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池端俊策先生の講演会〜麒麟がくるを振り返って〜

大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本を手掛けた池端俊策先生の講演会があることを知り、速攻で申し込んだ私。
何を隠そう、私は麒麟がくるの大ファンなのです!麒麟がくるにハマったお陰で歴史に興味を持ち、自分で調べたり本を読んだりして歴史を学ぶ楽しさに気付くことができた…言わば私の人生を変えてくれた作品と言っても過言ではありません。
先着順ということでしたが、無事に参加の申し込みができました。ほっ。

会場 蕨市立文化ホール くるる

開場時間少し前に到着したのですが、かなりの行列ができていました。年齢層は高めでしたが、中にはお若い方もちらほら。麒麟がくるは3年前の作品にも関わらず、コアなファンがたくさんいらっしゃるのですよね!
ついに池端先生にお会いできるのかと思うと胸がいっぱい。始まるまでドキドキでした。

蕨市市長のあいさつ

まずは市長さんのご挨拶から。池端先生は蕨市にお住まいとのことで、以前から市のイベントなどにもメッセージを寄せてくださっていたとのこと。2013年には演劇講座で一般の方々を募り、その方々の顔ぶれを見てから池端先生が「わけあり時計店」という作品を描き下ろし、直々に演技指導もしてとても素晴らしい舞台になったのだとか。見てみたかったですね。

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池端先生の登場!

いよいよ池端先生のご登壇です。
濃いブルーグレーのスーツにノーネクタイの白いシャツ、赤いポケットチーフをちらりと覗かせたとてもお洒落な出で立ち!わぁ💕素敵です。
「今日はマスクを外してお話したいと思います。距離があるから大丈夫ですよね」とにっこりスマイル…ひゃあ…オーラが凄い…

脚本とは人間を描くもの

まず初めにスバリ本日のテーマを示して下さいました。
登場人物がどう生きていくのかを描くのが脚本家としての仕事。何を考え、悩み、選択しながら生きていくのかを丁寧に描く。それは本日の講演会のサブテーマでもある「生涯学習」にも繋がっていくのですね。

池端先生は20歳から脚本家としての勉強を始め、様々な仕事を手掛けてこられました。民放の仕事もあったけれど、NHKのお仕事は、ズシンと重みがあり肌に合ったそうです。
「私は真面目なんです」(にっこり)
45歳で「太平記」の脚本を手掛けられましたが、当時のプロデューサーから「一緒に3年歳をとりましょう」と声をかけられたそうです。
1年目→まずやりたい人物を決めキャスティングを行う。その時代背景の勉強、大まかなプロット割りなどの会議を重ねる
2年目→脚本を書き始め、ある程度たまったところで撮影開始
3年目→脚本を書きつつ撮影を行う
という流れなので、大河ドラマの仕事の依頼があってから約3年かかるわけですね。

麒麟がくるが出来上がるまで

ある日NHKのドラマ部長から呼び出され、池袋の喫茶店で「また大河ドラマをやりませんか」と依頼を受けた先生。
3年がかりの仕事になるため少々体力的なものも心配しながら承諾されたそうです。
するとすぐに「やるとしたらどの時代にしますか?」と聞かれたので、「太平記では室町幕府を開いた男、足利尊氏を描いたので、今度は室町の終わりを描きたい」と答えたそうです。
「では、誰にしますか?」ということになり…
織田信長→ない
豊臣秀吉→もっとない(あまり好きじゃない)
徳川家康→ない
最後の足利将軍、足利義昭→地味
斎藤道三→1年持たない

という流れの中で、
「では、明智光秀ではどうか?それなら道三も信長も義昭も描けるし面白そうでは」
と先生がひらめいたそうですが、それも
「明智光秀って暗くないですか?」
「信長を殺した男ですよ?」
と却下されそうに…
そこで先生は
「明るくするから!!!!!」
と言って押し通したそうです(笑)

信長公記を読んでもわかる通り、歴史書や軍記物は勝者の都合のいいように書かれるもの。
それらの史料からみえてくる光秀のイメージは
「信長を討った裏切り者」であり、悪役です。

