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聴覚障害を持つ子の子育て日記

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息子の聴覚障害・発達障害・外表奇形などの障害を通して これまでの資料や母としての葛藤・気づきが現在子育て中の方の何かのお役に立てば。との思いで書いています。
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⑤転職していきなり妊娠、切迫流産

新しい職場に転職してまだたったの3か月しか経っていなかった。 人間関係もまだ構築できていないというのに妊娠してしまうとは。 初めてだからか、妊娠や出産そのものに対して軽く考えていた私がいた。 妊娠がわかっても普通通リの生活をし、職場へも何変わりなく通勤していた。 ただ、妊娠したことはちゃんと職場に伝えた。 オシャレなコンクリート打ちっぱなしの3階建てのデザイン事務所。 2階部分が仕事場、1階はデザインされた薄暗いシンプルな照明器具と会議テーブル、そして洋書がず

④赤ちゃんできちゃった

そんな不思議な夢を見て間もない頃、これまでの感覚にはない体の変化に気がついた。 生理もなんか変な感じである。 「もしかして?」と妊娠検査薬を試してみた。 「あ。陽性??」 「ねえ。どうしよう」 「え。。!どうする?え?産みたい?」 「うん。産みたい!」私は即答した。はっきり言って何も考えていなかったかも。 「そっか。わかった。」 その後お互いの両親に電話で報告した。 私は父から「裏切り者」と激怒されてしまった。 戦中生まれの父にしてみれば結

③すべては不思議な夢から始まった

私が23歳の頃 世の中はちょうどバブルがはじけだした頃だった。 美大の建築科を卒業後、環境系のデザイン事務所に入社が決まった。 その会社は店舗のインテリア、エクステリア・都市デザインの環境など空間デザインを業務内容とした小さなデザイン事務所だった。 主にカフェや駅の構内の一部の空間のデザインや、案内サインの設計などが主だった。 作ってしまうと動かせない環境デザインという仕事は使う人やクライアントにとっても有益であるものになることはもちろんのこと、後に残る工作物は

②プロローグ

初めての出産は自分の体でありながら、自分の体がどうなってしまうのかわからない。命がげではあるが、生命の神秘を初めて体感する不思議で貴重な経験である。 思いがけない妊娠からスピード結婚をすませ、 妊娠9ヶ月になったころ、里帰り出産のために私は神奈川の家から両親の待つ神戸へと帰った。 結婚よりも先に妊娠してしまったことを最初は激怒していた両親も、すっかり受け入れてくれるようになり、身重である娘の身体をたいそう気遣ってくれた。 一年前、OLをしながら学校まで通って建築士の資格

①はじめに

この子育て日記は 聴覚障害と発達障害のある息子の子育てからたくさんの幸せをもらっていたなあと子育てが終わりかけの頃つくづく感じまして 当時先生との連絡帳や私の日記などをもとに、息子が成人したあたりからちょこちょこ断片を集め、文章として書き溜めていました。 最初は「きれいごと」一見よいことばかりで構成していたのですが、もっとムカついたり、なさけないことや、それこそお恥ずかしいような内容を入れこんだ方がメリハリがつくかなとも思いまして都度推敲を重ね一つの作品が出来上がりました。

自己紹介

28年前、その頃の私は自分のやりたい仕事に希望を抱いてワクワクしていました。ところが思ってもみなかった妊娠。そして障害を持つ子の出産。 外表奇形に、聴覚障害、発達障害など次々に障害がわかってきました。 もう、ひとつひとつ受け入れるしかありませんでした。 それでも想像もしなかった展開、思い通りにならない現実との葛藤を抱きながらも子供はたくましく成長していきました。 できちゃった婚、出産というだけでも私を取り巻く環境がガラリと変わってしまったわけですが、さらに障害児の出産

聴覚障害を持った息子に描いた絵本。結婚式に参加して。

生まれつき聴覚障害を持った息子の子育ての記録です。 彼は小学生からは手話のある聾学校に通いましたが、それまで手話は与えない、口話法教育の環境にいたということで、コミュニケーションの手段はジェスチャーか絵でした。 聾学校通いの経緯は↓ 生まれつき聴覚障害・発達障害のある子を育てて 今回の絵は 主人の弟=息子にとってはおじさんに当たる人の結婚式に参加したという話です。 絵は絵本として綴り、表紙に紺色の布を貼りました。 下の妹が麻疹にかかってしまい、結婚式に行けないというと

