる…という心理的リアクタンスも関係あるかもしれない。

というわけで、毎年半ギレになりながらスーパーや百貨店の催事コーナーに行っていた。

もらう側はさ、はたして、嬉しいものなのか? 受け取ったら自動的に変換のタスクが生じてしまう職場の人からの義理チョコなんて!
そのチョコレートに好意はない。あるのは「あげなきゃ」「返さなきゃ」という義務だけだ(私的には)。
義理チョコに込められているのは感謝ではなく、私の怨念だ。半ギレの女の怨念がこもった義理チョコなんて、本当にいらなくないか!?
「こういうのは気持ちだから」と諭されるが、この義理チョコに詰められている私の気持ちとは一体なんだ。

大切な人には、個人的にあげるのだから良いじゃないか。彼女、友達、すごくお世話になっている職場の人(適当なものでは恩が返せないくらいお世話になっている職場の人の意)。なのに、なぜそれに加えて、それほど関わりのない人にまであげる必要があるのだろうか。

なんなら、おめーが先に持ってこいよ!とマジで思っている。なんで私が女であるというだけで、自動的に関わりの薄い人にまでバレンタインチョコをあげる係にならなくちゃいけないだ。立候補した覚え、ないよ。


たかが義理チョコくらいで、と思われるかもしれないが、その「たかが」がめちゃくちゃ嫌なのだ。「たかが」はもう幾層にも積み重なっている。たかが義理チョコくらいで。たかがお茶汲みくらいで。たかが親戚の集まりくらいで。たかが肩に触られたくらいで。たかがシャレでマフラーを勝手に巻かれたくらいで。たかが、たかが、たかが、たかが!

ウオオオオオオオ!!!!

もうお腹いっぱいです。

ありがたいことに、ここ数年そのストレスからは解放されている。理由は単純明快で、部署が移動になったからだ。部署には男性がまったくおらず、バレンタインだからといって特別なことをする必要はない。
気を利かせてパックお菓子のアソートを持ってきてくれる人もいるが、そういったばら撒きおやつ交換するのはわりと日常茶飯事なところなので、バレンタインだからとわざわざラッピングされたお菓子を買いに行く必要はない。

助かった〜 
かくして私の精神は解放されたのだ。

おかげで、ここ数年はバレンタインが本当に楽しいよ。あげたい人に、あげたいだけお菓子をあげる(はしゃぎすぎて彼女に三回に分けてバレンタインのお菓子をあげた年もある)。

好きな人に、日頃の感謝を。
そんな当たり前のことが、こんなに心安らぐことだったとは。

もちろん、職場でもらう/あげる義理チョコが大好きな人もいるだろう。そういうみなさまの気分を害してしまったら申し訳ない。それは私の意図しているところではない。強制職場ギリチョコは、not for meの文化だった。たったそれだけの話なのだ。

みなさま、ぜひ良いバレンタインをお過ごし…くださってもいいし、そんなものは無視しても良い。
好きにやろうや。それが一番だ。

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