見出し画像

ICONIC / アイコニック ⑫

 「…ついに来たな」
「あぁ、そうだな」
 俺と武村は今、午後七時の学校の校門前にいる。二人とも家と学校は遠いため、近くのファミレスで時間を潰して待っていたのである。
 まだバスケ部かバレー部かが活動しているのか、体育館は明かりがまだ点いており、シューズの出す甲高い音がここまで聞こえてきた。しかしボールが地面に叩きつけられる音が全くしないため、もしかするとバドミントン部か卓球部なのかもしれない。今あの体育館の中は俺にとってシュレディンガーの猫の状態というわけだ。
 いや、でもこの世にあの体育館の中でどの部活が活動しているのか知っている人間が一定数いる以上、シュレディンガーの猫ではないのかもしれない。しかし箱の中には猫がいて、その猫は箱の中がどうなっているか知っている…。ん?どういうことだ?
 まぁ、シュレディンガーの猫の話自体が「量子力学なんて馬鹿げてる!」っていう趣旨のものだと聞いたことがあるから、厳密にはそれは量子力学の話ではないのかもしれない。いずれにせよ、文系の俺が知ったことではない。
 すると、俺たちの前に黒塗りの車が一台止まった。フロントを見た感じ、ロールス・ロイスで間違いない。
 車の後部ドアが開いた。俺も武村も入るのを躊躇っていると、中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「どした?ロールス・ロイスは初めてか?」
 秋龍のものだった。
 俺と武村はお互い見合うと、軽く頷いて車に乗り込んだ。

 さすが高級車、と言えようか。段差を乗り越えても全然揺れない。なんだこれ?
「キミら制服のまんまかいな?」
「あぁ、家から学校まで遠いからさ。近くのファミレスで時間潰してたんだよ」
「ほんなら、車降りた時にジャケット貸すわ。さすがに制服で道頓堀は歩かれへん」
 一方の秋龍といえば、いかにも高そうなスーツを着ている。膝の上に無造作にかけられているのは脱いだコートに違いない。
 ここで気付いたのは、この車には運転手がいないということだ。なるほど、AIシステムか。
「この車、AIが運転してくれてるんだろ?」
「せやで。数年前には運転手がAIのタクシーもできたし、もう大分一般化してきた技術やな」
 外の夜景は綺麗だった。この時間に車に乗って街を走るのは初めてかもしれない。
「夜景、綺麗か?」
 秋龍が訊いてきた。
「まぁね。あんまり見る機会ないからさ」
「大阪の街は遠くから眺めるべし、や。街灯って近くに寄って見たらハエの死骸が見えて気持ち悪いやろ?大阪の街も街灯と同じでな、実際に街歩いてみたらゲロ枕にしとる酔い潰れたおっさんと、暴言しか吐かれへんハッタリおっさんがウロウロしとる、嫌ぁな街やで。夜景は楽しんどきや」
 その通りだ。大阪が綺麗なのは夜景だけ。人も道も汚いし煩い。人情なんてそこらのゲロと一緒にとうの昔に流れた今、大阪が誇れるものなんて何もない。

 「道頓堀についたで」
 車が停車し、俺たちは車を降りた。秋龍は車の背後に周りトランクを開けると、中から二着以下にも高そうなスーツのジャケットを取り出してきた。
「学校のブレザーはここ入れとっから、かして」
 俺と武村はブレザーを脱ぎ、秋龍に渡した。秋龍は手際良くそれらを畳むと、トランクに入れ、閉めた。秋龍がリアバンパーを二回ほど蹴ると、車は発進してそのままどこかへ行った。
「すげぇ…道頓堀なんか初めてきたよ」
「俺もだ」
 人間は多いが、普通ではない。THTを見せつけるように歩く人相の悪い者たちばかりで、もし俺が本能に従って生きていたのなら、生存本能に身を任せて逃げ出したことだろう。
「んぁ!リョウちゃんじゃ〜ん!」
 背後からハイテンションな声が聞こえてきた。それを聞いた秋龍も声のした方向を向いた。
「おぉ!レイジのアニキやんか!」
「お久〜」
 レイジのアニキなる人物は黒のロングコートに身を包んだ高身長の男だった。同じく黒いキャップをかぶっており、サングラスをかけ、無精髭が目につく。いかにも怪しい人間だ。
「この子らは俺の友達や。この辺りのTHT見て回ろう思てな」
「おぉ〜。リョウちゃんのお眼鏡にかなうとはすごいね〜」
 少し前屈みになってレイジのアニキがこちらを見てきた。
「みんな、コイツはレイジ。親父の友達や。HIGHenaにも関わりがあるし、それもあってここで店やってる」
 ヨロシクネ〜とレイジが挨拶をした。こちらもぎこちなくではあるが挨拶を返した。

 そういうわけで俺たちはレイジのTHTショップに来た。雑多な感じで、棚に無造作にTHTの類が置いてある。天井にも吊り下げられており、不気味だ。
「武村、どんな感じだ?」
 と武村の方を向くと、まさしく「目を輝かせて」商品を見ていた。
「すげぇよ、これ!」
 武村はほら、と棚に置いてあった足型THTを指差した。
「これはヘルドッグスの『流星』だよ!まさか実物を見れるなんて!」
「キミはTHTオタクなのかい?」
 レイジが話しかけてきた。
「はい!そうなんですよ!これ、触ってみて良いですか?」
「良いぞ。ただし、落とすなよ?」
 武村は銀の足を持ち上げると、俺に三つの細長い穴を見せてきた。丁度200ページほどの文庫本が一冊入るほどの穴が縦に三つ並んでいる。
「基本電気駆動系のTHTは一ヶ月くらいもつ内蔵蓄電器に充電して使うけど、これは違うんだ。これにもその機能はあるんだけど、ヘルドックスの一部のTHTには"高機動化機能"がついていて、これはその機能の発動の時に必要な電力を供給する特別蓄電器を挿しておくところさ!」
「要するにブースト機能ってことか?」
「まぁ、そういうことだな。起動時は走力も上がるし、キック力も倍以上になる」
 レイジが武村から『流星』を取り上げた。
「でもな、ボウズ。この『流星』のミソは他にあるんだよ」
「え?」
「コイツは違法改造型のTHTでな、"OverDrive"が出来るんだ」
「嘘でしょ!?」
 待て、何がすごいんだ?THTオタクが二人だと頭がこんがらがる。
「冬月、"OverDrive"っていうのは一個ずつ消費される特別蓄電器を一気に使用して、通常駆動の比じゃないくらいの高機動化が出来るんだ!軍用規格の機能だから、一般で出回るのは普通じゃないんだよ!」
 レイジは『流星』を棚に置いた。
「レイジさん、もしかしてあれって『Rude-Strong』の'90年型?」
「お!よく知ってるな!」
 俺の肩に手が置かれた。振り返ると、秋龍が立っていた。
「まったく蚊帳の外だね」
「あそこまでテンションが上がられると対応が面倒なんでね。レイジさんがいてくれて助かるよ」

 その後も二人はTHTの話で盛り上がっていたが、秋龍の腕のTHTを診るためにレイジは店の奥に消えていった。
「すげえや…!『Satan』の'00年限定タイプもあるし、Ignisの『Rogue』もある!まるっきり宝の山だよ!」
 このTHTたちの凄さがわからなくてすまないな、と俺は思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?