織田信長はヒーロー、人気トップクラスの武将ですが、はたして信長はそんなに良い人なのだろうか?全部ひっくり返してしまえば面白いのでは?
という池端先生の熱意により、主人公は明智光秀ということに決定しました。

そこですかさず「じゃあ誰が光秀を?」と話を進めるドラマ部長w 畳み掛けていきますね〜。

池端先生の光秀イメージは
・神経質
・ちょっとイイ男
・ミステリアス
だったそうで、そこからピンときたのがそう!
長谷川博己さん!
実は以前先生が「夏目漱石の妻」の脚本を書いた時、漱石役は長谷川博己さんだったので面識があったのですね。

大河ドラマで誰が主役をやるかというのはとても大事なことで、池端先生は特に重視されています。わけあり時計店のエピソードからも分かる通り、先生は演者の個性に寄せたいわゆる「あて書き」をなさるので、まず主役を決め、敵役、伴侶役など周りの人々のキャスティングをして、そこから書き始めるそうです。
こんな話を池袋の喫茶店の端っこで延々と話している池端先生…お可愛らしい…

長谷川博己さんに光秀を演じてもらうにあたり、ドラマ部長と先生、そして長谷川さんの3名でご飯を食べに。
光秀のオファーを受けた長谷川さんはなんと、「嫌です」
とお断りしたとか!
前年まで朝ドラ(まんぷく)に出ていて、関西に住んでいるのにずっと東京で撮影をしていた。やっと帰ってこられたと思ったらまた長期間の撮影??勘弁して下さいっていうのは確かにその通りですよね。
しかしそこで引き下がる先生ではなかった!
「やりなさいよ」
「今しか出来ないんだから」
「早く書くから」(これは守られなかった)
などなど、3時間くらいかけて口説き落とした先生。
今思えば本当にハセヒロ十兵衛は素敵だったので、先生たち、頑張ってくださってありがとうございました。

了承が得られたことをNHKの上層部に報告したところ、皆さん「長谷川さんなら間違いない」と諸手を挙げて万々歳だったそうです。
NHKの中では紅白歌合戦と大河ドラマがとても重要な位置を占めていますから、良いキャスティングができて一安心だったことでしょう。


では具体的にどのように書いていったのでしょうか。

まず先生は一年間かけて、光秀周りの書物を100冊以上読んで勉強し、時系列ごとに誰がこの時何をしていたかという表を作り上げました。この作業がとても楽しかったそうです。そしてその表を考証の先生方に見せたらすぐOKが出たとのこと。
もともと太平記が愛読書で歴史好きな先生らしいですよね、さすがです!!

その後、大まかなプロット割りをします。
16話くらいで道三が亡くなる、このくらいで京都に出る、などのペース配分なのですが…
「先生、本能寺は何話にしますか」
という質問に、
「本能寺は最後に決まってる!!!」と即答。
先生は光秀が死ぬところを見たくなかったし、そもそも光秀の遺体をはっきり見た人もいないのだから、本能寺で終わりにしたかったそうです。
なるほど、最終回のあの終わり方は池端先生の強いこだわりだったのですね…

そんなこんなで脚本書きがスタート。
大体1話書き上げるのに2週間かかる。
ということは1年間の大河を書くには2年必要なのですね、先生の場合。
そしてまず書くのは下書き。

なんて貴重な下書き…


ザザッと書いてクリップ留めした用紙を見せていただけるとは。
先生はいつもならすぐ捨てているものですがNHK側から捨てないで下さいと言われて取ってあったそうで…その時のスタッフ神…ありがとうございます!
この下書きを元に書いた生原稿がこちら。

青い万年筆の生原稿。どうか博物館へ

さらにこれを打ち込んで印刷した準備稿がこちら。

準備稿

この準備稿を考証会議にかけていきます。
初めの2〜3話は結構お直しが入ったけれど、その内お直しも少なくなったそうです…さすが。

お直しが入ったものを印刷してスタッフ(約200名)に渡す決定稿がこちら。

決定稿

そして台本が俳優さんたちに配られていきます。

AWAITING KIRIN

池端流の脚本の書き方、少しは伝わったでしょうか?

