古い団地のトイレの中でどうしようもない昭和感を感じてしまう
家は昭和50年代に建設された古い団地の4階である。
今(2024年現在)は古い団地の4階に住んでいるが子どもの頃は東京都大田区蒲田の徒歩10分ぐらいの社宅に住んでいた。
ここでも昭和感はぬぐえないのだが家の中のトイレという場所はとんでもなく昭和を呼び起こす空間なような気がする。
誰もが1日、何回も使うトイレは和式から洋式に変化していき、ウオッシュレットつきや勝手に便座のふたが開いて「どうぞ」と言っているような感覚のトイレに変貌した。
便座に座るとほっとする自分だが、昭和に出来たトイレのドアの裏には(中側というべきか)棒人間がトイレの使い方を教えてくれるシールが貼られており、子どもの頃はそれを毎日見て、トイレの使い方を習得した自分がいた。
それが、、現在2000年を過ぎ年号も令和という真新しい時代のなかで、私は今でもその棒人間がトイレの使い方を紹介するシールを見ながら用を足している。こどもの頃に戻ったような、昭和をひしひしと感じるのだ。
トイレという空間は小窓がついていれば昼間、電気代はいらない。今の家がそうだ。古い団地の4階に住む私はこの小窓で救われているかもしれない。
もしこの小窓がなければ昭和感はもっとおぞましくタイムスリップしたような感覚に襲われるであろう。
そしてにおいだ。トイレのなかに管が通っており修復してもにおいは消えることなく、消臭元やシュッシュッやぷしゅーを使わなければそのにおいとはおさらば出来ない。
退院してから、その昭和感はもっと私に近づいてきた。
2か月半も病院に入院してたので広いトイレを使うことになり、においもなくいつも清潔でぺらぺらのトイレロールを使い気分は上々だったのに、退院してから10日という日々が過ぎ、リハビリした足で古い団地の4階まで登り玄関ドアをあけると、そこだけ古びたトイレの空間が目についた。
「こんなに古かったっけ・・・」
トイレという空間がとてもつもなく古く感じるのだ。建物も昭和だが、トイレはまさに昭和、平成、令和をカクテルしたようなにおいを放ち、いつも見ていた棒人間のトイレの使い方を見てそこを後にする。でもさきほど、トイレに入って用を足したとき、黒ずみが出来ていることがわかり、デッキでごしごし綺麗にした。まともになったかと思えばそうだが、やはり昭和感は否めない。明日、消臭元(不織布みたいなものに液を湿らすヤツ)ラベンダーの香りを買ってこようと思う。
現在はおとなふたりの生活なのでトイレを怖いとか行きたくないとか思わないが小さな子どもがいたら
ピカチュウおでまし!みたいなぬいぐるみを置いてやらないとトイレに入ってくれないかもしれない。
夜中にトイレに行くとき、この私でも暗闇の中に入っていく気がして怖いときもあるが、この昭和感のするトイレを令和感にする気は毛頭ない。
昭和感ただようトイレは昭和感ただよう喫茶店と同じだ。棒人間が教えてくれるように今晩も明日も人はトイレに行くだろう。
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