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【SS小説】銀河鉄道マニアの夜

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊つるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問いをかけました。
 カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。

(1934年 文圃堂書店『銀河鉄道の夜』宮沢賢治)


「ではみなさんは、そういうふうにデゴイチだといわれたり、日本国有鉄道の前身である鉄道省が設計したのだといわれているこの素晴らしい型の蒸気機関車がほんとうは何かご承知ですか。」

会長は、白いきゅうりのごとき顔から吊り下げたびん底メガネを指先で摘んで持ち上げるようにしながら、狭くむさ苦しい部屋に密集する面々に問いかけました。

神居七吾(かむいしちご)が手をあげました。
それから一、二人手をあげました。

条谷尚(じょうたになお)はここにいる五人全員の中でただ一人手を上げられなかったことに内心焦り、赤面して恥じ入りました。
たしかにあれが何かのSLだと、先週半ば強制的に買わされた猥雑な雑誌で読んだのでしたが、このごろは条谷はまるでこの会合に参加する気力もなく、真鍮製の細かい部品にたいした興味もわかないので、なんだか蒸気機関なんて正直全くわからねえという気持ちがするのでした。

ところが会長は、目ざとくもそれを見つけたのでした。

「条谷さん。あなたはわかっているのでしょう。」

条谷は勢いあまってパイプ椅子から転げ落ちそうになりましたが、何とか踏みとどまって顔をあげると、もう何か答えねばというプレッシャーが全身に圧し掛かるのでした。

渦巻きメガネをかけた佐内(さない)が横の席からふりかり、無様な条谷の様子を見るとニヤッとほほえみかけました。

条谷はもう全身萎えてしまいました。会長がまたいいました。

「大きな虫眼鏡でリベット接合部をよっくみると、実に面白いですよ。」

やっぱりこいつら鉄道マニアだと条谷は思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。

会長は一人ボイラー部を観察し始めたようですが、突如眼を薄汚い部屋のなかほどへ向けて、

「神居寝るな!これはわれら非公式鉄道同好会の神聖な会合なのだぞ。」

と名指しました。

「そうですよ七吾サン。私はこの電気溶接の素晴らしさを小一時間ほど語れるというのに……。」

神居が反駁した。

「馬鹿者、おれを名前で呼ぶなと何度も言ったろう! その呼び方をされるとまるでおれが通過儀礼のようでわないかそうでわないか。」

「なにくそ先輩に偉そうな口を聞くな。新参者のくせに入部当初からふんぞり返りやがって、おい同期で入ってきた条谷とかいうやつ、こいつお前の親友だろどうにかしろ。」

佐内が偉そうに指示すると「馬鹿な、親友なはずがなかろう」と神居が鼻で笑いましたが、条谷はこの阿鼻叫喚と化した会合を止めることもなくただ呆然と見ていました。けれどもいつしか条谷の眼のなかには涙がいっぱいになりました。


#SS小説 #銀河鉄道の夜 #お遊び

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