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性流動性とは 〜なぜきみは女の子になりたいのか〜

 うおおお! みんな”女の子”になりたいかーーーー!?

 わかりますよ。ぼくもそうだ( ˶ ̇ ̵ ̇˶ )ただその感情って実は、「他人によって作り出されている!?」という話をします。

はじめに

「ぼく、女の子になってみたい」

 ツイッターでこういうことを言うと沢山の人が様々な意見をしてくれます。

「男性の大半に『女性になってみたい』という”変身願望”があるのだ」
「男が好きなん笑」
「パパ活(´,,・ω・,,`)!?」
「自分の体でやらしいことしたいだけでしょw」
「チヤホヤされたいんだ?」
「男性って見た目とか声とかキモいもんね……」

 実際に言われて「ん?」ってなったことを羅列してみました。
 みんなそれっぽい事を言ってるけど……ちがう。少なくとも俺はなんか……ちがうんだよッッッッ!! と思ってしまったのです。

 でも、周りから異常者認定されないように納得したふりをしたり、そのまま悪意を受けとめてしまい傷付いた経験がある人もいるかもしれません。

 今回はそんな”異性になりたい”という気持ちが、他人からうまく理解されない人のために書きたいと思います。

結論

 性的流動性(ジェンダーフルイド)ってのが存在するのかもしれないよ。ってことです。

 それってなに? という人に簡単に説明します。

性的流動性とは、自分がどんな性別だと思うか《性自認》、どんな性別を好きになる《性的指向》とかの『性』って言うのは、人生を通して同じじゃなくてもしかして”流動性”があるんじゃね? という考え方のことです。

 流動性とは、ものが流れ動く容易さを表す概念です。ここで言う”もの”とは物質に限らず観念的なのも含みます。
 とりあえず流動性=一か所にとどまらず動いたりするものと捉えて貰ってかまいません。

 この考え方が生まれた理由として、人の自認性や好きになる相手のことなんて科学的な確証なんて得られてないし、ましてや誰にも分かることじゃないよね。それに産まれて育ってくる環境とかで変化しうるんじゃね? という主張があったからだそうです。

 ではここから性的流動性の中身について詳しく解説していきます。

解説

 まず今までの『性』に対する考え方についてわかりやすい良いイメージ図が作られていたのでこちらをご覧ください。

性自認
上記の図は『広島大学ダイバーシティ研究センター』様より引用させて頂きました:https://www.diversity.hiroshima-u.ac.jp/sogiesc/intro/index.html

 現代ではこの図のように、性は二分されるのではなく境目がないような表記をされます。とりわけ性自認に関しても「性別というのは女と男だけでなく、人それぞれなんですよー」という価値観はかなり広まってきたと思います。

 しかし性的流動性という考え方では以前とは全く違うものになります。

性的流動性

 上のグラフはぼくの人生における性自認の推移です。右に行くだけ時間(年齢)が進むのですが、自分がその時点で男性と思っているのか女性と思っているのかを、青色が男性らしさで、赤色が女性らしさで表しています。

 現在11歳なのですがそれまでに大きく変動していることが分かりますね。2歳の時は自分を女性だと思っているのに、3~4歳の時には自分を男だと強く思っていたり、行ったり来たり。
 これは時間の経過や環境の変化によって自分の性が変わる、ゆえに流動しているということを示しています。
 個人的な事を言えば一年の中でも細かく流動的に動いていた記憶があります。

 これが性的流動性というものの基本的な考え方になります。
 多くの人はずーっと青色ばかりになったり、逆に赤色だけになったりするかもしれません。それでもなんら問題ないです。

 しかしぼくは、この考え方にはもっとすごい力があると思っています……!

