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河童の学校

私の学校は山間に囲まれた小さな分校だった。
木々に囲まれた中にポッカリと浮かぶ校庭。道の脇には生活水を送るプラスチックでできた水道管。遊ぶところは学校の校庭か沢しかなくて、そこにさえ行けば誰かしらと遊ぶことができる。年に一度本校の生徒達と共同で行われる運動会。赤組、白組、分校組で戦うそれは私達の結束力の見せ場だった。今も思い出す。沢山の人の声援と広い校庭。運動会の日はいつも快晴だった。

私達の学校には七つも不思議はなかったけれど、たった一つだけ秘密があった。私達の学校ではカッパを飼っていたのだ。平屋の校舎の裏にある小さな胡瓜畑。私が入学する頃にはもう何十年も続いているとのことだった。ここで育った大人たちは皆もちろん知っている。けれどカッパは大人には見えない。だから私達の分校がカッパと大人たちをつなげる窓口になっていた。

「なぁ、杏ちゃん。カッパは元気にしてるんかい?今年は台風が来るみたいだから彼奴等の住処に今度綱を張りに行くよって言っといてくれ」
「わかったー」
3日に1度、食料を持っていく子供達に大人たちは伝言を頼む。カッパになにか困ったことがあれば私達は大人達にそれを伝える。ずっと昔、山で鉄砲水が起こったとき、カッパたちがこの村を救ってくれた。それからこの村ではカッパと共存して生きるようになったということだった。彼らは尻子玉なんて取らないし、好物はきゅうりと猪汁だ。箸だって使えるし、泳ぎを教えてくれる。
だから私達の村で育った人にかなづちの人は一人もいない。

私が東京の学校に転校したのは5年生になったときだ。お父さんの病気の治療のため、親戚の叔母を頼ってのことだった。最初はいつも喉がイガイガして咳に苦しんだが、それにはすぐに慣れた。四六時中、お父さんの心配ばかりしていた記憶が残っている。田舎の小学生にとって都会の勉強は難しかった。
私は自分でも気づかないうちに少し無理をしていたのかもしれない。
ある日、それはついにせきを切って溢れ出してしまった。その日の国語の授業がたまたま河童の話だったのだ。あれ、涙が止まらない。私が涙を流していることにいつの間にか気づいたクラスの子供達はヒソヒソと声をひそめた。誰も声をかけてくれない、遠くからみているだけだ。それが余計に自分が孤独だと胸を締め付け、私はとうとう声を出して泣き出してしまった。

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