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おんがくのまほうとライブハウス

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愛しきすべての「きみら」へ。遺書がわりにすこしずつこっそり書き足しておくけどきみはいつかわたしを忘れるしそれならそれでいいと思う。
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バトンタッチが夢だった

望んでいたのは、「わたしが必要じゃなくなる未来」。端的に言うならそういうことになる。

3年程前に「左目にも変性がある」と言われた。視力検査で片目を塞がれるたびに、右目で見る検査表の格子はぐにゃぐにゃ歪み、左目で見ると四角はきれいな四角だった。だから、「左目はなんともない」と信じていた。最初からあったのがたまたま見つかったのか、そうじゃないのかは、わからない。それでも視界が歪んでいない以上、「まだ

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途切れた世界へ

何故、の答に求められるのは理由なのか動機なのかそれともわたしがそこに込める想いなのか。写真には撮り手が色濃く写り込む。だからこそ、わたしについて語ることは意図的に避けてきた。そこに込められたわたしの感情に対する理解とか共感とかが欲しいわけじゃない。わたしの日々の喜怒哀楽も死生観も祈るような想いも、わたしにとっては「真実」で、そして「なんの価値もない」。そういう前提で、わたしはずっと生きてきた。わた

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The Image

わたしはただ「居心地のよい場所」が欲しかった

写真を撮ることは呼吸をすることと同じだ。写真展をするからとか発表を前提として撮るわけではない。それは、ごく個人的な「たからもの」の収集なのかもしれない。子供の頃、貝殻やビー玉や石ころが「たからもの」だった、その延長線。わたしが撮るのは、どこにでもあるなにげない光景で、誰にでも撮れるような写真ばかりだ。そう、そこで「シャッターを押しさえすれば」。けれど

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for dear...

ライブを撮り始めたきっかけってなんだったんですか

いきなりそんな突っ込んだ質問をするきみに内心驚きながらなんとなく話したことはたぶん「だいぶ途中から」だ。そもそも人間を撮ってはいなかったから最初は断っていたこと、今でも人間をかっこよく撮るというような意識では撮っていないこと、そんな話をしたのだけれど。

きっかけ は なんだったんだっけ

写真にのめり込む遥か前、生きるのが辛かった時代にわたしを

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Live work

失明しかけて一旦なにも撮れなくなってからまた撮り始めたわたしは、やっとライブの写真を単なる「データ」から「作品」へと変換できるようになる。

流れ作業的にwebに上げて後は好きに使っていいよ、ということしかしていなかったし、写真展ではライブの写真は展示していなかった。なんらかの形にしたかった、けれど、うまく形にならなかった、それを、ようやく形にする術を手に入れたわたしは、風景の写真とライブの写真を

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overflow

危ないからやめなさいって言われてもやめないのよね。呪いか、これは。

左目には多焦点眼内レンズを入れたので視力は1.2くらいになり、右目の視力は0.1未満。コンタクトをまた右目にだけ入れるという手もあるのだが、右目がいつどうなるかは神のみぞ知るとなれば、もうコンタクトも恐い。近所の眼鏡屋で急ごしらえした眼鏡でどうにか仕事はしたけれど、どう見たらいいのか『脳が慣れない』感じだった。

左目の視力が安

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over fear

すべてを捨てて選んできたと思っていた『たったひとつ』が手のひらからするりと落ちた。

2009.08.24 朝起きたら、目が見えない。
右目、網膜剥離。左目は白内障でもとから見えていない(既に手術日は決まっていた)。網膜剥離の治療の後、予定通りに白内障の手術をし、右目の先天性のなにかよくわかんないそれは確たる治療法がないので爆弾として右目に埋まったまま、わたしは無事に職場復帰した。ラッキーな事に写

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over drive

そのスピードじゃないと見えない景色ってのが、あんだよね。

2008.02 中古屋でライブを撮るためだけのレンズと、一番安いデジ一眼のボディーを買う。

行って帰ってこれるならどこまでも行った。ボロボロに病んでいた頃の名残で、ろくに食べていなかったし、一時間毎に目が覚めるからどんなに遅く帰って来ても朝6時からの仕事にはちゃんと行けた。

2009.06 見えない、と、頻繁にコンタクトレンズを変えて

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