映画と歩こう『Shadow in the Cloud』
土砂降りの雨を小走りで、母親が玄関先に辿り着く。傘を閉じようとすると、壊れて骨組みが飛び出しているのに気づいて、それを駐車場へ放り投げた。壁に立て掛けるでもなく、買い物袋を提げて明るく帰宅を告げながら、ただ投げる。
1976年公開『青春の殺人者』
市原悦子演じるこの母親はまだ、室内で何が起きているかを知らない。カットが切り替わると、息子・水谷豊の虚ろな眼が映し出される。そうして、居間で何が起きたかが明らかになる。
床に血塗れで、父親が倒れている。仰向けで、瞼は開いている。胸が赤く染まっている。息子は、包丁を持っている。母親は、何が起きたのかよく理解できていない。
「息しなくなったとこだ、今」
「病院は?」
「……」
「息しない?」
「だから、もう動かなくなった」
生きている夫はもういない。死体になった夫はいる。殺したのは息子だ。脳が情報処理をする。そして駆け寄る、その時に、買い物袋の中身が転がった。夕飯に使うはずだった、ついさっき購入したばかりの食材。
夫の死体の顔の横、その血溜まりにキャベツがひと玉。
私にはこのシーンがとにかく衝撃だった。血の色に野菜の緑、この組み合わせはこんなにも鮮烈な色合いになるのか、という驚き。そして、この組み合わせが強烈に伝える日常の中の殺人の現実性。決して特別なことじゃない。よくあるサスペンスドラマの殺人には理由があり御膳立てがあり始まりと終わりがある。けれど実際に考えて殺人は、わりと普通のことなのだ。そうしてそれはどこが始まりかはわからず、死ぬまで終わることもないという恐ろしさ。
さてこの直後、息子の包丁を取り上げた母親は、自首を決めている彼を叱りつける。包丁に付着した血を水で洗い流しながら。
「なにもよその他人様に害を加えたわけじゃないんだ。これはうちの親子と夫婦だけのことじゃないか。人に文句いわれたり縛られたりすることなんてないのよ」
なんと、すでに証拠隠滅の方向で話を進めている。
ここから死体を風呂場に運んだりなどあれこれ処理を進める内に、母親がだんだんと、さらに常軌を逸していく。最初の殺人に始まるひとつの家でのほんの半日にも満たないくだりが終わるまでに、ほとんど30分を費やしている。作品の4分の1がひたすらに家庭内の血塗れのシーンなのだ。
感覚としては『罪と罰』に似ているだろうか。老婆を殺すまでと、殺した時と、その後の処理が、異様な執着で描かれていくあの雰囲気。
『冷たい熱帯魚』は同じ死体処理でもなんだか明るいというか、エンタテイメントとして楽しく観れた。家庭内の関連なら『子宮に沈める』は興味深く観たけれど、とはいえそれは常に「なるほど、そうか」という納得の中にあった。けれどこの『青春の殺人者』は怖ろしく陰鬱であり、でありながら感傷的、なのに乾いているという、不思議な驚きがある。同じ70年代には寺山修司も幾つか映画を撮っている。『田園に死す』『書を捨てよ町へ出よう』など、どれもが傑作だ。『女囚さそり』や『修羅雪姫』など梶芽衣子の伝説的作品群もあの頃。
あの時代の異常性は何なのか? 芸術に怨念が籠もるのは当然のことだけれど、おそらく観客の質が今と違ったのかもしれない。怨念を受け取る側への信頼が無ければ、より深い怨念を作品に籠める甲斐が無くなってしまう。
現代に於いてはラース・フォン・トリアーなどがその…ああ、違った、小難しい話をするつもりじゃなかったんだ!
アマプラでも観れるおすすめ映画があります!
『シャドウ・イン・クラウド』(新西蘭・米国2021)
何が良いってまず上映時間が素晴らしい。83分。この作品を観た後の感想として「この内容ならこの時間がベスト!」と思いました。とはいえ短いからといって決して軽い主題ではなく、第2次世界大戦時を背景とした作品としてエンドロールでは当時の映像資料なども差し込んでいるのですが、この映画の主人公と同じ、女性兵士の存在をきちんと伝えようとしています。
主人公が名乗る肩書きは英国軍「WAAF」の空軍将校
Women's Auxiliary Air Force(婦人補助空軍)
主演は『キック・アス』でお馴染みクロエ・グレース・モレッツ。役者として素晴らしいのは全世界の人が知っていますが、どうでしょうこの名前の響き。言いたくなる。クロエってのがすでに良いのに、さらにグレース、そしてモレッツ。さぁ、御一緒に。
Chloe Grace Moretz
ミラ・ジョヴォヴィッチやミシェル・ロドリゲスを超えるかもしれない“言いたさ”
レオナルド・ディカプリオが90年代日本で爆発的に売れた理由も、実力はもちろんとして、言いたさが一役買っていたのではないかと思う今日この頃。マイケル・タローだったらたぶんタイタニックでは売れてない。
さて、この中で爆撃機に乗ったことがある人はいますか?
えーっと、はい10人いました。すごい! 現代人のたしなみですね。
こちらの映画『Shadow in the Cloud』の爆撃機にはball turret(経緯台式架台式銃塔)と呼ばれる装置が付いていて、位置は機の下部、両翼が見渡せる腹のあたりに設置されており、魚でいうならコバンザメのように、形を金魚でいうならデメキンの眼球みたいに、機から出っ張っています。
機の内部にも複数の銃座があるので上空への対応も出来るし、下部に設置されたこの球形の銃座によって下方の敵機へも銃撃が可能です。
映画の6割は、この丸い銃座の中で展開します。クロエたったひとりで困難に立ち向かう。非常に狭い空間で、精神的にも肉体的にも孤独に戦う必要に迫られる。前面も足元もほとんどが窓なので、かなりの無防備になる。
日本人としてちょっと複雑ですが、零戦が敵として描かれます。まぁ、そりゃそうだ。『パール・ハーバー』も『ハクソー・リッジ』も『硫黄島からの手紙』も、みんな好きな監督だったし、すべて素晴らしい映画達だった。クリント・イーストウッド監督作は凄まじい理解力だと感じた。私達がアメリカ人を描く時に、あんなふうに優しく描けるだろうか? 海外の方々についてそこまで知っているだろうか?
ただ、御安心ください。今回のこの映画、零戦はただの引き立て役です。思想的なものは一切ないです。というか英国とか米国とかのイデオロギーもべつに関係無いです。最も大きな主題はじつのところ、国家を超えたところにあります。
わりと最近の映画なのでネタバレもアレだし、このあたりにしておきます。
是非御覧ください。
『シャドウ・イン・クラウド』
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