いま物語を書くことについて(4/22) 向井坂日記①
体調を崩して倒れた後から明確に脳みその使用可能位置が変わった。
人に対しての気づかいの部分が働かず、日常のこれまでできてたことができなくなった。(だけどこれはいままで気にしすぎて空回りしていたことが多かったし、周りの人からはちゃんとできてるよと言ってもらえる。ありがたい。)
反面、ひらめきが多くなった。神経が妙なひろがりを見せている。過敏なのに情緒不安はない。冴えているが実感はない。いつでも夢の中にいて、過集中が続くような感覚だ。頭がすぐ痛くなるのがたまにきずだが……
物語を書くことが今とても楽しい。自分の望むように書けるようになってきた。それが嬉しい。
さまざまなモチーフを「取捨選択」できるようになった。最適なモチーフの置き方も。わかりやすく一本道がひけるようになった。しかもその上で、ここまでやれるか、もっとやれるか、というぎりぎりのラインを探している。冒険心にあふれている。
うれしい、とても。
昨日、稽古が始まった。
池袋は巨大な処刑場である。
円形の広場。観客の熱気。
そして野蛮な見世物がはじまる。
中央には犠牲者がいる。
善悪の型の上で彼らは供物になる。
その供物こそ女優ではないのか。
演出家という死刑執行人が大きな斧を振り下ろす。
幕が開く。
彼女たちの身体がくだけちる。
観客の心に大きな衝撃が走る。
それは彼らの人生を変えてゆく。
演劇とは処刑である。
そして演劇の街 池袋は巨大な処刑場である。
この病的とも言えるイメージを舞台の上にあらわしたい。否、あらわせられるとおもっている。
『向井坂良い子と長い呪いの歌』
ぜひ来てください。
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