だいじょばない
昔はよく2時間ドラマをみていた。
渡瀬恒彦が好きで、十津川警部シリーズにはじまり、タクシードライバーの推理日誌とか、世直し公務員ザ・公証人、おみやさん、警視庁捜査一課9係…再放送もだいたいみたことあるからおそらくほとんど全話みているのだろう。
あぁいうのにはだいたい不幸なオンナがでてくる。
わたしは大丈夫、なんとかするから…って加害者を庇い、罪を被り、あのときはあぁするしかなかったの…って涙する。
そんなオンナ。
そういう役はだいたいいつも同じ女優が演じていたからきっと、コンセンサスが得られた「不幸なオンナの雰囲気」というものがあの業界には存在するのだろう。
昔は好んで、といっていいほどにみていた2時間ドラマ…今はなかなか肯定的に受け止められない。
大丈夫っていうひとは、だいたい大丈夫じゃない。
いや…だいじょばないじゃん。めっちゃフラグたってますやん…。
時間ドラマをみるといつの頃からかこんなことをおもうようになった。
そぅ。大丈夫っていうひとは、だいたい大丈夫じゃない。
それは日常でも比較的そうで、だいじょばないときに、たとえば、お仕事ならお休みするとか、体調が悪いなら医療機関なり専門家なりに相談するとか、そういう適切なシグナルを出せないひとが一定数いて、そういうだいじょばない状況なので大丈夫ですっていうひとは、一定数、いる。
そして、そういうひとたちは、ほんとうににっちもさっちも行かなくなって…崩壊する。
2時間ドラマなら、たとえばちょっとくたびれたスーツ姿の渡瀬恒彦が「いや違う、ほんとうのあなたはそうじゃない」とか知ったふうなことを言い出してそのひとの頑張り過ぎた心を救ってくれるかもしれない。ワンチャン、真犯人をみつけ無罪を晴らして、拗れてしまった大切なひととの関係修復のきっかけを与えてくれる可能性もある。
でも日常に渡瀬恒彦はいろんな意味で存在しないし、周囲のひとが知ったふうなこと言って助け舟をだすこともほぼない。
複雑な社会のなかでいくつかの社会的立場をもち、好むと好まざるとに関わらず毎日たくさんのひとと交わる日常のなかで、もっとも優先するべきは自分であると主体性をもって人生に向かい合わなければ、ずっと誰のためにもならない我慢を強いられる人生を歩むことになる。
仕事がつらくてでも「周りのひとたちは自分よりずっと大変な思いをしてる」などと不適切な基準範囲を設定してしまうと、大丈夫じゃない状況で大丈夫ですって答えなければならないことになる。
そういう「自分の基準範囲」はもっと主体的に、社会・組織・コミュニティに対してもっと厚かましくなっていいとおもう。
ベースラインの設定と閾値の設定は自分のスケールで行わないと、自分の大丈夫を見誤る。
少なくとも会社は、無理して行くところじゃない。
仕事は降って沸いた人生の暇つぶし。
命削って働く必要はない。
正しく声をあげてほしい。
えっ?無理!だいじょばない!!って。
自分の無理や大丈夫じゃないを正しく把握して正しく訴えられるようになればきっと、周囲のひとの大丈夫じゃないも正しく許せるようになる。
そういうひとりのちょっとした変化の蓄積がそこをだいじょばないに寛容な場所にかえていくんだと、わたしは信じてる。
そして、自分の許容範囲を知り、適切にだいじょばないサインがだせることは、数少ない自分に対する責任でもあるとわたしはおもう。
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