子供にとっては恐怖 歯医者

息子は聴覚障害と発達障害を併せ持っています。 もう成人し、母としての振り返り日記です。 言葉の概念が育つまでは言葉って使えないものなんです。 なので幼児期は絵でコミュニケーションしていました。 詳しい話はこちらに 生まれつきの聴覚障害発達障害のある子を育てて 歯医者って口の中を一定時間空けさせてガーーっとやるわけですからわかっていない子供にとっては怖いのも仕方がないと思います。 息子の虫歯が見つかったのは4歳くらいの時でした。 元々背骨の奇形もあったせいか、口が大

発達障害児ゆえのこだわり-1

回るものが好き 息子は聴覚障害と発達障害を併せ持っています。 もう成人し、母としての振り返り日記です。 詳しい話はこちらに 生まれつきの聴覚障害発達障害のある子を育てて 発達障害とはっきり判断されたのは中学部の時でした。 聴覚障害は赤ちゃんの時に判明し聾学校の乳幼児部から幼稚部へと通うことになったわけですが、その(聴覚に)障害のある子ども達の集団の中に入れても、なんかうちの子だけ違うよなーといつも感じていました。 一番上の子供でしたし、ちょっと変わった癖のある子、ま

絵で子育て聾学校幼稚部日常の日記その2

前回の続きです。 前回の記事は↑ 聾学校の幼稚部では毎日の日常の一コマを息子と繰り返し話をするための絵日記を求められました。 学校では担任の先生が絵日記をもとにお話してくださいます。 「言葉」そのものを教えるというのではなく、日本語の言葉の「概念」をまずは子供がつかんでいけるようになることが大事かと思います。 口話法での教育でしたので手話を与えず本人にあった補聴器をつけて毎日話しかけました。 今回の投稿も前回と同様日常の絵日記です。 口話法で、言葉の概念がまだない

絵で子育て聾学校幼稚部何気ない日常の日記

聾学校の幼稚部では毎日のなんでもない日常の一コマを息子と繰り返し話をするための絵日記を求められました。 学校では担任の先生が絵日記をもとにお話してくださいます。 いま思えばこれが毎日できたのも、彼が一番上の子だったからかもしれません。 本当によくある日常、大人にとってはつまらないことかもしれませんが、ネタにしています。 汚い!って言いたいところだけど、、、 「ぞうさんオムライス」という絵本があって、真似して作りました。 当時ファービーが流行っててボール紙でファービ

やってはいけないことを伝える時 聴覚障害児の子育て

息子は先天的な聾者です。 現在はもう成人しましたが、6ヶ月の時聾であることがわかりました。 10ヶ月の頃から口話法教育の聾学校へ通うようになりました。 前回の記事は、 何かこれから行動をするときに本人が予測を立てることができるようにカードを作ったり絵のカレンダーを作ってリビングに貼っておいて説明を重ねた。というような話でした。 前回→行動の予測を立ててやる そしてその前の記事では 行動の前にぐずる時 これらの記事をアップした後、(聴覚障害ではない)発達障害を持ったお

行動の予測をたててやる・聴覚障害児・発達障害児

前回の続きとなります。 前回の記事→行動の前にぐずる時・聾児発達障害の子にも これからどこに行くか・何をするかを子供が理解できていない時に(出かける準備してる忙しい時に)ぐずったり暴れたりすることが多い。と書きました。 聞こえる子は生まれた時から(お腹にいるときから)たくさんの言葉を聞いてたくさん理解しています。 行動は言葉に伴うので2歳ごろにもなるとかなり聞き溜められていて、生活で交わされている言葉はほぼ理解しているように思います。 それは健聴の二人目を育ててわかり

行動の前にぐずる時 聾児発達障害の子にも。

これから出かける時、健聴の3−4歳児ならば、 「これからどこそこ行くよー」とか 「誰それとあってなになにするよー」 と言葉でまず声をかけ、それから行動するかと思います。 その子の知っているところや人、物の話をしているなら、子供はこれからの行動を予測できます。 わからない場合も 「〇〇ってどこー?」とか 「〇〇ってなにー?」と大人に聞くことで確認していますよね。 その「自分のこれからの行動」を自然に予測できることで精神的な安定を図っています。 ところが、聴覚障害児の場合