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大人の時間~板谷波山記念館・食の蔵 荒為・廣澤美術館


食の蔵 荒為

茨城県筑西市にて大人の時間

板谷波山記念館

昼間は各地で30℃以上の真夏日となる見込みという予報の日。
年二回のわくわく大人のバスハイク日。
渋滞もなく筑西市(旧下館市)着、板谷波山記念館を訪れる。

記念館の周辺は板谷波山記念公園として整備されていて、波山胸像が設置されている。
1980年 波山生家跡に開館 1995年に付近を板谷波山記念公園として整備された。

近代陶芸家・板谷波山(1872-1963)は、茨城県下館(現・筑西市)に生まれ、明治22年東京美術学校(現・東京藝術大学)の彫刻科に入学します。活動拠点を東京・田端へ移し、唯一無二の表現方法によって昭和28年に陶芸家初の文化勲章を受章しました。
波山はやきものを芸術の域に高めるため、技術の研鑽だけでなく美しさも同時に追い求めました。そして、作品に施された文様には「祝福」「祈り」ときに「ユーモア」が込められ、100年以上経った今でも私たちに語りかけています。

板谷波山記念館公式ホームページより

記念館には波山の生家、展示館、工房があり、下館の生地にて静かに波山を顧みることができる。

波山生家 波山誕生の間

木造瓦平屋建の住宅は、江戸時代中期の建造物で、1965年に茨城県指定文化財(史跡)の指定を受けた。

工房

東京・田端にあった工房を移築したもの
文化勲章受章時の貴重な映像や作陶する波山が観られるモニター

どきっと目を引いたのが、陶片の展示。

生活に困っても、作品には妥協を許さない完璧主義者だった波山
まる夫人を買い物に行かせ、その留守に、気に入らない作品を全て壊したこともあったそうだ。
1904年、東京工業学校教授・平野耕輔が波山のために設計した当時の最先端、焚口3つある洋式の丸窯(三方焚口倒焔式丸窯)

展示館には、波山の作品、遺品などのゆかりの品や文化勲章が展示されている。

2023年は没後60年に当たる。
俳優のような容貌の波山のポートレートに目を奪われる。映画「HAZAN」で波山を演じた榎木孝明が重なって見えた。

ランプ 1910年代  唐花文壺(生素地)1962年

底面に「波山」印がなく、波山にとっては作品ではないという位置づけだったようで、教え子でもある彫刻家・吉田三郎がランプへと加工して本作として成立させた。
火入れする前の釉薬も何もかかっていない姿の唐花文壺は、波山91歳作。未完であり最後の集大成
展示館にも陶片の展示

参考展示 哀しみに寄りそう~観音像

1937年に勃発した日中戦争、それに続く太平洋戦争で、下館でも多くの戦死者が出たその状況に胸を痛めた波山は、遺族の心を慰めようと「忠勇義列」の文字が刻まれた「香炉」を家々に送るが、戦況激化につれ香炉では間に合わなくなり、型取りが可能な「観音聖像」へと変えた。妙西寺での268名の戦死者への鎮魂と、遺族へは慰めの言葉をかけて、観音聖像は手渡された。

いつか波山の代表作を観たいと願い、記念館を後にした。


昼食はすぐ近くの田町交差点の先。「食の蔵 荒為」だ。

茨城県筑西市の国道50号「田町交差点」と「金井町交差点」の間にある、趣きのある日本家屋

石畳の入口から奥へと進む。

白い暖簾が風に静かに揺れる。
敷地は車の音も届かず落ち着いた風情
もともと江戸時代末期に建てられた商家は、その後、明治・大正と時代を重ねながら増築された。和と洋が混ざったハイカラモダンな装いの貴重な建物は「国登録有形文化財」に指定されている。
1階は壁に埋め込まれた大きな金庫のある和室と掘り炬燵のある和室
同じく1階の階段箪笥と囲炉裏のある和室

