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映画館に行きたい

映画館に行きたい。

映画館に行くためだけに電車に揺られるあの時間が好きだ。何かのついでに下調べゼロで立ち寄るのも楽しい。車を持っている友達と見に行く時は、車中での会話も重要だ。お互いに知っている前情報を共有しあったり、先のわからないシリーズの今後について議論しあったり、どうでもいい近況報告をしたり。雑談が意外とそのあとの映画体験と繋がったりもするから不思議だ。

発券し、売店をふら〜っと見つつ(やっぱ高いな…)なんて考えながらスクリーンに向かう。
狭い通路を抜けて突然視界に入る大画面を見るたびに産道から頭を出した時並の衝撃を感じ…たことはないが、嫌なことがあってもここまで来ると全てを忘れて高揚感でいっぱいになってしまう。
いや、狭いスクリーンも好きだ。人生に爪痕を残してくれた映画たちは数えられるほどの客しか入っていない小さな劇場で見た作品だったりもする。

いまの時代に映画館で映画を見る意義について考えた時、自宅では再現できない音響やスクリーンがまず頭に浮かぶが 本質はそこじゃないのかもしれない。
劇場に入ると名前も顔も知らない大勢の他者に長時間囲まれることになる。わかっていることは「その作品を見るためにわざわざこの場所に集まった」という共通点だけ。その事実だけで既に他人ではないのだ。一緒に笑い、泣き、驚き、変え難い感情を共有することこそが「映画体験」なのだろうなと思っている。(まあだから鑑賞マナーが気になってしまうのだけど…)

エンドロールが好きだ。劇伴や主題歌を聴きながら作品に浸れるあの時間を見たいがために映画を見ている節もあるかもしれない。画面が暗転しエンドロールに入る瞬間、作品のテンポ感を崩さない完璧なその瞬間を味わいたい。好きなエンドロールがたくさん浮かぶぐらいにはエンドロールが好き。ぼくの中で最高のエンドロールの入りは……帝国の逆襲か…T2トレインスポッティングかな………………………

劇場が明るくなり観客がエンドロール中に考えていたであろう”第一声”を言い始めるあの空気感が好きだ。友達が少ないので基本的に一人で見に行くため周りの会話を聞きながら映画館を出ることが多い。自分と似通った感想を話す人、正反対の人、全てが許される「映画」は寛容だ。

もう一度狭い通路を歩き、2時間でぶっ壊れた時間感覚のせいで存外まだ明るい陽の光を眩しく感じる、あの瞬間が好きだ。雨が降っているのもいい。雨は大事な舞台装置だから、我々の世界も彼らの世界と地続きであるように思うことができる。はたまた夜でもいい。来た時よりも冷えた空気が作品に与えられた熱をほどよく冷まし、今ある現実を見る余裕を生んでくれる。
本当にいい映画を見たとき、映画館から出た瞬間に「生まれ直した」かのような実感を覚えることがある。明日のための勇気や活力をもらい、違う自分になれるような気がしてくる。

なんて考えながら、また電車に揺られるのだ。

自粛期間中にもたくさん映画を見たが、どれだけあの空間が大事だったかを理解できた。失ってはじめて気づくだなんてベタすぎて正直冷める展開だけど、幸いまだ失ってなんかないし 公開スケジュールを見るだけで生きる希望が湧いてくる。
だから、次に行けた時はあんまり買わないポップコーンだって食べるし、でっかい飲み物だって買うからね、、ずっと、ずうっと、待ってるよ、、、、、、、(メンヘラ締め)


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