人物像の描き方

明智光秀という人物は、40歳過ぎまで歴史書に登場しない、いわば「裏通りを歩く人」だと先生は考えていました。
表舞台に立つ人の影となって生きてきた光秀ですから、残っている史料も多くはない。しかも、史料には光秀の心情や悩みが書き記されているわけではない。

光秀がどう考え、悩み、選択しながら生きてきたのか。
史料の隙間から光秀の思いを汲み取り、どう生きてきたのかを必死に書き続けた先生。
終盤は毎日のようにバイク便が自宅とNHKを往復し、脱稿したのが11月。本当にギリギリでした。

太平記の足利尊氏も、後醍醐帝と共に鎌倉幕府を倒しておきながら最終的には北朝についてしまった、逆賊のイメージが根強いのですがよくよく考えれば室町幕府の礎を築いた人物であり、それを成し遂げたということは尊氏の思いに賛同して付き従った人々がたくさんいたからこそ。
先生はそんな、影のある人物に光を当てたかったのだと思います。

ここで先生の、興味深い観点をひとつ。

武士を描くためには、源平抜きにして考えることはできない

武士は自分のルーツ(血流)を最重要視します。
平安鎌倉時代の一騎打ちにみられる「やぁやぁ、我こそは八幡太郎義家の嫡流にしてうんぬん」っていうアレ。

ちなみに足利は源氏、光秀も源氏、信長は平氏です。(自称なのでホントはわからない)

光秀の晩年は信長と義昭、両方に仕えていた状態だと考えられていますが、最終的に信長を討ったのは信長が平氏だったからだと考えているそうです。義昭も同じ源氏の光秀を頼りにしていただろう、と。
しかも源氏と平氏は順番に政権を取っていますので、平氏の次は源氏だろうということですね。

その観点で歴史を見ていくと、とても面白いなと思いました。

さらにこんな裏話も。
麒麟がくるを見ているとわかるのですが、光秀は途中まであまり話の中心に入ってきません。
いろんなところにお使いに行ってばかり(笑)
史料に登場してない時代なのでしょうがないのですが、それが長谷川さんにとって歯痒く、不安だったようで…
「僕、あまりかっこよくないですよね」
「影が薄いですよね」
と、先生に何度も電話をかけていたそうな。
しかしそんな長谷川さんに、
「良いのそれで。主人公はご飯でいいの。味が濃くなくていいの」と答えていたそうです。

そんな、丁寧な積み重ねがあったからこそ終盤で光秀のキャラが立ってくる。
信長につくか、足利につくか。悩みながらも信長と決別する選択をした光秀像に、長谷川さんは「いいですねぇ!」と目を輝かせ、残りの4話くらいはノリノリで演じていらしたそうです。
桂男のあのシーン…斧を振るう十兵衛、目が逝っちゃってましたもんね…(笑)

光秀は二流

さて、ここから今回の講演会のサブテーマである「生涯学習」に繋がるお話となります。
池端先生は緒形拳さんととても親しかったそうで、実際池端作品には緒形拳さんがよく参加しています。
先生は緒形拳さんを「二流の人」と評します。
(私から見れば緒形拳さんは超一流の人ですが)

緒形拳さんは一流の俳優、辰巳柳太郎さんに憧れてこの道に入った。辰巳さんに追い付きたくて必死に頑張った。けれど辰巳さんも高みを目指すから一生かかっても追い付くことはできない。だから緒形拳さんは二流。

しかし緒形拳さんの二流は、一流を知っている二流。
追い付こうとする姿勢、プロセス、それらがまさに「学びの姿勢」であり、生涯学習であると。

そして光秀も日の当たらない二流。
迷いながら悩みながら、それが正しいと信じて本能寺という決断を下した。

麒麟がくる世を目指して、光秀は必死にもがき続けた。

そんな二流の男の一生を池端先生は描ききってくださいました。

そしてその作品は多くの人々の心を打ちました。

私たち麒麟の民は、十兵衛の最後の「see you」を信じて、いつまでもお待ち申し上げております。

無料では申し訳ない程、素晴らしい内容の講演会でした。
この感動を一人でも多くの麒麟の民に届けたい、
そう思いながらスマホを打っています。
長くなってしまい読み辛い点が多々あったこととは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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