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五回目の寝返りをしたあと、あきらめて部屋の明かりをつけることにした。主照明では明るすぎるので、ベッドの脇のサイドテーブルの上にある、木彫りのフラミンゴのランプをつけた。フラミンゴと大きな草のような彫り物がしてあり、薄いピンクと、グリーンと、イエローでできている。
ヴィンテージの洋服なども取り扱っている、家から少し離れた場所にあるその小さな家具屋は、古いアメリカの家具を揃えてある。キッチンに置いてある豹柄の丸い椅子や、ベネティアングラスのオレンジ色の灰皿(本来は灰皿ではなくお皿か小物入れのようなもの)、ファイアーキングの食器など、我が家にはたくさんのものがある。
私のクローゼットのなかのジーンズやガウン、スウェットもコレクションのひとつだ。
そのランプを見つけたとき、シンプルなものが好きな私は隣にあるグリーンの小さめのランプにしようと決めていた。シャーベット色のグリーンに、同じ色の小さめのシェード。スイッチの部分は控えめなゴールドのチェーンが付いていて、試しに明かりをつけると、カチッと静かな音がした。 寝室のサイドテーブルにはぴったりだと思った。
これなら大好きな寝室ー飴色のサイドテーブルや、ベッドカバー、ペルシャン風の絨毯、クリーム色の壁の色にも合う。うん、と頷き後ろに控えている店員を呼ぼうと振り返った。
ーこれをください。
ーありがとうございます。これはとても珍しい50'sのヴィンテージなんです。とてもかわいいデザインですよね。
彼の手には、フラミンゴの彫られた奇妙なランプが握られていた。彼のいる場所には同じシリーズの家具が所狭しと置かれていて、時計や置物、食器に至るまでフラミンゴだらけだった。そこに立っている背の高い彼はまるでフラミンゴのように見えた。
ーちょっと待って!
慌てて声を出した。
ーまだ決めてないわ!
トロピカルな雰囲気は、あの寝室には合わない。フラミンゴ?フラミンゴ?どうしてこれだけの素敵なランプがあるのにわざわざ…
ー見て、リンクス。素敵だろ?これにしよう。とてもいいランプだ。
迷いのない彼の笑顔に、私はあきらめる以外の選択肢を持っているはずは、ない。
ため息をついて、緑のランプを元の位置にもどす。
ーこれがいいの?
ーうん。素敵な部屋になるね。良かった。
2度目のため息は、安堵のものに変わった。
そうね、と頷き、支払いをしに階下へ向かう。彼はランプのほかにフラミンゴとバナナのついたTシャツとラジオを買った。ティキの置物も欲しそうだったが、さすがに止めた。店を出るとき、彼は残念そうに振り返っていた。
フラミンゴのランプはやはり寝室にはマッチしなかったが、見慣れるとかわいく思えてきた。今では寝る前にピンクの頭とくちばしを撫でている。心なしか、フラミンゴも嬉しそうに見える。そんな様子をみて、彼は笑う。
ーティキも買えば良かったのに。
彼が笑う。
ー要らないわ。台無しになるもの。
ーほんと?僕は3ヶ月後にティキにキスをしているリンクスの姿が見えるよ。
彼はクスクスと笑い、私の額にキスをする。
ーおやすみリンクス。良い夢を。
熱い紅茶を淹れる。
ここの紅茶は彼が昔よく飲んでいたもので、最近オンラインで注文をしている。彼はアールグレイ、私はフレーバーティを好んで飲んでいる。
新しく見つけた柘榴とミントのフレーバーは、初めて飲んだときは信じられないほど美味しいと彼に自慢したのだが、飲み終わる頃にはもう飽きていた。まだたっぷりとストックがあり、蜂蜜を入れたりスパイスを入れたりしながら日々、在庫消化につとめている。
ザアっと窓の外を風が吹きぬけ、バルコニーの木が揺れる。時計は午前2時58分。部屋は少し肌寒い。ベッドの隅に丸まっているガウンを取り肩にかける。
世界はしんと静まり返っていて、時に車のヘッドライトの光が見える。
テーブルの上に、本がある。どこかの国の親衛隊士の話。