手入れの行き届いた階段を上がって2階へ。

吊りさげられた照明器具がレトロ
中庭では柘榴の花が幾つか咲いている。

大広間などの組子障子や釘隠し、欄間彫刻などの精緻な職人技に見惚れながら、供された「藏弁当」をいただく。

「藏弁当」ひじきの煮物は生姜がアクセント、薩摩芋甘煮はレモンが爽やか

外の夏のような強い陽射しは届かず、明治の純和風建築の大広間でいただく「藏弁当」に、全員満ち足りる。
それにしても、どの料理も、お漬物もひじきの煮物も炊き合わせも、ああこれ美味しいと声が出るほど丁寧に料理されていて、しかもリーズナブルな値段でのデザートとコーヒーまで付いている食事に、ここまで来てよかったと感激したのだった。

デザートとコーヒーを飲んだ後、部屋を見て回る。

大正時代に増築されたアールデコ調の洋室
暮らしのぬくもりを感じさせられる少年少女の人形
洗面所横の壁に葡萄型ブラケットライト
5月の緑が光に煌めき揺れる。
玄関の一間

下館城下町として成立、江戸時代半ばより商業で繁栄し、明治・大正期には外来綿・洋糸の販売、木綿足袋底の生産により産業資本が蓄積され、鉄道交通の結節点となり、街道沿いには蔵造りの商家が立ち並び栄えた旧下館市。中々趣のある、下館大人の時間となった。


バスに乗り、廣澤美術館へ向かう。

稀有な左官と称されるアーティスト、挾土秀平(はさどしゅうへい)氏による正門の門壁

筑波山の麓の100万㎡の「自然・健康・文化」をテーマとしたテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」内にあるのが廣澤美術館だ。

2021年1月開館、世界的建築家・隈研吾氏による設計。巨石で覆われた「石で消える美術館」

世界的な建築家、隈研吾氏が設計した「石が主役」の美術館。全国から集めた自然石(約6,000トン)が建物を覆い、外観が見えないよう設計されています。
建物を囲む3つの庭は、「浄(きよら)の庭」、「炎(ほむら)の庭」、「寂(しじま)の庭」と名付けられ、全体で「つくは野の庭」と総称します。
「つくは」は、筑波の古くからの呼び名です。
作庭家の斉藤忠一氏による日本庭園、ランドスケープアーキテクトの宮城俊作氏による二つの庭は、隈研吾氏設計の建物とともに、廣澤美術館の大きな見どころです。
特に日本庭園は美術館の中からも眺めることができます。時を経て巨石と樹木が一体となる「時間とともに成熟する美術館」です。

ザ・ヒロサワ・シティHPより抜粋引用

まず美術館の建物を覆うように組まれた石に圧倒される。

戦国時代以降の石垣の「空積み」(からづみ)という技法によるそうだ。
庭石は広沢グループオーナー・広沢清会長が全国各地から集めたもので、その総数は1500個、約6000トン!
長い時間の経過とともに石の重さにより強固な石組となる。
木と石の融合の美術館エントランス
いつまでも見飽きることがない。

美術館の建物からテラスへと出てみる。

スリランカの建築家、ジェフリー・マニング・バワ(Geoffrey Bawa)を思い浮かべた。

水盤に映りこむブルーの空と石と植栽が見事だ。

「浄の庭」(斉藤忠一作庭)
「浄の庭」からの景色
刻々と変化する空模様が水盤に映る。

足立美術館を想像させるスケールの大きい美術館を、真夏日のような暑さを忘れていつまでも眺めていたかった。

正門を出て、向かいのアート・カフェ・プローレでお茶時間

喉を潤したいし、甘いものもほしい。

自家栽培キウイフルーツジュース 自家栽培アロエソーダ コーヒーゼリー

どれも想像以上の美味しさ、グラスも素敵で値段も良心的といいことずくめのお茶時間。
バスに乗り、途中、道の駅に寄り、午後5時に自宅前で解散。

充実大人の時間 大人のバスハイクの一日

2023/05/18



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