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【レオニーに花束を】1話

戦時中の1942年、山田真子は東京都三鷹市に生まれた。
郊外の三鷹市では、それほど爆弾が落ちてくることはなかった。しかし、東京の大空襲が始まる頃には、親の故郷である沼津に疎開していた。

戦争がおわると、三鷹市に戻ってきた。
真子には兄がいたが、その後弟が二人と妹が一人生まれてきた。

小学生になると、山田家の長女として弟妹の面倒を観るのが真子の役割となっていた。父は東京電力の社員で忙しく、当時の中流階級とはいえ5人兄妹ともなると、長女の真子は家事手伝いが多かった。
小学生の頃の楽しみといえば、夏休み沼津の田舎に泊まり込み、毎日のように海水浴へ出かけることだった。

高校生くらいになると、弟たちは大きくなり面倒からは開放された。
スポーツが出来て、勉学優秀だった真子は、大学へ行って学びたいことがあった。
看護士になりたいという夢もあった。

しかし、山田家には5人の子供全員が平等に勉強の機会を与えられることはなかった。

「私、看護士になりたい。」

「何言ってんのよ。うちにはあんたにこれ以上かける学費は無いわよ!お兄さんを見習って、あんたも高校を出たらすぐに働きなさい!」

「でも…。私はずっと弟たちの面倒をみてきて。やりたいことが出来なかった。だけど、勉強も頑張った。私の成績なら国立大学に入れるって先生は言ったわ。大人になっても私はやりたいことが出来ないの?」

「とりあえず、稼げるようになってから文句をいいなさい。大学へ行きたかったら、自分で学費を稼いでちょうだい。でも、もちろん家には生活費を入れるのよ。あんたの弟たちを大学に入れてたくさん稼いでもらわないとね。
そもそも女のあんたが大学に入りたいなんて、欲出さないで。高校出たら素敵な旦那さんを見つけるのが、あんたの役目よ。」

東京オリンピックを1年後に控え、戦後から脱却し、日本は高度経済成長期に突入しようとしていた1964年。

山田真子は、高校を卒業し、百貨店で働くことになった。

初任給は約2万円だった。

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