個人的な解釈

 ここからは個人的な考え方になります。

 もしも性的流動性が存在すると仮定した場合、人の心の中にある”性”というものは男女のどちらが多いとかではなく、男性と女性が1:1であると言えます。
 つまり人は、生まれた時から心の中に『男性の自分』と『女性の自分』が同量に存在しているということです。

 故に自分が”女の子になりたい”と思うのは、変身願望でもなけりゃ性的欲求を解消する手段などでもなく、元から女の子だった自分が強く出ているだけだと言えます。

 ぼくはこの性的流動性の解釈にかなり強い自信を持っています。
 なぜなら自分でも性欲や承認欲求ぬきに女性服を着てみたいと思うことがあるし、今この瞬間だけは自分の事を女性として扱ってほしいと思っている期間があったりするからです。

 また、ぼく以外にも多くの人が「自分はどっちなんだろう……」と考えたりすることを知って、とても希望に満ちたことを覚えています。

 例えば学校のイベントなんかで女装した時に、周りから多くの「かわいい」と称賛された時。
 自分より強い男性に守られた時。あるいは強い女性に守られた時。


 そんな時に自分の中の『女性』に気が付いたりすることがあるそうです。

 従来ですと、この事について誰かに相談してみた時に理解がある人でも「トランスジェンダーかもしれないね」という評価が下されます。もっと的外れだと「ホモだろ」と言われたりもします。

 しかし自分は上記のどれでもないと思っていても、今まで自分を形容する表現がなくて悲しい思いをしたり、それ以上自分を表現することが出来なかった人がきっといるはずです。
 自分はそうじゃないのに、勝手にカテゴリされるのは誰だって嫌ですもん(´;ω;`)

 ただ性的流動性が認知されてきた時、そこに男女の性に隔たりはないとも言えるので、「そういう体験をすると急に女性面が強くでるよな」という話になってくるのです。

まとめ

 今までの価値観からすると”女の子になりたいっ”という自分の欲求は実は他人が作った価値観だったのに対し、今回の性的流動性というものを知って”自分は元から女の子の部分があった”という認識を持つことで、自分の性を肯定できるような価値観の広がりがあればぼくは嬉しいです。

 というわけで変身願望だとか性欲、承認欲求が強いと言われても納得ができなかった人にはもしかしたら、性的流動性という考え方が合ってるかも!? という話でした。

補足

 ※性的流動性は従来の認識とは違い、『男:女』という双方向の動きだけではなく、X軸やY軸にも動くことを伝えておきます。
 即ち自分には”性”がない『無性』の方や、男女どちらも何割かづつ持っているという『両性』の方、それこそ自分の性は流動していて定まってはいないという『クロスジェンダー(不定性)』の方にも性的流動性という考え方で包括することができます。

 ※なお性的流動性は性自認だけではなく『性的趣向』や『性表現』にも適用されます。好きな人が男の人だっていいし、一年後には女の人を好きになっていても性なんて流動するもんだから良いんだよっていう優しい考え方なのです(´,,・ω・,,`)♡

おわりに

 フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール (1908年1月9日 - 1986年4月14日) は、『第二の性』(1949)という本の中で言いました。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」

 そして本のタイトルにある第二の性とは即ち『女性』のことを示しています。まず第一に”男性”という、女性をおとしめるモラルや価値観を持つ性別があって、そういう観点から女性というのは二つ目の性別とされている。
 このように彼女は女性解放(フェミニズム)のための鋭い指摘をしました。

 そしてぼくはこう思います。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉が真ならば、「人は男に生まれるのではない、男になるのだ」もまた真であると言えます。

 ボーヴォワール女史の考え方こそが、ぼくが在ると信じる性的流動性の存在を支えています。なぜなら上記のように人は生まれた時点で男性性も女性性も同量に持ち合わせるのではないかと推論できるからです。

 個人的には古代から女性の哲学者がもっと存在していれば、人類は更に進化していただろうと残念に思う事があります。男性では考えすらつかなかった様々な真理を見出してくれていただろうにと。
 ですが後悔しても意味はないので、ぼくとしては今からでも正しい女性解放運動には協力していきたいですね。


 また余談ですが、”性的流動性”というものがあるのなら”知能年齢流動性”もあるとぼくは思っています。時々ぼくが11歳としてふるまいたくなる不思議もここにあるのでは……(´・ω・`)!?

 最後まで読んでいただきありがとうございました。またお会いしましょう!

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