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幸先詣へ♪(さいさきもうで)

12/29(一粒万倍日)に年内詣に行って来ました。
神谷町にある愛宕神社へ。

昔、随分年下の友人に誘われて
1度行ったことがありました。

その時は、すぐ目に付いた階段を登って
上がりました。
(後にそこには有名な「出世の階段」
あることを知りました。)

でもその時の階段を登ったことで、チーズ
の専門店や田崎真也さんのワインサロンに
出会えました。
友人は、私がワイン好きなのを知っていた
ので「通ってみたら?」と勧めます。

その時は「エッ!?」と思いましたが
せっかくなので時間調整しながら
短期集中クラスを受講。
(田崎真也さんはTVのままのお人柄で
その後も伊勢丹他のワインイベントでも
たびたびお見かけしました。)


前置きが長くなりました。

年内詣はどこにしよう?と考えていた時、
その愛宕神社のことを思い出しました。
あの急な階段に登らずして「愛宕神社」
詣をしたと言えない気がして、、。

しかし、コロナ禍ですっかり運動不足。
これでは普通の階段より5cm高いという
階段を87段も登れやしない・・・。

ということで、2日前にマンションの階段
を使って登る練習をしてみました。
5cm高いからもも上げを意識して。

で、昨日の本番です。
登ってみると、石の階段は綺麗に成形は
されておらずしかも、着地する石面は
直角90度ではなく数度多いので、
足を置くと少し後ろに傾きそうで超怖い。

途中から手すりにつかまりながら登頂。
境内は午前中だからか空いていました。

御朱印帳に御朱印をいただき、金箔の
お守り・出世の石段ボールペンを購入。

下りは、出世の石段の横にある女坂から
おりました。

さあこれで心機一転して2022年を迎えよう♪

※出世の石段の言われ
時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。
しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。


平九朗が家光公に献上した言われる梅の木

この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りにみえております。
なお、実際に神社にみえた方は男坂をごらんになって、
「こんな石段を馬が上れるわけがない。曲垣平九郎の話は講談だからウソだろう」
と思われるのですが、江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして、成功している方が何人かいらっしゃいます。
- 明治15年・石川清馬(セイマ。宮城県出身)
- 大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道をつくった
- 昭和57年・渡辺隆馬(ワタナベ リュウマ。スタントマン)「史実に挑戦」というテレビの特番で。

神社では、男坂を馬で上下するのに成功された方の絵や写真を見ることができます。
また、曲垣平九郎が献上したと言われる梅の木は、拝殿前の左手にあり、神社の四季を美しく彩っています。
(愛宕神社HPから)

【愛宕神社】
https://www.atago-jinja.com/

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