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ICONIC / アイコニック ⑪

 二限目は数学Ⅰだった。始まるや否やすぐ眠りに落ちてしまったことは言わずもがなだろう。数学は眠いし、世界は広い。この世の理の一つだ。
 チャイムと同時に目を覚ました。顔をあげ周りを確認したが、パッと見た限りで半分以上が眠っていることが分かった。うつ伏せになっていたり、腕を伸ばして机に伸びていたりとすぐにわかる形になっているのも面白い。
 先生はすぐに教室から出て行った。前にも言ったが、クローン生徒は授業を真面目に聞かずとも後で記憶データシステムを使うことができる。それ故面倒臭い授業を寝ても取り返しはつくのである。そろそろ学年末テストもあることだし、俺も色々買ってデータを入れなければ。
 つまらない授業、小難しい授業を受けていると、俺はふと50mクロールを泳いだときのことを思い出す。折り返しを終え、あとスタート地点に戻るだけ…と思いながら進むと、おおよそ35m地点で急に息苦しくなるのだ。息苦しいと言っても、立って肩で息をしなければならないほどではない。喉に違和感があるというか、意識的に酸素が足りないことに気がつく瞬間だといえようか。あのとき感じる、ゴールまでの息苦しさ。それを授業でふと思い出すのである。数学で難しい話をかれこれ20分ほどされると起こる現象でもある。これだから理系科目は。
 なぜいきなりこの話を持ってきたのかというと、三、四限目が物理と数学Aだったのである。一難去ってなんとやら、とはこのことか。

 武村に体を揺らされて俺は目を覚ました。
「あれ、もう昼飯どきか?」
「そうですよ、眠り姫」
 大きく伸びをしたのち、俺は席を立った。
「お前は理系科目が得意だもんな」
 俺は財布を確認している武村に言った。
「まぁな。寝てばっかじゃいけませんぜ、文系さん」
「教室の窓から自由落下させるぞ」
「あら怖い。でも初速度を設定しないあたりに友人への慈悲が見えるね」
「そのうちお前の理系ジョークが意味不明なものになると思うと怖いよ」
 それじゃあ食堂に行くかと武村と二人で教室を出ようとしたとき、大量の袋を抱えた男に押し返された。
「ごめんよ〜、通るで〜」
 胡散臭い関西弁、間の抜けたトーン、妙にハスキーな声。秋龍のもので間違いなかった。
「ご、ごめんなさい」
 武村が華麗にバックステップを決め(もちろん比喩表現)、秋龍の通る道を確保した。
「あ、武村クンに冬月クンやんか。ちょうど誘おう思ててん。メシ、付き合うてくれるか?」
「もちろんです!」
「あぁ、いいけど」
 おい、と小声で武村が言った。秋龍の方を向いていたためよく見えなかったが、おおよそ俺のことを睨んでいたに違いない。多分、ナメた態度をとるなという警告だろう。
「よしきた!ほなボクの席行こか」
 半透明のビニール袋の中に詰められていたのは、購買で売られているパン類だった。それが秋龍の金をもって手に入れられたものなのか、あるいは笑顔の圧で無銭で手に入れたものなのかはわからない。まぁ、この世の中知らない方が良いこともある。これもまた、知らない方が幸せになる事実の一つに違いない。
 武本は秋龍に友達に接するように話すよう言われていた。ほらな、俺の態度に問題はなかったんだよ。
「好きなもん食べてええで〜。遠慮も配慮も一緒に食べてまい〜」
「んじゃ俺はホットドックを貰おうかな」
「俺はクリームパンで…」
 ホットドックにかぶりつく。安いソーセージあるあるのなんとも言えない風味が口に広がった。カルパスというお菓子に似ているが、もう少し弱い。
 武村はいつになく控えめだった。まぁ、そりゃそうか。
「今日はどこに行くんだっけ?」
 メロンパンを食べている秋龍に訊く。
「ホンマはここの近くの賭けボクシング場に行こう思ててんけどな、昨日警察にやられたみたいやねん。そういうわけで今日は道頓堀に行こ思てる」
 警察だってさ。捕まるのかよ、俺たち。
「捕まらないの…?その、俺たちは…?」
 武村が言った。
「大丈夫や。HIGHenaは府警とベチャベチャに癒着しとる。華島にいつまでたっても警察が行かんのもそういう訳や。そんで道頓堀一帯も警察が入らへんようHIGHenaが指示しとる。HIGHena自らが警察呼ばん限りは何してもええ」
「なにしても良い」
「そう。あそこじゃ喧嘩がおっぱじまったらすぐ賭け屋が飛んできて娯楽になるくらいやからな、街中で銃ぶっ放すか重役殺さん限り警察はよう来うへんわ」
 安全なのか危険なのか、よく分からん。だが喧嘩に関しては秋龍の力でなんとかなりそうだ。超巨大犯罪組織の子供に手を出すほどの馬鹿はいるまい。
 しばらく沈黙が続いた。秋龍と昼食を食う俺たちの周りに人は全然いなかった。もしかすると、秋龍があの人混みの中パンをこれだけ買い込めたのはそのおかげかもしれない。
「そ、そういえばどうやってこんなパンを買ってきたの?学食のパン結構人気で、一個買えるだけでもラッキーなのに」
 こら!訊くんじゃない!FBIに機密情報をお前は訊くのか?そんなやつなのか!?
「そうなん?ボクが行った時は全然人おらんかったけど。みんなトレーとトング片手にパン眺めとっただけやったで?みんな金欠やったんかもしれへんな」
 ビンゴだ。

 その後大して雑談が弾むわけでもなく、時々話してはパンを貪るということが繰り返された。
 そうしてチャイムが鳴った。次は体育だった。
 と思っていたが、どうやら担当の先生が休みで、代わりに別教科の授業が入るようだ。
 物理だった。これだから理系科目は。

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