【解説】ポケカはなぜ「倒した側」がサイドを取るか?


はじめに

先日、ポケカのサイドに関する議論が話題になった。「サイド確認の時間がもったいないから任意で確認できてもいいのではないか」「サイド自体運負けを増やしている要素だから廃止してもよいのではないか」といった話題である。ポケカのサイドのルールはもはや伝統と言っていいほど昔から変わっていないため今更変更することは困難だと思われるのだが、それでもポケカ民やその他TCGプレイヤーが疑問に思っていることがある。

それは、

「なぜポケカのルールは相手のポケモンを倒した方がサイドを取って手札を増やせるようになっているのか?」

ということである。

実際相手を倒した方が有利になってしまうことを疑問視するのはなんら不思議ではないし、特にポケカと真逆の性質を持っているデュエマのプレイヤーはポケカのルールに違和感を覚えていることと思う。
しかし、思った以上にこのルールには深い事情が絡んでいるので、今回はそれをまとめる記事としたい。

理由その①「原作の再現」

まず、ポケカのこのルールの理由付けとして最も有名なのが、「原作のゲームでの「ポケモンを倒すと経験値を得て自分のポケモンが強くなる」という性質を再現するため」だとする説である。いわば「サイド」は「経験値」や「賞金」のようなものであり、ポケモンを倒された側のプレイヤーが何かを得るというシステムは基本的にポケモンのゲームには存在しない。ポケモンにも「自信過剰」「ビーストブースト」のような相手を倒すと能力が上がる特性が存在するほど。

理由その②「手札1枚の重みの違い」

遊戯王からポケカに来たポケカプレイヤーは、まず最初にポケカのドロー数の多さに目を丸くするのが恒例行事である。

特に「博士の研究」系列のカードはあまりにも壊れていると言われることが多い。

これに対して、世界で最もポピュラーなTCGである遊戯王はどうなっているかというと、

テキストがシンプルそのものな「強欲な壺」がOCGでは禁止カード、ポケカでいうリーリエやコルニの気合いの下位互換でしかない「天よりの宝札」もOCGでは全く別のテキストに変えられているという状況。

この「増殖するG」という有名なカードも、遊戯王を経験していないポケカプレイヤーにはなぜ強いのかわからないという人もいると思う。

そもそも遊戯王はポケカと違い一度に持てる手札の枚数が基本的に6枚までと制限されている。

なぜここまで手札補充に厳しいかというと、遊戯王にはマナやエネルギーといったシステムがなく単にポケカよりも攻撃に映るまでの要求札が多くないというのに加え、ポケカと違いモンスターの通常召喚が一度しか行えないという制約のある遊戯王において1度のサーチが非常に強力なものであり、モンスター1枚から別のモンスターに繋がるといった効果は相対的に強力であるため、手札が増えれば増えるほどやれることが多く有利になる。(原作を読んだことのある人は、絵札の三剣士やガジェットなどを思い浮かべてもらえればわかりやすいと思う)
また、うかつに手札補充を強化すると「エクゾディア」のような特殊勝利カードの条件を簡単に満たせてしまうといった事情も絡んでいる。
言ってしまえば「手札一枚の価値がポケカよりも圧倒的に重い」のである。

それに対して、ポケカは「メインのポケモンは複数体並べておかないとすぐ倒されてしまう」「ポケモンを出してもエネルギーを数枚つけないと攻撃に移れない」という風に、ポケモンが攻撃するまでに相当な数の札が要求される。進化さえしてしまえばすぐ攻撃できる「リザードンex」でさえ、進化するために多くのカードを使った御膳立てが必要。
経験した人は少ないかもしれないが、ADV~DP当たりのポケカは強力なドロー系サポートが少なく、現在でいうネイティオやメタングのようなエネルギー加速を担うポケモンもほとんど存在しなかったので、少しずつカードを引いてエネルギーはちまちま手張りするという感じで対戦が非常にゆっくりなテンポになることが多かった。しかし、BW辺りから競技としての側面が強くなったためにゲームスピードを上げる必要があったため、強力なエネ加速手段や強力なドローエンジンとなるカードが刷られるようになった。

つまるところポケカは手札1枚の価値が軽く、1枚でやれることがたかが知れているのである。
つまり、手札一枚くらい増えても(加わったカードが何かにもよるが)大して有利になるわけでもないため、攻撃した側がカードを引いても問題ないという考えが製作側にあると考えられる。またポケカはナンジャモやジャッジマンといった手札干渉カードが豊富なため、加わったカードが簡単に流されてしまうことも少なくないため、そこまで大きなアドバンテージにならないのである。
ポケモンカードにおいてこのルールが「許されている」所以がこれだと言っていい。

理由その③「相手を倒すメリット」

クリーチャーズのポケカ開発チームの長島氏は、このように発言している。

引用元:https://www.famitsu.com/news/201903/14173198.html?page=2

つまり、開発陣はサイドを取ることを「メリット」にしたいと考えているということである。
これは一見するとゲームの楽しさに繋げるため、と捉えることもできるが、実はもっと深い事情が絡んでいる。

