見出し画像

連続怪獣小説『大怪獣アイラ』#4

 中央線・西八王子駅から歩いて数分のところに、僕の通う富士森第九中学校は在る。高尾山は確かに近いけれど特に田舎という感じもなく、わりと整備された住宅街であり、秋には幹線道路沿いの銀杏並木が美しく風に散る。
 地元の人間しか知らない近道をすれば、少し歩くだけで浅川に辿り着く。春にはソメイヨシノがひらりひらりと舞う、美しい河川敷。
 浅川を延々と歩いていくと日野市のあたりで多摩川と合流する。そこの近くに、馬を飼っている喫茶店がある。あまり知られていないけれど、紅茶を飲んだあとに乗馬が出来るという不思議なお店だ。
 ここの店主のおじいさんも不思議な名前で、姓名を「一 二」と書いて「にのまえ いちのさき」と読む。子どもの頃からこのお店に通っている僕は単に「にのまえさん」と呼んでいる。

 厩舎で牝馬の蹄の泥を落としている店主に近づくと「わりぃ、あとでな。なんでも読んどけ」と言われたので、 喫茶店のほうに戻る。
 カウンターはとっても綺麗、なのに、ボックス席のテーブルには薄く埃が乗っている。そう、このお店に来る人はだいたい、ひとり。ひとりでカウンター席に座って、ひとりで本を読むような、そんなお店。
 店内の壁はすべて本棚で埋め尽くされていて、にのまえさんのこだわりは、それらすべての書籍が初版本。太宰治が生きていた頃に発刊された『晩年』が並んでいて、三島由紀夫が切腹した翌日の新聞のスクラップがあり、椎名麟三、埴谷雄高などの初期の刊行物を幾らでも素手で触ることが出来る。この喫茶店に並ぶ本はほんの数万冊だけれど、価値としてはおそらく数億円。
 もったいないから、このお店の詳しい場所は誰にも教えない。

 勝手に珈琲を淹れて飲みながら、昭和十五年七月号の『婦人倶楽部』の広告欄の「三共のにきび新治療剤ボンラック」について読んでいたら、にのまえさんが店内へ戻ってきたので、また新しいカップに珈琲を淹れてカウンターに置いた。
 馬のボロの緑の香りを振りまきながら、泥だらけのオーバーオールのままでにのまえさんは、僕の隣に座る。そして土にまみれた手でカップを掴み、熱いはずの珈琲を一息に飲み干して、音を鳴らさずカウンターに置いた。

「たぶんなんだけど、あゆみがさ、にのまえさんと同じこと考えてるよ。
つまりそのぅ、ミトコンドリアから昨日のキッシンググラミーまでのこと。
同じ生き物が連続して、進化しながら出没しているってこと」
「そうだな、修治の姉ちゃんはたぶん正しいんじゃねぇかな。おれもまだ詳しいことは解んねぇけどよ、昨日ちょうどさ、ペンタゴンから連絡があって、明日っからちょっとアメリカ行きってことになってんだわ。
うちの馬の世話、だいたいわかるよな? 頼んでいいか?
だから修治、もし何か気になることあるんなら、ここ基地にして、誰でも集めて、なんでも調べていいぜ」
「でさぁ!」
「…おぅ?」
「にのまえさんは、どう思うの?
これから、地球は?」

 轟音で窓へ顔を向けると多摩川の河川敷へ、プロペラを回すヘリが着地していた。
 厚木あたりからだろうか、米国軍のマークが印されている。

「時間だな」と呟いて、にのまえさんは扉へ歩いていく。
そうして店を出る直前、振り返って僕に笑いかけて、こう言った。
「人類が滅びても、地球にとっちゃどうでもいいことなんだぜ?
いいか、これからおれたちに必要なのは、戻ること。
ノミだのダニだのゴキブリだの、命の価値はぜんぶでひとつ。 
最期には、戻るしかない。
戻らないと、守れない。わかるか?」
「わかんねぇよ クソジジイ!」
「だよな……まぁできたら、また生きて会おうぜ!」

☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓ ☓

 部屋でマリオカートをしていたら、あゆみがいきなり入ってきた。

「にのまえさんは、何て言ってたの?」
「だいたい同じ考察だよ。これからまた新しく何か襲ってくるんじゃないかな」
「東京にはいつ来るって」
「それはわかんない。ペンタゴンと一緒に調べるみたい」
「そっか。ねぇ修治」
「お腹すいてるの?」
「じゃなくてさ、あ、2P使っていい?」
「いいけど、じゃあどのコース?」
「これ」
「おっけー」
「修治はさ、彼女とかいるの?」
「いたらいいんだけどね。姉とマリカする必要もないし」
「てめぇ殺すぞ えい!」
「あゆみはどう思うの? たぶんあれ、東京まで来るでしょ」
「そうだね。たぶん、なんていうか、みんな終わっちゃう気はしてるよ」
「終わってもいいと思う?」
「終わってもいいと思ってるよ。
私ね、こないだのアレがあったでしょ?
でもお父さんもお母さんも守ってくれたし、修治も私のこと気遣ってくれたでしょ?
私ね、わかったの。いつだって、
ひとは誰も孤独ではない。ただ寂しいだけ。
でもね、終わらせないためにがんばりたい。
ねぇ修治、私達は、最期までがんばろうよ。
終わってもいい。
でも、それまではがんばろう」

……つづく





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?