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仕事よ、なくなれ

今日も仕事

今日もお仕事、お疲れ様でした

仕事、つらいよね

仕事のつらさは人それぞれ、
でも肉体的につらいか、精神的につらいかのどちらか

それとも両方?

肉体的だけならまだいい気がする、
ただ肉体が悲鳴を上げるだけだから、休めば直り、休まなければぶっ倒れるだけ

それは負荷がかかりすぎて壊れるロボットだ

人間はロボットではないので、
肉体的な辛さだけ、というのはあり得ない

そもそもロボットはつらいよー、苦しいようとは言わない

つまり人間のつらさは精神的なものからきているといえるのではなかろうか

仕事つらいよう、ロボットや助けておくれー

明日も仕事

結局仕事は明日になっても無くなることはない

とりあえず会社に行く

何もしないで過ごすわけにいかないから、
何かしないといけない

仕事を探す

仕事が見つかる

仕事をする、うまくいかない

上司から怒られる、やんわり、
何やってんのと鼻で笑われるパターンもある

仕事ってなんでこんなにつらいんじゃ

やめてしまいたい、

しかしそう短絡的に行動するほど
すでに子供ではない

仕事が今つらいのも、
やる気が起きないのも、
調子が出ないのも、
なんかイライラしてしまうのも、

ずっとつらいわけじゃないのも、
たまに楽しいことがあるのも

少なからず経験したからだ

つらいのもずっと続けば考え物だが、
永遠と続くわけじゃない

こういう微妙な時期は耐えるのが吉

めんどくさくても、ダメでもいつかそういう時期は過ぎる

…と信じている

仕事をしてくれるロボット(神)

仕事をしたくない

といっても無くなるわけではないが、

あきらめなければ、夢がかなう理論と同じように

あきらめずに言い続けていれば仕事はなくなるのではないか

仕事つらい~といいながらしたいことを我慢して

生きるためだ!といいつつ、実は体面を保つために
仕事をするのと

今やりたいことを忠実に実行し、

やりたくないことはやりたくないと言ってはねのける
(そして仕事はしない)

どっちがいいのだろう(笑)

こたえはどっちも両極端で最悪

前者は無難に仕事することが大事と、
まともなことを考えているようではあるが

仕事をしないとそもそもダメ
というあきらめが前に来ていて、
プライベートなどそのほかのことは2の次

まず仕事をしなければ人として終わっていると考えている点で極端

後者はおさるさん状態なので人間として極端

たぶんエスカレートしていくと人付き合いとか難しいんじゃないかな

そして仕事をしている人を、異世界人と考えている(多分)

両者に断絶があると何がいけないのかというと

一方に対して異常に嫌悪してしまうからだ

ニートが絶対に働きたくないと思うのと同じように

社会人は絶対にニートになりたくはないと思う

こうなると両者の垣根を超える、ハードルが高くなってしまう

仕事したくない→仕事しない
という選択がしずらい

仕事してない→そろそろやるか
ということもなかなかできない

簡単にできれば苦労しねーんだよ
とニート、社会人は言うかもしれない

このギャップはそうそう埋まるものではない...

あきらめよう、

仕事をして地道に稼ごう

そしていつかどこかの誰かが、仕事をなくしてくれるはずだ

そうすれば仕事なんて言葉はなくなるね

その時仕事をしている人がいれば、きっと犯罪者さ

なぜかって?

犯罪行為以外仕事じゃなくなるからだよ

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