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♦︎ギターと散歩 ヴェネチア編

1. ヴェネチアン・グラス (ムラノ・ガラス)
 陽気なイタリア人店員の「クリスマスには,これで乾杯できるよ!」という言葉を信じて待っていた.しかし,クリスマスは過ぎ,1月も過ぎてしまった.何を待っていたかというと,ヴェネチア旅行(1981年9月)の記念にと買ったヴェネチアン・グラスである.ほとんど諦めかけていたが,2月になってようやく届いたのが下の写真左のグラス(二脚)である.サン・マルコ広場の一角にあるお店で見かけて,優雅な形とルビー色に魅せられてしまったのである.後でわかったのであるが,salviatiという有名なお店であった.下の写真右のグラス(二脚)は,二度目のヴェネチア旅行(1989年8月)で買ったクープグラスである.クープグラスは,シャンパンを楽しむグラスで,宮中晩餐会などではクープグラスが使われている.しかし,今日ではクープグラスではなく,泡を楽しむ細長いフルートグラスが一般的となっている.フルートグラスは1980年代頃から流行り出したそうであるが,香りを楽しむにはクープグラスのほうがいいらしい.「いいらしい」と自信なさげにいうのは,シャンパンではなくスパークリングワインしか飲めない身にとってはしょうがない.なお,クープグラスがマリー・アントワネットの乳房をかたどったものだという話は,作り話らしい.

グラス 2

 アドリア海の花嫁と言われるヴェネチアであるが,近年浸水被害を報じるニュースをよく耳にする.この街は,ヴェネチア湾の干潟(ヴェネタ潟)の上につくられ,もともと海抜が低い.特に,ヴェネチアのシンボル的なサン・マルコ広場と寺院は最も海抜が低いエリアにあり,深刻な被害を受けている.記録によると、サン・マルコ寺院は1200年の歴史の中で,6度の浸水被害を受けている.このうち4度は,過去20年の間に起きていることから,世界的な気候変動との関係が取りざたされている.ヴェネチアを最初に訪れたのは,40年も前である.街を流れる運河は,綺麗とは言えなかった.むしろ,悪臭のするドブ川に近いようなところもあった.最近は,新型コロナの影響で観光客は激減し,幸か不幸か運河の水は随分綺麗になっているそうである.

2. ヴェニスの舟歌(タレガ編曲)をBGMにしてヴェネチアを散歩
 冒頭のゴンドラの写真とYouTubeにアップしたのは,その時(1981年)の写真である.銀塩カメラで撮影し,カラースライドから起こしたもので,画像はあまりクリアではない.最近の,デジタルカメラのシャープさと比べ物にならないが,お許し願いたい.YouTubeのBGMは,メンデルスゾーンの無言歌集にあるヴェネチアのゴンドラの歌:第1番である.ギター用にタレガ(タレルガ)が編曲したもので,ピアノとはまた異なった趣があると思うのであるが,私の下手なギター演奏で再びお許し願いたい.

3. メンデルスゾーンと舟歌 
 ヴェネツィアのゴンドラの歌(舟歌)は,メンデルスゾーンのピアノ曲集である「無言歌集」に収められている.よほどメンデルスゾーンは,ヴェネツィアあるいは舟歌に思い入れがあったのか,同名の曲が3曲もある(作品19-6, 30-6, 62-5).しかも,3曲すべてメンデルスゾーン自身がつけたタイトル(表題)である.というのは,「無言歌集」48曲につけられた表題の大半は楽譜出版社などがつけたもので,メンデルスゾーン自身がつけた表題を持つ曲はわずか5曲である[1].メンデルスゾーンは,1830年(21歳)の10月から翌年の4月にかけてヴェネチアを含めイタリアを旅している.イタリアの風物から受けた印象をもとにして作られたといわれる交響曲第4番「イタリア」があるように,イタリアの旅が印象深かったのであろう.北ドイツのハンブルク生まれでベルリンに育ったメンデルスゾーンにとって,ゲーテと同様に陽光溢れるイタリアに憧れていたのは想像に難くない.また,自らも絵筆を持ち,絵画にも並々ならぬ興味をもっていたメンデルスゾーンである.ヴェネチア旅行の目的は,イタリアのルネサンス芸術の最盛期にヴェネチアで活躍していたジョルジョーネ,ティツィアーノらの絵画を見るためだとも言われている.
 音楽の世界には,舟歌というジャンルがある.「舟歌」とは主にヴェネチアのゴンドラ漕ぎの歌を指すのだが,バルカロール barcarolle [仏],barcarole [英],Barkarole [独],barcarola,barcaruola [伊]「舟歌」と訳す.もともとヴェネツィアのゴンドラの舟歌に由来した器楽曲または声楽曲の名称で,「ゴンドラの歌」gondoliera [伊],gondola song [英],Gondellied [独] ともいう.メンデルスゾーン以外にも多くの作曲家が作品を残している.例えば,ショパンの「舟歌」,チャイコフスキーのピアノ小品集「四季」の中の1曲である「舟歌」,オッフェンバック作曲の歌劇「ホフマン物語」の中に登場する二重唱「ホフマンの舟歌」などがある.映画「ライフ・イズ・ビューティフル」では,「ホフマンの舟歌」が効果的に使われている.ナチスの強制収容所内でレコードを見つけた主人公(グイド)が,自分が生きていることを妻(ドーラ)に知らせるために放送設備を無断借用して全室に「ホフマンの舟歌」のレコードを流すシーンである.「ホフマンの舟歌」は,二人にとって思い出の曲であったのである.
 興味深いのは,ショパンはヴェネチアを一度も訪れていないし,チャイコフスキーは,ヴェネチアを訪れる前に作曲している.作曲のインスピレーション・イマジネーションは,必ずしも実体験より得られるものではないのかもしれない.他に,ラフマニノフ,リスト,フォーレの「舟歌」もある.フォーレの「舟歌」は,13曲もある.ピアノを習ったことがある方にはおなじみのブルグミュラー18の練習曲,第14番,ゴンドラの船頭歌(ゴンドラ漕ぎの歌)もあるように,舟歌にはピアノの作品が多い.ギター曲では,コストの「舟歌」が知られている.独奏曲として演奏されることが多いが,二重奏でも演奏される.この曲は「ギタリストのための楽しみ Récréation du Guitariste, Op.51」という14曲からなる曲集の第1曲であるが,最後の第14曲も同じく「舟歌」である[2,3].コストは,19世紀のフランスのギタリスト・作曲家であるが,DまたはCにチューニングされた7弦を備えたギターを使用していたことでも有名である.その他に,メルツの吟遊詩人の調べ, Op.13の第9曲「ゴンドラこぎ(の歌)Gondliera」もある.この曲は,漕ぎ進む舟や波の揺れをよく表していると思う(特に中間部).
 舟歌は,3/8,6/8,9/8,12/8といった複合拍子をとるが(多くは6/8),チャイコフスキーの「舟歌」は,珍しく4/4である.ギター曲では,低音部で比較的単純なリズムが繰り返されて舟が波間を揺れて進むような印象を与え,その上をメロディーが流れる.ピアノ曲の場合,左手が漕ぎ進む舟や波の揺れを表し,右手が人生ドラマを描くという[4].人生ドラマを描くとはどういうことなのかと思うが,右手には,随分と難しい役割が課されているのである.

