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母のミュージックテープ

浪人時代は、札幌の「桑和学生ハイツ」という大きな学生寮にお世話になった。

寮生活にあたって、母は新しい下着や湯沸しポットといった寮が持ち込みを許している生活用品と一緒に、シャープのラジオカセットと、数本のミュージックテープを買ってくれた。
当時母は釧路のミサキレコードで働いていたので、若い店員さんにでも聞いてくれたのだろう。センスの良いセレクションだったと思う。
服でも靴でもカバンでもそうなのだが、こういうものを買うときも僕の欲しい物ではなく、これを聴きなさい、と自分でセレクトして買うのは母の昔からの習慣なのだ。

買ってくれたのは、ビリー・ジョエルの『イノセント・マン』と『コールド・スプリング・ハーバー』、レイ・パーカー・ジュニアの『I Still 愛してる』、松田聖子の『Canary』そして稲垣潤一の3rdアルバム『J.I.』だった。
中でも稲垣潤一の『J.I.』は本当によく聴いた。

何と言ってもこの『J.I.』には筒美京平先生の大名曲『夏のクラクション』が入っている。

高校生の時、甲斐バンドに憧れるあまり、作曲の真似事を始めた僕にとって、稲垣潤一の『ドラマティック・レイン』は特別な曲だった。
どちらかというと平易な循環コードで出来ている日本のロックチューンを歌っていた僕には、『ドラマティック・レイン』のBメロの歌詞がサビの頭に食い込んでいくあの感じが不思議で仕方がなかったのだ。
今思えば当たり前のことだが、自分で作る曲に同じ技法を盛り込もうとしても、真似るだけではうまくいかない。作曲って面白い!と思った。
「筒美京平」という作曲家の名前が、特別なものになったきっかけは稲垣潤一だったのだ。

母が買ってくれたミュージックテープは、その後もずいぶん長く僕の手元にあった。
予備校の寮を出て5年。社会人になって初めて車を買った。
黒いISUZUジェミニ1600ZZ Handling by LOTUS。
1989年、まだCDに否定的だった僕は、自分で取り付けたKENWOODのカーステレオにカセットテープ用のモジュールしか載せなかった。
車では母が買ってくれたミュージックテープが、あの頃僕の中にあった自信や希望のようなものも再生して、はじまったばかりの社会人生活を慰めてくれたのだ。


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