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ぐらぐら

初めてのことだった。
「生きていたくない」と思った。
このまま生きていても仕方ないと思ったのだ。
誰の役にもたてない、がんばれない、認められない。
自分の体を見ても自分の体だと思わなかった。
意識がぼんやりとしていて、呼吸している感覚もなくて。

誰にも迷惑だとも役立たずとも怠慢だとも言われていないのに、そう思われているんじゃないかと被害妄想ばかりが頭に浮かぶ。

私は周りが見えすぎる。
これはずっとそうで。
あの人こう思っているかも、と何となく推測をたててしまうのは癖。
良い方に転べば気配りができる。
悪い方に転べば早とちり。

特に負の感情を察知した時には根源がすべて自分であるかのように思われてくる。
必死に自分の行動や言葉を洗い出して、何がいけなかったか考える。

これは誰に対しても発動することで、家族に対しても気をつかう。
私の父も母も思っていることが表に出やすい性格かつ、ころころと気分が変わるから、突然負の感情にあてられてしまうと胸が苦しくなる。
大好きなふたりなのに、大好きなふたりだからこそ、自分が原因で落胆したり、辛い思いをさせたりは絶対にしたくないのだ。

だから今この状況がとてつもなく苦しい。

私は3年前、夢をかなえるために上京した。
しかし結果的に生活を続けることが困難になるほど、精神的に参ってしまい、帰郷した。
それからというもの、両親が働いている間は家事や、父の仕事の手伝いをして過ごしている。
収入はほぼ0。
しかし大人になってしまった以上、支払わなければならないものは増えていくばかり。

私は外に出て働くことが難しかった。
1日働くことはできても連日だと疲労困憊になって動けなくなる。
人付き合いはできるけれど、気を使うことが増えすぎていつの間にか重荷になる。
外から見えている私と実際の私にギャップがあって、理解してもらうことが難しいところもある。
抱えきれる量は限られているのに、頼まれると断れない。

一度この気質を根本から治そうといろんな方法を試したけれど、転んだら逆戻り。
結局少しずつ自分の一部として認めて付き合っていくしかないのだとわかってからは対策を練ってここまで生きてきた。

でも、もうどうあがいても普通に社会の中で生きることは無理なんだろう。
そうなると前例のない中、自分だけを信じて生きていくしかいないのだけど。
どれだけ律したって大きな波にさらわれていく。

心を捨てることはできないから心と共に少しずつ歩んでいくしかないけれど。
どうしたってすぐに貢献できる、両親に安心してもらえる方法を探してしまう。
焦る、でも焦ってはいけない。
人に助けてもらいたい、でも初めは自分で漕ぎ出さなきゃいけない。

人との調和をはかるためにつくりあげた自分と、今を生きている自分はどうしたって一緒になれない。
ずっとずれている心地。





どうなるかな。
今はとりあえず死にたい気持ちは薄れた。
明日生きることができたらラッキーぐらいの気持ちで眠ろう。



不器用は美しいって人に対しては思えるけれど、自分はどうかな。
私の生きづらさも苦しさも人から見たら美しい生き様に見えるのだろうか。






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