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キリンになりたいジャッカル??


私はこの病態になり、多くを学びました。

簡単に言葉で集約すると。

『人は1人では生きていけない』

という言葉が近いかなと思います。

自分でできない事ばかり。
人に頼らないとできない事ばかり。

そういった物理的な事。

なにもできない自分、思い描いていた事が潰えた自分、大切な存在を守れない自分、やりたくてもできない自分、いろんな自分、事柄と向き合わなければなりません。

その精神的な管理の事。

本当、何においても1人では生きていけない、という事をまざまざと感じさせられました。


私は今までの人生、ほとんど他人に興味がなく、自分で答えを出して、自分の中で解決して、自分でなんとかして生きてきました。

それ故に、偏った考えの小さな価値観の世界で生きていました。

狭く息苦しい世界で生きてる事にすら気づいてませんでした。

むしろそれを正当化していました。

それで自立していると思ってました。

今ではそれらはただの『驕り』『自惚れ』でしかなかった事に今は気づきました。

私が離婚となってしまうような関係を作っていたのもワクチンのせいではなくて、私自身の生き方に問題がありました。

道徳を失えばそれは当然の結果だと思います。

この病態に向き合いながらも、自分とも向き合ってきました、そして、多くの方に助けを頂いて、教わり、なんとか今生きてこれました。

私自身も自分と向き合うために、心理学を学びました。

その中で、

NVC(Nonviolent Communication)非暴力コミニケーション

という方法、意識、の事を知りました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、NVCを体系付けたたマーシャル・B・ローゼンバーグ博士の講義の映像があり、その中の話で『キリン』『ジャッカル』がそれぞれ対象的な象徴として出てきます。

ジャッカル
正義感などを背景に非道徳的な意識を根源とする表現の象徴として語られている。

キリン
キリンは首が長いため脳に血液を運ぶためには発達した心臓が無ければ成り立たず、その大きさは地上の動物の中では1番大きいと言われている。そのためここでは心臓(ハート)の大きな動物と認識し、ジャッカルとは対象的に、正義感、使命感、そんなものを背景とした意識や表現に対する代償(罪悪感、羞恥心、責任感、等)から解放する選択肢としての意識、表現。そんな非暴力的な象徴として語られている。


私がまさにジャッカルであったし、私自身に対しても、身近な人たちに対しても同様にその意識の元、流されるように生きていた。


私は今後の人生の課題として、私自身のジャッカルと向き合わねばこの先より良い未来はないと確信しており。

私が今の窮地に陥った事も、必然だったのかもしれない。

そして、私が回復に長引いている原因も、それらの心理衛生的に自立しておらず、そして自分の周りにそういった環境を作ってこれていなかった事も大きく関係していると考えている。

私にとってはコロナワクチン後遺症、mecfs、うつ病、それらを治そうと思ったら、そういった自分を治そう、という事に等しいと思っている。

どんな治療をすればいいのか。
そういう事に囚われるが。

あらゆる治療を挑戦してきてほとんど効果が無かった事も関係して思える所ですが、やはり心と体は密接に繋がっており、治療というのは物理的な事柄だけに留まらないという事。

そういう事を体感しております。、

だから、私はジャッカルでありキリンになりたい。

心からそう思い、第2の人生を作ってく上で、私には大きなワードになりました。

キリンになりたいジャッカル

キリンになれたジャッカル


になれるまで、

お付き合い頂ければ幸いです。

あなたと、あなたの大切な人が幸せでありますように。





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