日記

日記


ノートで書いていたら手が疲れてきたのでPCで書いてみる。自動で変換される。面白い。少し字が小さいか。どうなんでしょうか。変わってないあら。かわった。このくらいでいいか。とりあえずは。そこまでタッチミスはないかな。書くよりかは楽。つらつらと頭の中のモヤモヤを書いてしまおう。マイクがあれば小声でも入力できるのかな。あんまり大きな声を出すのは恥ずかしい。誰かに聞こえるかと思うと外に出したくなくなってしまう。恥ずかしいという気持ちがあってしゃべらないのかな。会話をしようとすると何も言葉が出てこないのにこういうところで出そうとするとスルスルと出てくる。坂口恭平さんの言っていることと似たような感じがある。依頼されると書けなくなるけれども好きに書くとどんどんかけるということであった。継続するコツという本。とても面白かった。ネット上に無料で公開されていたので買わずにそちらを読ませてもらった。面白いと思うことを続ける。その面白さを伝えるために言葉でなくてライブ感というか文章のまとまり全体で伝えているのが面白かった。そしてそれはなんとなく共感できた。伝わってきた気がする。卓球やピアノをしているときに感じる高揚感というか興奮が伝わってきた。この感覚が楽しい。これを継続することが幸せな気がする。仕事は本当にしんどかった。その場に存在しているだけでしんどかった。最後は1時間くらいでヘロヘロになった。その前の日に3日間くらいのお休みをもらっていたのにも関わらずしんどかった。この文章をnoteで公開すると読んでくれる人はいるのだろうか。Twitterやってると無名の開設したばかりの一言にいいねをしてくれた人も何人かいる。暇な人が読んでくれるのかもしれない。文章量が多ければ。でも公開しようと思うとプライベートなことは書けなくなるけれどもどうなのだろうか。モヤモヤを解消できるのか。勝手に脳内で公開するモードになって書くようになるのかもしれない。プライベートの反対語なんだっけ、オフィシャルかな。公にする感じのモードに勝手に変換されそう。それはそれでうまくできそうな気がする。反応してくれるかもしれないと思うと少し高揚感が出る。質より量と言っていた。量を書きまくれば意外と読んでくれる人はいるかもしれない。誤字脱字には気をつけたほうがいいかもしれないけど。最低限のところですな。今の脳内としては少し引っ張られる感覚がある。引っ張られるというのはゾーンに入りかけている感じ。これがもし文章を公開していいねがつくだろうなと考えると楽しく継続できるのか。でも坂口さんは評価は気にしないと言っていた。作業自体が楽しいものであるほうがいいんだろうな。あとは最初はやり遂げた感があって楽しく感じるけれども慣れがくると言っていた。慣れてくるんだろうなぁ。高揚感が薄れてくる気はする。それでも継続するために何か色々と書いてくれていたけれども忘れてきた。アウトプットできないということは身になっていないんだろうな。文章を書いてて思うけれど話題がだいぶ飛んているな。テーマがどんどん変わる。これが俺の脳みその特徴なんだろうな。普段もこういう状態が続いているのだろう。ADHDの脳内を表に出したのがこの文章ということになる。脳内を見える形にする。とても面白い。脳内だけで考えようとすると上の3行くらいを延々とぐるぐるするだけになってしまうが、文章にすると進む。進んでいるのが目に見える。無駄に達成感を感じる。無駄ではないか。面白い。坂口恭平さんは文章を書きながらテーマを探っている感じだった。面白そうなテーマが見つかるとそれについて書く。それが楽しそうだった。量をたくさんかくとどういうことになるのだろうか。テーマというのは疑問から生まれるのかも。どうなるんだろうという疑問。そこからシミュレートしてみると考えというのが少し出てくるのかな。停滞期というか、継続がうまくいかないのは傑作を生み出そうとしてしまうからというようなことを書いていた。確かに、文章をきれいにして、誰にとっても読みやすく、一つのまとまりを持って書こうとすると書けなくなる気がする。そんなのは窮屈すぎて自分の考えが出てこなくなる。この感覚なんだろう。ずっと押さえつけていたのかもしれない。こうあるべきだ、というのに縛られ続けた人生だったのかもしれない。しゃべらないのに書こうと思うとかなり出てくる。不思議。あとは体力というか同じ姿勢でいると疲れてくるから、それが止めるタイミングなんだろうと思う。次の日にまたやる。継続する。楽しそうだなと思える。この感覚は他のことにも影響しそう。こういう感覚で喋れれば楽しいのかもな。でもこんな話を聞いてくれる人がいないかもな。子供たちに話そうかな。でもつまらないと言われそうだな。Twitterのスペースというのでつらつらとしゃべるか、もしくはYouTubeかな。一人で喋るのであればある程度喋る可能性もあるな。こんなこと考えもしなかったのに、書くという行為をしているとできそうな気がしてきた。タイプミスを修正するのがめんどくさいな。かなりタイプミスをしてしまう方の人間だから。作業が遅い。検査結果で出ている。ウェイスーという検査。処理スピードが遅い。手が不器用なのかな。タイプミスをして戻るとなんか興奮状態がおさまってきてしまう感じがする。喋るのであれば手戻りがないから先へ進める。聞いている方も勝手に脳内で変換してくれるか、スルーしてくれるから先へ進める。YouTubeだと記録として残るから達成感もあるかもしれない。誰も聞いてくれなさそうだなでも。文章の方がまだ見てくれる人がいそう。Youtubeは見たいところだけをみるとかができないんだよな。ある程度一つのテーマについて10分くらい喋れる必要がある。と思う。見たいところ自分の興味のあるところだけを見ることができる。1時間2時間あると早送りしても自分の興味のある箇所を探すのが大変である。ひろゆきは切り抜きがあるからあそこまでいったんじゃなかろうか。切り抜きは一つのテーマについて2、3分で答えを出してくれる。それがいい。でもそれを自分で作ろうとすると大変なんじゃなかろうか。でも勝間さんはある程度5分くらいで一つのテーマについて喋っているかな。この辺りの人たちは共通するところがある。多分発達傾向のある人たち。だからシンパシーを感じているのだろう。話は飛ぶのだけれどもTwitterでうまいとは言えない絵を上げ続けている人がいる。画力はそこまで上手くない。だけれども惹かれるところがある。うまい下手というのは一つの尺度でしかない。偏差値と同じようなものでしかないのかもしれない。同じキャラクターを何枚も書いている。けれどもセリフが違っていたり、表情が少し違うだけでなんか面白い。そして作る側からしてもほとんど同じ絵なのに継続して作り続けている。作りたいという何かがあるんだろう。この文章と同じようなものかもしれない。今日はこのくらいにしてみようかな。なんだかロボットが書いたような文章かもしれない。とにかく吐き出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?