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#2448 納得して人生を終えるには、生きるには

納得して終われる何かを見つけて安心したいです。

今やってることすべてが人生が終わる時にはなんにもならなくて、どれだけ人に囲まれても、大切な人がいても、どうにもならなくて、、どれだけ日々あがいても底知れぬ虚無に押しつぶされそうになります。

これのためなら終わってもいい、この方法なら納得して終わるというものがあれば、終わるにしても生きるにしても強いなと思っていて欲しています。

みなさんにとって納得して終えるとはなんですか?納得して生きるとは何がありますか?

漠然としている部分もありますが、生きる意味的なやつですね…

#1

私の個人的考え。自分の生きた価値は、あなたのお棺の釘を打つ人が、釘を打ちながら考えることです。従って、あなたは(私も)自分の価値はわかりませんし、納得も得られません。唯一は、最期の最期まで精一杯生きること。そして、いつでも過去を肯定して生きること。人生に無駄はない、という根拠のない自信を支えに生きること。でも、努力し続けるのは、正直しんどいです。だから、自分のことを甘やかしたり律したりしながら、明るく前向きに生きること。最悪だと思ったら、これ以上悪くはならないから、心機一転ネアカに開き直る。これが私の考え方です。

#2

GIRON主さんは、きっと若い方なんでしょうね。
別のGIRONも横から拝見していますが、人生に正面から向き合っているからゆえに生じている悩みであると推察しております。

こうした時に、年長者であろう私のような者が「したり顔」あるいは「上から目線」で物を言うのは、あまり良くないと思っています。

そこで、私がかつて影響を受けた本を紹介させていただきますね。
太宰治の『竹青』という小編をご存知でしょうか。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1047_20130.html

上記は青空文庫のリンクです。
無料で読むことができます。

もしも時間があれば、お読みください。
私は自分の生き方に関して、この本からとても影響を受けました。
その結果、ある意味では楽に、べつの意味では自分らしく、人生を生きられるようになったと思っております。

#3

私の個人的な考えは、生きる意味は死ぬためだと思います。みな死に向かって生きているのだから、生きてる間にすることはその目的を達成する手段なので、無駄なことは一つもないということです。

死について納得がいかないのではないかと不安に駆られるのは、それを考える時間が十分にあり、明日の死を考えなくていいほど恵まれているからだと思います。不安でいることがあなたの目的であり、それが心地良いのだと思います。なので、仮にここでそれらしき答えを見つけたとしても、また悩むことになると思います。

なので、そういうこと考える暇ないくらい忙しくなれば悩まなくなるんじゃないかなと言うのが私なりの結論です。

#4

>>3
>>2
>>1

コメントありがとうございました、
根拠の無い自信は、プラスの面でもてるとかなり心強いものである体験はあります。
この件に関しては、ある意味マイナスに根拠の無い自信が何をしても虚しいだけだということに向かっているのだとも思いました。

竹青読んでみました。
深く苦しみ絶望しながらも「この俗世間を愛惜し愁殺し、一生そこに没頭」という部分が印象的でした。
話は逸れますが、哲学者の竹田青嗣さんはこの作品からペンネームを付けたという記事を見て、少し不思議な感覚になりました。
この作品に触れられて良かったという感覚かもしれません。
まだまだ理解のところでは足りませんし、あの時の作品はこういう事だったんだ…など、添えてくださった意図などふと感じる瞬間はもう少し先になりそうですが、今この時のこともいつかの未来で繋がってくるんだなぁとかメタ的にとらえられたような気がします。今分かりきれなくても今が全てではない。

死ぬために生きているのは同じ考えです。
死ぬために生きているのに、周りは生き方を見れていて(ある意味死に方のためにもなっている)、私は死に方ばかり見てしまいます。
例えば前者はどうせ死ぬならこう生きようよ!
後者はどうせ死ぬならどんな死に方なら納得して日々を生きられるのだろうか…みたいなイメージです。
終わり方・死に方ばかり探している人は中々見つからず、悩みの共有など議論に繋がりにくく袋小路に陥っていました。
忙しくして悩まないようにする、結局は死ぬために生きているくせにそれをどうせ人生一度きりだの誤魔化して生きているに過ぎないんだなぁと虚しくなって壊れてました。
楽しんだって楽しまなくたって究極のところは死を忘れるための人生。確実に死に向かっているのに。

つまるところ、死ぬために生きているという矛盾というか複雑さが理解できなくて。
どれだけ忙しくしても、充実していても。それ(忙しくしたり楽しんだりして誤魔化す)をし続ける虚しさが襲ってくるんです。
一時的な魔法ですぐ溶けてしまいます。
ある意味、冒頭の前者のように考えられないから
結局のところは何をしたって虚しいと誤魔化しているのかもしれませんね…
こんな姿勢の生き方しかを選んでいるのも自分自身だって分かってるんですけど、生きるに値する世界なのか、負荷が大きすぎると感じてしまいます。
戦場の中へ放り込まれればそうも言ってられないし、どうせ死ぬなら地雷の一つでも踏んでからにしようとか、今ある環境をもっと有難く思うべきだとか何度も考えましたが、最近ではちっともそうもとらえられなくなってきた自分はもうどうしようもない人間なのかなと絶望。

比べる問題ではないという意見も多々ありますが
実際自分以外の何かが存在し続ける限り比べられ続け、比べ続けるのだと思います。
四の五の言わずに動けるようにしたいのですが動機ばかり求めてエネルギーが中々戻ってきません。

#5

基本的に人は皆、社会という枠組みの中で死ぬまでの暇つぶしをしているに過ぎないと思います。

何かのために生きるとは、後付けですよ。個人個人の環境は異なるので、その環境で役割を見つけ、その行動を通じて意味を見いだしているようなものだと思います。

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GIRON編集後記

こんにちは、GIRONの粟津です。

今日のGIRONは”納得して人生を終えるには、生きるには”です。

人生を終えるとき、何を思って終えるんでしょうか??

生きる意味やなぜ生きるのかなど、さまざまなコメントが寄せられていました。

みなさんはどう思いますか?

このほかにもさまざまなGIRONが繰り広げられていますので、GIRONアプリで覗いてみてください!

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