[1]https://ja.wikipedia.org/wiki/無言歌集_(メンデルスゾーン)
[2]藤井眞吾 もうひとつの《舟歌》http://shingofujii.jugem.jp/?eid=138
[3]Récréation du guitariste, Op.51 (Coste, Napoléon)
https://imslp.org/wiki/Récréation_du_guitariste%2C_Op.51_(Coste%2C_Napoléon)
[4]ららら♪クラシック 名曲集 舟歌 〜波に揺れる人生ドラマ〜 2017年6月2日(金)の放送.

4. ゴンドラの唄,舟唄
 「🎵いのち短し,恋せよ,少女(おとめ)」というフレーズは,ある年代以上の人には,おなじみだろう.大正時代の流行唄(はやりうた)として知られる「ゴンドラの唄」(作詞: 吉井勇,作曲: 中山晋平)の最初の一節である.この「ゴンドラの唄」も6/8拍子で,舟歌(バルカロール)の資格十分である[1].「ゴンドラの唄」は,島村抱月の主宰する芸術座が19 世紀ロシアの作家ツルゲーネフの手になる長篇小説「その前夜」をもとに作り上げた芝居の劇中歌として生まれた.しかし,ゴンドラの少年船頭が歌い,あとで女主人公エレエナが歌う「ゴンドラの唄」に相当するものは原作にはない[1].また,吉井勇の「ゴンドラの唄」が森鷗外の「即興詩人」から詩句や詩想を借用したのであること. 「ゴンドラの唄」が黒澤明の映画「生きる」(1952)によって広く知られるようになったこと.「セーラームーン」の主人公の「決め」台詞にも,花の命は短いけれど 命短し恋せよ乙女・・・が出てくるなど,興味のある方は「ゴンドラの唄」考[1]を参照ください.舟歌(バルカロール)という意味では,別のジャンルに属していると思われるので.ここでは「歌」とせず,「唄」としますが,個人的には八代亜紀の舟唄(作詞: 阿久悠,作曲: 浜圭介)も名曲に入れてもらいたい.民謡では,最上川舟唄とヴォルガの舟唄がある.「最上川舟唄」は,NHKの依頼により,山形県西村山郡大江町左沢(あてらざわ)在住の渡辺国俊が作詞し,後藤岩太郎が編曲した新民謡(創作民謡)で,昭和11年に初めて放送された.意外や意外,「最上川舟唄」誕生物語によると,「最上川舟唄」の掛け声「ヨーイサノマガショー エンヤコラマカセー」の部分は、ロシア民謡『ヴォルガの舟唄』から大きな影響を受けている[2].なお,「ヴォルガの舟唄」は,舟唄ではなく船曳き唄が正しいようである.ロシア語で「エーイ・ウーフニェム Эй Ухнем そーれ,掛け声を出そう[3]」で始まるのを,日本人が言いやすいように「エイコーラ」にしたようである.船曳労働者たちが,きつい労働を楽しく息を合わせるのに歌った労働歌である[4,5].レーピンの「ヴォルガの舟曳き」の絵[6]を見れば舟歌(バルカロール)とは異なったジャンルであり,労働歌であることがよくわかる.

[1]『ゴンドラの唄』考 相沢直樹 山形大学紀要(人文科学)第16 巻3 号
[2]最上川舟唄 歌詞の意味 http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/minyo/mogamigawa-funauta.html
[3]ЭЙ, УХНЕМ! そーれ,掛け声だ 川べりで船を曳く人夫たちの歌.http://ezokashi.opal.ne.jp/r_eiuxnjem.html
[4]https://ja.wikipedia.org/wiki/船引き#ヴォルガの船引き歌
[5]依田るみピアノ音楽教室 675. ボルガの舟歌は舟歌でなかった https://pnet.kawai.jp/269069/topics/46380/
[6]https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴォルガの船曳き

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