NZ留学体験記④自身の成長編
今回の短期留学を通して自分自身成長したと思うことが3つある。①行動力②貫徹力③柔軟性(寛容性)である。
①行動力
この1か月、未知の土地で、行こうと決めたところに自分の力と足でたどり着くという経験を沢山積んだ。
行動力が一番伸びたと思うのは「プログラム開始以前」のメルボルントランジット旅行の時だったように思う。そこでなんとスマホなしでメルボルン観光を自分の力でやりきったのだ!(自画自賛)
完全に自業自得なのだが、スマホのeSIMの設定が正しくできておらずネットが繋がらないまま、メルボルン空港から高速バスで中心市街地に来てしまうという痛恨のミス。時間までに空港に戻らないと飛行機に乗れないというプレッシャーの中、せっかくだし!と思い切って観光することにした。
紙の地図を片手に街をきょろきょろしながら、拙い英語で周りの人に聞きながら動く(街ゆく人の目線を感じた)。「初海外一人、英語コミュに不慣れ、方向音痴、真夏の暑さ、飛行機までの限られた時間、そして位置情報なし」という完全に致命的状況の中、見よう見まねでトラムに乗ったり、道を曲がったりと必死だった。同じところを1時間くらい永遠に周回するという滑稽なことも。結局沢山は回れなかったが、少し観光して高速バスに乗ってちゃんと空港に戻ってこれただけで自分の中では大成功だった。
この成功体験がニュージーランドでの一人行動に自信を与えた。スマホなしで動けるなら今やどこでも行けるだろうと少々過信していたかもしれない。ホストファミリーには小さい子供がいて、ホームメイトもいなかったため、週末は常にプチ一人旅をしていた。使える交通手段はバスと徒歩のみ。目的地に一番近いバス停から1時間以上歩くことも少なくなかった。
また、一人で行動したからこその人との出会いも色々あった。週末にはるばるオタゴ半島に行ったとき、海岸沿いのくねくねした車道の端を歩いていたらある車から声かけられて、狭くて危ないからといって親切にも目的地まで乗せて送ってもらえたのはいい思い出だ。
これらの経験を通して、今や(どこへでもとは言わないが)英語が使えるなら多くのところへ一人ででも行ける気がしている(油断大敵)。
②貫徹力
2つ目の貫徹力については、「1か月毎日英語で日記を書ききったこと」と、「周りに流されず英語を使い続けたこと」である。
▼帰国後パソコンに打ち込んだもの(人名省略)
特に後者について、実は色々と思うことがあった。プログラムの特質上参加者のほとんどが日本人だったため、日本人同士では日本語で会話している人が多く、正直私は自分がそうするのも、聞くのも嫌だった。なぜなら私は英語力を伸ばすために留学しに来ているのであって、遊びに来ているわけではないからだ。目的をはき違えてはならないと思ったし日本語を使うのは「甘え」だと思った。もちろん留学目的やそれに対する熱量は人それぞれ違うだろうから私の考えを強要するつもりはなかった。しかし、私は自分の目標を達成するため、あえて日本語を使うことを避け、たとえ日本語で話しかけられても英語で返すよう心がけた。また英語がよく話せる友達と積極的に関わるようにした。
私が特に感謝している友達が2人いる。一人は日本人学生で幼少時からアメリカによく行っていてネイティブ並みに話せる友達、もう一人はプログラム参加者で唯一のブラジル人学生でワーホリ中で働きながら学校にも通っている友達だった。2人ともとても優しく私の話を聞いてくれたので安心して話すことができ、おかげで最初より明らかにスラスラ英語が出てくるようになった。特にブラジル人の友達との時間はとても貴重だった。ブラジルについても色々知れたし、なにより彼女の人柄や考え方に感銘を受けた。私にとって、じっくりと色々な話ができた外国の友達は彼女が初めてだったので、出会えて本当によかったなと思う。いつかブラジルに会いに行くのが楽しみ!
正直なところ、私はあえて日本語で話している人を避けていたところがあるので日本人の友達が沢山できたわけではないし、学校で一人になることもしばしばあった。時々それに寂しさを感じて、日本語で話しかけてたら仲良くなれたかもなと少し残念に思うこともあったが、今振り返れば自分の選択は間違っていなかったと確信している。
③柔軟性(寛容性)
最後3つ目の柔軟性(寛容性)について。抽象的な感覚ではあるが、1か月ニュージーランドで過ごす中で、今目の前に広がる世界や暮らしを大切にし、受け入れるという心の広さが少し養われたように感じる。特段何かに追われることもなく、ゆったりとした時間の流れを肌で感じられる瞬間が沢山あった。何の目的もなくただ散歩するとき。ビーチでアシカが寝そべっているのを眺めているとき。木陰で昼寝をしているとき。バスを待っているとき。2歳の娘ちゃんがキャッキャはしゃいでいるのを見守るとき。赤ちゃんのほっぺをぷにぷにしているとき。
ニュージーランドの日々の暮らしの中にある、ちょっと一息ついたときの心の機微。一度立ち止まってゆっくり世界を見渡せば、それまで自分が気づかなかった温かさや美しさが沢山あるのかもしれないな。
その他の気づき
公衆トイレはオールジェンダートイレ(男女兼用)
最初は少しためらわれたがのちに慣れた
自分の後ろに並んでいるのが男性、両隣で手を洗っているのが男性というのも普通にある
バスシステムが違う
車内アナウンスがなく、自分が下りるバス停の直前にボタンを押すスタイル。ぼーっとしていると普通に通り過ぎる
車内に広告がない。BGMは運転手の好み
距離ではなく回数ごとに一定料金
自転車やキックボードを載せられる
バスの運転手が寛容な場合が多く、少し乗り遅れてもドアを開けて乗せてくれる
降りるときに”Thank you!”と運転手に聞こえるように言う。運転手が”Have a nice day!”などと返してくれることも!
中国人に間違えられる
観光地にいる中国人に中国語で道などを尋ねられることが何度か。中国人だと思われている。英語で話してくださいと頼んでも話せないと言われ、google翻訳で日中翻訳(少しでも中国語話せたらなぁと思った)
日本人としてのアイデンティを強く意識した瞬間
留学総括
今回の留学全体を振り返って、短期ながらも、人との出会いと自分の成長の両面でとても充実していたと思う。1か月はあっという間でまだまだ行きたいところが沢山あるのでニュージーランドはまたいつか必ず訪れたい(ひょっとしたらワーホリで来るかも?)そして何より2歳と0歳の子供たちの成長した姿を見るのが楽しみだ。私のこと、うっすらでも覚えてくれているといいな(←多分厳しい泣)
もちろん国内旅行も素晴らしいが、海外はより驚きと発見に満ちた果てしない世界が広がっている。徐々にステップアップしながらこれからも色々なところに行ってみたい。まずは東南アジアからかな。自分の目で見て、耳で聞いたとき、私は何を感じるのだろうか。
(to be continued…)
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