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論証なき議論は独白合戦でしかない

 今回の記事は、下記URLの記事を参考にして書かれています。

ギロンバ  曖昧で不明確な世界で議論する【議論とは何か  論証とは何か】

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 議論において最重要の地位を占めるもの、それは「論証」である。論証を欠いた発言は、議論においてはもはや「独白」や「独り言」に等しい。言わずもがな、議論は「独白」や「独り言」をつぶやく場ではない。

 議論は「みんなで特定の問題や事象についての理解を深め、妥協点や最適解を探るための場」である。

 では、「論証」とは何なのか?

 「論証」とは、根拠と証拠で結論を裏付けることであり、ある見解を評価するための手段となるものである。

 議論を通して自分の見解を他人に伝えたいときにあなたがしなければならないことは、その根拠と証拠をオーディエンスに提示することである。根拠と証拠が欠けている論証は存在しないし、論証が欠けている議論も存在しないのである。

 確かな根拠と証拠を欠いては誰も納得させることができないし、そもそも確かな根拠と証拠を欠いた見解に納得させられてはならない。どんなに正しく思える見解であっても、そこに明確な根拠と証拠が伴っていないのなら、疑いの目を向けるべきだ。

 私は人間不信になることを推奨しているわけではない。しかし、世間に流布している意見や主張には一旦、疑いの目を向けるべきだと考えている。

 「明確な根拠と証拠の有無」という観点から、世間を広く見回して、あらゆる意見や主張を吟味してみてほしい。テレビ番組やネット上の掲示板、SNSで述べられている意見・主張は特に注意深く吟味してほしい。

 すると、論証が少ないということが分かるはずだ。曖昧な前提や誤った推論や不明な情報源に立脚した意見・主張が世にあふれていることが分かるはずである。

①議論が必要とするのは論証である。

②論証が必要とするのは明確な根拠と証拠である。

③明確な根拠と証拠が必要とするのは正しい前提や合理的な推論や信頼のある情報源である。

 上記の①~③の要件を議論参加者全員がしっかりと頭に入れていなければ、適切な議論、秩序ある議論は成立し得ない。このことを忘れないようにしよう。





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