旅と論理的整合性

辻褄が合わないことを指摘されると、なんとか誤魔化そうとし、上手く誤魔化しきれると思ってしまう。これほど愚かなことはない。

誰かがそんなことを言っていた気がするし、もしそれが記憶違いなら、きっとボク自身が日頃から思っていることなんだと思う。

天下一運動会の式典のドタバタと、その後噴出しているアレやコレを見ていると、以前イベント担当をやっていた頃のミステイクを思い出してむず痒くなる。
進行役に非がなくても、VIPが会場からシレっと外していても気づかなければイベントは進む。そして、
「なぜ我輩がいないのに進行した?」
と大目玉を喰らう。
全くひどいものである。
ぜひとも監督省庁からなんらかの大目玉を喰らい、同じ傷の痛みを知るが良い。

だなんて、ちょっと前までは思っていたけど、いまとなっては《忘れ去ることこそが最大の仕返し》と考えられるようになったので、恨みや呪いみたいなことはオトナゲないので言わねーのでございます。

はてさて、何かにつけてなんとか【旅】に関連づけようとするこのnote。
流石に今日は無理かと思いきや、なんとかなりそうなので書き進めちゃおう。

「辻褄が合わない」
「道理に合わない」
「筋が通らない」
エトセトラエトセトラ

どれも論理的整合性がないことを表す言葉。
難しい書き方をしようとすればいくらでもでてきそうだけど、ここで言いたいのは、《論理的整合性》は自分のモノサシで測った結果であって、ひょっとしたら他人のそれとは大きく異なっているのかも知れない。

家族や友人・パートナーとだって異なるかも知れないのに、旅先の異文化の中にあっては「自分の道理がこの場の道理に合っていない」って考えなくちゃいけないのかも知れない。

妙に甘い醤油を刺身につけたり、薬罐に焼酎と水入れてストーブで温めてみたり…
なんだか特定の地域を言ってる雰囲気になっちゃってるけど、これが《あたりまえ》の場所ではそれが道理なわけで、エトランゼにとっては《あたりまえ》でなくても、甘んじてそれを受け入れなくてはいけないのだと思う。

いわゆる「ゴウニイリテハゴウニシタガエ」ってことよね。
無理矢理とはいえ、それで道理が通るし、辻褄だって合う。

だから、地方から上京して「お国訛り」が抜けないのならまだしも、これがアイデンティティだと言わんばかりに意固地になって大声でお国言葉ではしゃいでいる人を見ると、「ああ愚かだな」って思う気持ちが無いと言うと嘘になってしまう。
デリケートな問題だからなるべく言い切り形を避けてまどろっこしい書き方をしてるけど、ぶっちゃけちゃうと「ゴウニシタガエヨ」と思うわけです。

この内容をそうした当事者に言ってみると、面白いくらい「辻褄の合わない」回答や「筋が通らない」反応が戻ってくるので、興味のある向きはお試しになられるのも一興かと。
ただし、ヒートアップしてそれこそ道理に合わない事態になってしまってもそれは自己責任ということで上手に処理していただければ幸いなのでございます。

ああいう人って海外に行くと日本語(もしくはさらに方言)で捲し立てるのかな?
秋葉原で家電を爆買いしてる人達みたいな勢いだったらちょっと笑えるかも。

GIO.

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