彼が絶対に面白いと言うので購入したが、3ページでやめてしまった。彼曰く、信じられないくらいとても面白いのに、誰もそう言ってくれない本だそうだ。私たちの本棚は、カポーティや公房、ケルアックに谷崎、ドストエフスキー、藤沢周平とたくさんの文学で溢れている。秩序と無秩序。混沌と混乱。調和。流行っているものが苦手な私(たち)は、好きなものを読んだり聴いたりし、それでもたまに、ジュラシックパークなんかを観て笑っている。アイスクリームを食べながら、二人で。
ーリンクスは確かに一番最初に出会った人ではなかったけど、僕は今までの何よりもリンクスが良いよ。
彼はそう言った。
私のなかの内側にあるもっとも奥の、冷たくて固く凝縮されてしまった塊がゆっくりとゆっくりと溶け、何かに満たされていくのを感じた。いつかの、やわらかい、午後の日。心が、あたたかく変わっていくように震える。
2杯目の紅茶のあと、ホットミルクを飲んだ。
体は充分に暖かく、もうガウンは必要ないようだ。
ミルクを飲み終わった後のマグカップを軽く濯ぎ、水を入れ、窓際に置いてある観葉植物に水をやった。数年前にプラントフェアーで購入したこの観葉植物は私の半分は背丈があるほど大きいのに、たったの三千円だった。長い葉が一枚だけ大きく曲がっていて、そのためだったのかもしれない。
2年ほどは変化がなかったが、きちんと毎朝水をやり、霧吹きで葉を濡らしていたら、3年目からは新しい子が生えてくるようになった。以来、毎年夏が終わりる前に、くるくると丸まった新芽がプランターに登場する。今年も2週間前に小さな目がいつの間にか土から顔を出していて、私は嬉しくてキッチンの彼を呼んだ。
ーリンクスみたいだね。
ーえ?
ー小さくて、かわいい。
美味しそうだし、と付け加えて彼はキッチンへ戻る。あ、と振り向いて言った。
ー触らないでね、絶対。
私は植物を育てるのが彼ほど得意ではない。
白いTシャツを着た背中を見送ったあと、私みたいな小さな新芽を指でそっと触ってみた。
土から顔を出したばかりだったそれは、今では20センチほどに成長している。
彼と出会ったとき、すでに二人ともいい大人で、それぞれに心が痛むような経験をいくつかしていた。
私たちはシャイで分かりづらく、一人の時間を大切にした。似ているところ、そうでないところ。それぞれがバランス良く、ようやく肩の荷が降りたような、深く安心したような気持ちになった。
ある日、二人で動物の映画を観ていた時に彼が言った。
ー観て、君みたいだ。
それは、森林に住むオオヤマネコだった。
彼らは単独で暮らし、美しく豊かな毛並みをもつ。人間が追跡しようとしても難しく、ギリシャ語ではLYNX。「光」という意を持つ、秘密の番人。
ーどう言うこと?
ー単独で、人ぎらいで、鋭く、でも美しい光。
その瞬間、言葉を失くしてしまう。
ーぴったりじゃない?
あ、観て。小さい子は子猫と変わらないね、と言う彼の指先は、私と繋がれていた。その翌日から彼は私をリンクスと呼ぶ。彼の光。
本当は彼こそが私のリンクスなのに。たった一人の、私のリンクス。
寝室に戻り、ベッドの中に潜り込む。
フラミンゴのくちばしを軽く撫でて、明かりを消す。コバルトブルーの闇。目が慣れてくると、ぼんやりと部屋の様子が見えてくる。外は少し明るい。携帯電話で音楽を小さくかけたあと、そのまま目を閉じる。
ーただいま、リンクス。
目を開けると、彼の顔があった。
ベッドに腰掛け、私の頭を撫でる。あたたかく優しい彼の手。もう一方の手で、リピートされたままになっている携帯電話の音楽を止める。
彼の肩越しに、カーテンが見える。一面に散らばった、銀色の星々。急に胸がいっぱいになった。
ー遅くなってごめん。
私はこの手を待っていたのだ。ずっと。寝返りを何千回としながら。
ーあのね、眠れなくて、あなたの名前を考えていたの。
ーうん、それで?
彼は優しく問う。
ーアステリ。
ーお帰りなさい、アステリ。
ーただいま、リンクス。
私たちは そのまま、抱き合って眠りについた。
FIN.
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