コミケ落選


 落ちた。
 冬コミに、落ちた!

 えっ……マジ?笑
 何回見ても新鮮に驚き、新鮮に落ち込んでしまう。

 いや、去年も百人中二人くらい落選の人を見かけたんだよ。わりと周りでは「コミケ、落ちたことないよ〜」って人が圧倒的に多かったから、まさか今回、自分が「二人」のほうに入るなんて思わなかったぞ!

 まあ思っていなかっただけで、そりゃ当選があるなら落選だってあるわけだし、毎回席は用意されるもんだって思い込んでいた方が傲慢だったんだよね。初心に帰ります。

 自分の傲慢さを理解しつつも、さすがにやっぱりしょげていたら、彼女から「あなたは書いて気持ちを整理する人だから」と、今の状況をまとめることを勧められた。すごい、その通りです。私より私のことをご存知で……。

 というわけで、今の一応素直な感情を書いておきたいと思う。もちろんポジティブな内容になるわけがないので、お見苦しくなるところが多くなるかもだけど、膿を自分から出して精神の健康を保つのが目的なので、ご勘弁されたし。

 正直、抽選漏れって文字を最初に見た時は、しばらく「マジか……」しか考えられなかった。これ、あんまり意味のない言葉で、ジャンル的には「Oh…」とか「うう…」と大差ないと思う。まさしく、言葉を失うって感じだね。

 徐々に言葉が戻って来てから真っ先に悩んだのは「これ、どうやって報告するべな?」だった。
 なるべく感情を出さずにふわっと報告して、ふわっと反応してもらおうと思った。

「コミケ当選」がトレンドに入るくらいだから、落選ってマイノリティなんだよ。私のタイムラインでは私しか落選者がいなかったから、当然当選祭りが起こっていて、その中で「落ちました」って報告するのは、流れに水を差すことになる。
 感情的に言ったら、「今この瞬間、自分が世界(意訳:タイムライン)で最も不幸だ!このヤロー!チクショー!なんで!」くらいの気持ちはあったんだけど、私は自分の不幸で人を呪うタイプは好きじゃないので、もちろん言わない。

 それに、悪い報せって、当事者より周りの方が動揺するじゃないか。
 多分、みんなすごく良くしてくれるから、落選しましたって報告したら「嘘だろ!?」って言ってくれるだろうな〜って。つまり、落選報告と周りの動揺を受け止めることをセットとして考えねばならなかった。

 逆の立場で、落選した人がめっちゃ気落ちしてたら、ちょっとどうするか悩むもんね。声をかけるべきか、そっとしておくか。なぜなら、不幸のどん底にいるその人に対して、自分は幸せの絶頂にいるわけだから。そんな時に心理的に優位な側が何を言っても届かないよな〜って。

 すでに人を巻き込みながらいろいろ動き出していたので、当落報告をしないわけにもいかない。だから当社比でふわっと報告したわけだ(いやいや、ツイートでめっちゃキレてたじゃん!ってお思いの方。実際はあの100倍気持ちが荒れてたよ!)。

 だいたいふわ〜っとした感じで通り一遍の物事が進み、目論見通りになったかなと思う。声をかけてくれた人、同情してくれた人、ありがとう。素直にとっても嬉しかった!

 さて、大変だったのはこの後。
「このヤロー!チクショー!なんで私だけが落ちたんだよー!」っていう自分の衝動は解消されていないわけだ。
 みんなが「本を出そう!」となっている中、自分は「本は出せない!」という状況なわけだ。みんながコミケのことを考えているのに、私は今回出せない本のために、その後の春先のイベントの参加をこのタイミングで考えなければならないのだ。

 大袈裟かもだけど、世界に取り残されている感覚になったね。誰も同じ状況の人がいないというのも、それを加速させたかもしれない。

「みんな受かってる!」の中の「みんな」には私は含まれていない。やはり、マイノリティの辛さは、真の意味でマイノリティにしかわかってもらえないのかもしれない。
 理解者がいないことは、人をどんどん陰湿にする。みんな、どんなに心を寄せてくれても、君たちは、私が持っていないケーキを手にしているだろう? と僻んでしまう。
 ”コミケ落選”で検索して、ああ君も落選したんだねえ…こっち側だねえ……と知らん人に勝手に仲間意識を持つことで精神を保っていた。

 当落の基準がわからないのも、余計にもどかしさに拍車をかけた。
 試験のように努力不足で落とされるなら、仕方がない。しかし、わからない。入力に不備もなく、毎回のアンケート回答も行い、(これを言うとなんか一気に情けなさが増すが)部数も小説の中ではそれなりに出る方だと思う。
 運がなかったのだとわかってはいるが、それでも「自分の何かが悪かったのだ」と思ってしまう。

 コミケでは毎回、ダミーサークルや、当選したけど参加しない人もいる。今回もそういうサークルはあるんだろうが、その席、私が欲しかったぞ…と正直思ってしまう。

 …..が!
 それをもらいうける権利は私にはない。いくら指を咥えて見ていても、私にケーキが回ってくることはない。食えないケーキなら、いっそ、眺めることをやめた方がいい。

 同人誌を作るだけだったら、委託販売もできる。一般参加だってできるのに、何をそんなに悲しむことがあるんだ? という感じかもしれない。でも、それはまた後の段階の話だ。
 イベントというのは、同じものを好きな人間が一堂に介するハレの日だ。
 その特別な一日の招待状が、ちゃんとみんなと同じ手順を踏んだのに、自分にだけ届かなかった。お隣さんにも、お向かいさんにも届いているのに、自分の家にだけ来ない。それってやっぱり、かなり寂しいことだよ。

 でも、捨てる神あれば拾う神あり。幸いにして、昨晩のうちに本人ごと(?)新刊を委託させてもらえることになり…。パーティチケットを分けてもらえた。
 ありがたや、ありがたやだ。私も人に親切に生きよう。

 さて、というわけで、コミケ落選騒動はひとまず一件落着なのだが、それでも「抽選漏れ」を見た時に感じた寂寥感や孤独感は向き合わねば昇華できぬな…と思ったので、ここに書いておく。

 私の座右の銘は『起こることは全て良いことだ』。これは、たとえ大変なことが身に降りかかっても、きっとそれは自分の身になるし、何より、同じく大変な思いをした人に寄り添えるようになるという意味らしい。
 私もこれからコミケ落選者に優しく寄り添える人間になるよ。コミケがある限り落選者も生まれ続けるだろうから。

 多分、落選を経験したことのある人は、当選しかしたことのない人に比べて多い気がするので、しばらく擦っていくことにする。
 みんなだってコミケに向けて焦ったりうめいたり呟いたりするんだから、私も負けじとコミケ落選ネタを擦っていくよ。
 なんの対抗意識だ、これ?

 さて、書いたら多少マシな気持ちになってきた。うじうじしてないで、私も新刊を落とさないようにせねばだね。
 ここまで付き合っていただき、ありがとうございました。

 最後に。
 さすがに昨日の23時に「抽選漏れだよ」って当落メールが送られた時は、「ナメてるのか?」と封印している右手の拳を握り締めそうになった。
 コンニャロ! やるせね〜。


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