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ICONIC / アイコニック ⑥

 学校を出てしばらく歩き、最寄りのシティライン駅に入る。武村のほうが一駅早く降りるため、そのあとの家の最寄駅までの時間は非常に暇である。俺はこの時間に読書をしている。
 本や小説に苦手意識を持つクローンや純身がいるらしいが、俺はその考えにいまいち共感できない。確かに本は文字だらけで一見するとなんの面白みもない紙切れの集まりのようだ。しかし、その中には様々な世界が広がっており、その素晴らしさは表現のしようがない。とある画家の生涯を綴ったものや、十人の男女を襲う謎、3万人の恋人たちに生きがいを与える郵便を輸送する人々と夜闇の闘い、絢爛で豪華な生活を送る男の一途な愛情の物語などなど。これらは全て文字の羅列のあいだに垣間見える“向こうの世界”の話だ。しかし、本を読んだものなら経験をしたことがあるはずだ。いつの間にかその“向こうの世界”に行ってしまったかのように感じ、登場人物の風貌、彼らのいる店や家や大自然がありありと眼前に映し出される様を。俺は物語や小説が大好きだ。その作家が歩んできた人生をもとに創作される物語はときに美しく、ときに儚く、ときに恐ろしい。だが、数百円や千円と少しでだれかの人生観を学べると考えれば、これ以上素晴らしい授業はない。

 そんなことを考えている間に、家に着いた。俺が小説家だったら帰路のことを詳しく書くな、とだいぶ前に帰り道でふと思ったので、目に入るものや聞こえてくるものをいちいち頭の中で文字に起こしていたことがあった。しかしいかんせん何もない帰り道なので、曲がった角の数と曲がった方向、たまたま見かけた猫の特徴ほどしか書くものがなかった。俺のことを書く小説家は帰り道に何を書くか頭を抱えることだろう。
 家の車用の門の横にある小さな門から家の敷地内に入る。噴水を中央に置いた砂利の敷かれているロータリーを通り、5段ほどの階段を登ってドアの鍵を開けた。
「ただいま」
と声を出す。靴を脱ぎ、靴箱にしまっていると足音が聞こえてきた。購入者が雇っている執事だろう。
「おかえりなさいませ」
随分と丁寧な口調で接してくれるのだが、どうにも違和感がある。なんというか、恥ずかしいのだ。
 執事はスーツがよく似合う程よく痩せた男で、歳は中年ほど。白髪が混じり灰色になった髪の毛はどこか上品だ。
「紅茶を一杯、入れて欲しいんだ。飲みやすいくらいにぬるくなってるやつ」
「かしこまりました」
執事は軽く礼をすると、キッチンのあるリビングの方へ向かっていった。やはりなにか違和感がある。恥ずかしいというかなんというか。
 玄関を上がり、左に曲がって廊下を進んでいく。左にある談話室の向かいにある階段を上がり、二階へと向かう。二階の廊下をさらに進み、突き当たりの右にあるドアを開け、自室に入る。明かりをつけ椅子に腰掛けた。ふと机に目をやると、ヴァールハイト誌の最新刊が置かれていた。つい先日俺が買ったものだ。前から気になっていた“メタブレイン社”の新作THTの特集が組まれているのだ。
 メタブレイン社。三年ほど前に神経系や脳に関係するTHTを開発する企業“ギガヘッド社”から独立し、急成長を遂げた企業だ。もともとメタブレインはギガヘッド社内のちょっとおかしい研究員で構成された開発チームで、その余りにもクレイジーな行動が制御できなくなった結果独立したのである。事実、メタブレイン社の三大天才研究員は“ゲーム廃人博士”“倫理観崩壊博士”“日本クローン人間研究学会永久追放博士”の異名を持っている。ゲーム廃人博士はとあるゲームに登場するアイテムの特長をもつTHTの開発に成功している。神経伝達速度を異常なまでに加速させ使用者は周りの時間が遅く感じられるというもので、換装手術では背骨を丸々取り替えるのだという。現在米軍の特殊部隊が使用しているらしい。倫理観崩壊博士は軍用クローンとして腕が四本ある個体や、先のゲーム廃人博士の提案で他者を殺害することに全く抵抗がなく恐怖心もない脅威的な記憶力と体術を持つ個体の開発をしているそうだ。日本クローン人間研究学会永久追放博士は現在服役中である。
 ドアがノックされた。
「水面様。お茶が入りました」
「ありがとう。入っていいよ」
ドアが開けられ、執事が入ってくる。ヴァールハイト誌が置かれている机に優しくティーカップ置くと、再び軽く礼をした。
「私はこのあとご主人をお勤め先までお迎えに行きますので、何かございましたら連絡してください」
執事はそう言い残すと、ドアを音もなく閉めて出ていった。
「なんだかなぁ〜」
と呟きながらティーカップを持ち上げ、紅茶を飲む。程よく冷めていた。茶葉はおそらくアフタヌーンティーだろう。
 ティーカップを片手に立ち上がり、窓に立ち寄る。カーテンを少し開けると、左手にある車庫の扉が開くのが見えた。仕事が早い。しばらくして車は車庫を出てロータリーを少し進むと、門を開け出ていった。
 カーテンを閉めたのち、俺は部屋の階段を降り一階の方の部屋に降りると、ベッドの方に目をやった。
「寝るか」
そう呟き、ベッドに身を投げた。

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