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ベトナム人が日本人より幸せといわれる理由

年ベトジョーの記事では世界幸福度というものが取り上げられており、その幸福度ランキングでは、140ヵ国中ベトナムが5位(アジアでは1位)、日本が58位だそうです。
地球幸福度指数、ベトナムはアジア最高位の140か国中5位


なんとも怪しいランキングなのですが、「◇平均寿命、◇生活の満足度、◇収入の不平等、◇環境への負荷(エコロジカル・フットプリント)の4つの要素に基づいて算出したもの。」だそうです。
この記事を読んで、あなたはどう思いますか?
「ベトナムすげー!!」
でしょうか?
「なんでベトナムが5位?」「日本が58位ってどういうこと?」「当たり前じゃん、ベトナムは幸せだよ」
など多くの方が違った感想をお持ちになると思います。
でも、実際にベトナムに暮らしてみると、
「なんとなく、ベトナム人の方が日本人より幸せそうに感じます。」
日本人のほうが、収入が多く、医療もサービスも充実した環境にあるのに何故でしょうか。
(かつて、ベトナムは食料や物が足りない時期もありましたが、経済と流通が発達したいまは、それほどモノの不足を感じることはありません。)


頑張らないと認められない日本。頑張らなくてもいいベトナム

かつて、日本の学校で偏差値教育が問題になり、その反動でゆとり教育が実施されました。
土曜日の授業がなくなるというなんとも羨ましい制度だったのですが、僕はギリギリその恩恵をうけることができませんでした。
ゆとり教育を受けて育った世代をゆとり世代と揶揄されまるように、日本の社会ではゆとり世代より前の偏差値教育を受けた社会人が圧倒的に多く、いまだに体育会系が派閥を効かせ、根性論と上下関係を重視する縦社会の構造を持つ会社が多いです。
団塊の世代と呼ばれる人たちが作り上げてきた社会であり、70歳を過ぎた彼らはまだ権力にしがみつき、若い人たちに自分たちが経験した根性論を強要します。
かつての日本では、頑張れば頑張るほど、働けば働くほど、結果が出て収入につながりましたが、いまの成熟期を迎えた日本では、若い人たちが上の人達と同じように頑張っても収入につながらないので、頑張ることに疲れてしまいます。
そして、そこから逃げ出した人は、日本の社会のはみ出し者扱いされてしまいます。しかも、日本は物価が高いので、親のスネをかじらないと無収入では生きてはいけません。
また、日本では逆に高齢者の立場も悪くなりつつあります。高齢者が多くなった日本では、社会保障費の割合が日々高くなる問題を抱え、高齢者にたいする風当たりも日に日に強くなっているようです。特に核家族化が進んでしまった都心では、老人の一人暮らしがあまりにも多いです。それが彼らが望んでいた生活なのでしょうか。
さて、ベトナムはというと、ベトナムの社会形成は農村社会が基盤になっており、年寄りと若年者が相互に助け合って生活しております。親戚のつながりが強く、コネで仕事を見つける人が多いです。ベトナムでは、賃金が安いですが、そのため外国企業が進出してきており、特に工業ではポスト中国として注目されています。10年前ほどではないですが、いまでもベトナムでは就職が難しくないので、働きたいときに働き、休みたいときに休むのが習慣になっております。
また、共産国だけあり労働者の人権と立場は国がバックアップしてくれているので、残業代は必ず支給されます。ですので、日本にはびこるサービス残業などもなく、稼ぎたい人は働けば働くほど稼げるシステムになっています。
そしてベトナムは、日本と違って、働かない他人をを批難する習慣はないです。
はじめてベトナムに来たとき、バイクの上で寝ているオッサンがたくさんいて、「彼らは働かなくていいなー」と思いましたが、もしかしたら、彼らは灼熱の炎天下で四六時中客を待っているセオムであり、家族のために夜遅くまで働いているのかもしれません。
ベトナムでは、働かないのは自己責任なので、他人が働かない人をニートだ引きこもりだなどの、レッテルは貼りません。
働かないか働くかではなく、稼ぐか稼がないかということが基準になっています。稼ぎたければがんばって働けばいいし、稼ぎたいけど楽したいという人にも仕事があります。頑張らなくても良い社会なのです。
日本人はレッテル貼りが好きで、他人を貶めることで、自分を上位にして優越感を感じたいのです。逆にレッテルを貼られた人は、ひどく生きづらい社会になっています。頑張るのが当たり前。頑張らなければ半人前。その考えが日本の経済成長を支えてきたのは確かですが、結果としては幸せを感じずらい社会にもなってしまいました。


悲観的で計画的な日本人。楽観的で刹那的なベトナム人

もう9月ですが、先日、うちの妻に「テト休みどうする?」と聞きました。
「そんな先の話はまだいいでしょ。」と返されました。
一事が万事この調子です。あまりにも先のことについて考えない習慣をもつベトナム人。
というか、その時の状況を想像できないのか、そのときになってみないと判断できない、という考え方のようです。
また、問題が起きてたら、そのときにどうにかすればいい、と楽観的に構えております。もちろん、ベトナム人でも人それぞれ考え方が違いますし、地方によっても性格に偏りがあります。南部の人の方が気さくで楽観的、中部以北の人は気難しく慎重な傾向がありますが、それでも日本人と比べると楽観的で刹那的であると感じます。
先日、僕が日本に帰国したとき、母から出てきた話はなんとも悲観的でつまらなく、聞いていて嫌になる話ばかりでした。
やれ、「妹がガン」だの、「誰々が騙されそうだ」だの、「僕のいとこが仕事がない」だの、こんな嫌な話を連続して聞かされたら気分が悪くなります。ですから、あまり気分の悪くなる話はしないでくれと、母に言いました。
そもそも、ベトナムにいてもそんな嫌な話はめったに聞かないのに、どうして日本に行くとこんな嫌な話ばかり出てくるのか?
もしかしたら、それは自分が変わったからそう感じるのかもしれません。
日本にいて、人の悪口や噂ばかり聞かされていたら、それが普通になるけれど、ベトナム人に囲まれて楽観的に暮らしているだけで、気分よく生活出来ている自分に気がついたのでした。
ベトナム人の収入は日本人に比べれば収入が低いですが、彼らは自分たちが貧しいとは思っていないし、計画的ではないですが自分たちのやりたいことをしながら生きています。
それについて他人がどうこう言うわけではないのです。また、家族のつながりが強く、年老いて引退したら子供たちの家族と共にくらし、料理を作り、時には孫の面倒をみます。人間の理想的な家族形成のかたちが残っています。若年者は高齢者を敬い、高齢者は若年者を立てて、次の時代へとバトンタッチすることを理解しています。
日本の場合は、高齢者がえばり過ぎるので、若年者は高齢者を避けてしまいます。また、「独り立ち」という言葉はカッコよく聞こえますが、人間は助け合い相互の関係を築かないのに生きて行けないのに、核家族化や独り立ちを推進してしまった結果、孤独な老人とワンオペ育児ママを生み出してしまいました。
今回の幸福度の基準は、「◇平均寿命、◇生活の満足度、◇収入の不平等、◇環境への負荷(エコロジカル・フットプリント)の4つの要素に基づいて算出したもの。」とのことでしたが、実際にそれで幸福度が測れるのかどうか疑問です。
しかし、一番分かりやすい幸福度の測り方があります。
それは、「笑顔」の数です。本当に幸せなら「笑顔」が絶えないはずです。
いくらお金持ちになっても、いくら好きなものを手に入れても、心から笑顔で笑えない人は幸せではない。
僕はそう思います。


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