それは、「サイドを取ることがデメリットになってしまうと、サイドを取らない戦術が流行する」ということである。

実際デュエル・マスターズを経験したプレイヤーに聞いたところ、やはりデュエマはポケカに比べてLOやコントロールのデッキが多いとのこと。つまりポケカもサイドを倒された方が取るルールになると自然とそういった環境になる可能性が高い。
(ちなみに有識者曰くデュエマでコントロールが全盛期を迎えていたのはかなり初期のことらしいので、その頃のデュエマを経験していないプレイヤーはポケカのルールをおかしいと感じ、当時のデュエマを経験したプレイヤーはポケカのルールをむしろ正解だと考えている、とのこと。要するに一口にデュエマのプレイヤーといってもやっていた時期によって感じ方が異なる模様)

事実ポケカでは過去にエクストラで「ガブリアス&ギラティナGX」が大流行した際には多数の禁止カードが生まれたし(剣盾シリーズから先攻1ターン目でサポートが使用できないというルール変更があったのもこの時)、「ジュジュベ&ハチクマン」という露骨に相手の山を削り盤面を壊すLO向けカードもスタンダードレギュレーションでありながら禁止カードに指定された。これらのことからも、ポケカの制作チームがLOやコントロールをあまり良く思っていないことがわかる(環境に一定数いてもいいが、シェア率トップになられては困る、というくらいの意識だろう)。

では、ここからが大事な話なのだが、なぜLOやコントロールが流行ってはいけないのか?

LOやコントロールもルールの範疇で行われるTCGにおける立派な戦術の一つであり、それだけを集中して規制するのはおかしいという意見も見られる。

これに対する回答として一般的なのが「コントロール系の戦術は難しいから」。実際コントロール系のデッキはTCGそのものへの造詣が深いプレイヤーでないと扱えない、高度なテクニックを要する難易度の高い戦術であり(私の知り合いにコントロールやLOを好んで使うプレイヤーが何人かいるが、基本的に遊戯王やデュエマ、ワンピースカードなど他TCGを通ってきた人たちばかりである)、それらが覇権を握ってしまうと子供や初心者が勝てないゲームになり、彼らが参入しにくくなってしまうということだろう。
(実際上述したように初期のデュエマはまさにそのような状況だったらしい)

もう一つ一般的な考え方として、LOやコントロールは普通のデッキとは違い本来の勝利条件に能動的に近づく戦術ではないため、「制限時間との戦いになる」というものがある。ポケカにおいては制限時間内に試合が終わらなかったら両者敗北というシステムを採用しており、一時期かなり物議を醸したカビゴンLOなどがいい例だが、そういったデッキは時間切れによる両者敗北を量産してしまうデッキタイプである。両者敗北の試合というものが増えるとジャッジの負担が増える、オポネントがズレて全体に影響を与える(大会などで両負けが一か所発生したことにより予選が1試合減るというケースは少なくない)など大会の進行にとってあまり良くないことが立て続けに起こってしまうので、制限時間の存在する競技としてのTCGとはかなり相性が悪い。
かといって、では両者敗北と言うシステムを廃止して全ての試合に勝敗をつけようとすると、何を基準に勝敗を決めればいいのかという問題に直面する。店舗レベルの規模の大会であれば、店舗によっては「とったサイドが多い方が勝ち、同数ならその時点から先にサイドを取った方が勝ち」といったルールを採用していることがあるが、このルールには致命的な欠陥が二つあり、一つは序盤から攻めてサイドを進んで取るアグロタイプのデッキが有利になり、序盤サイドを取らせてから終盤逆転するタイプのデッキが不利になってしまう(要するに特定のデッキタイプに対して有利に働いてしまう)点、もう一つはサイドがリードしている状態で制限時間を迎えるために遅延行為をするプレイヤーが確実に増えるという点である。つまりサイド差で勝負を決めるのはプレイヤー間の不平等を生んでしまうのである。また、じゃんけんで勝敗を決める店舗もあるが、さすがに競技的によろしいものではないのでこれも大型大会においては論外である。
つまり両者敗北は仕方のないルールであり、なかなかすべての試合に勝敗を付けることは困難であるというのが現実である。

大会などが多く開かれ競技としての側面が強くなればなるほどLOやコントロールはそういった問題を発生させやすくなってしまうため、基本的にどのTCGも共通して環境にLOやコントロールをあまり増やしたくないというのは同じだろう。

しかし、ポケカに関して言えばまた別の事情があると考えている。

それは、「ポケモンのカードゲームである以上ポケモンらしいゲームにしたい」ということではないだろうか。

ポケモンは遊戯王やデュエマと違い、はじめからカードゲームとしてデザインされたキャラクター群ではなく、原作となったゲームが存在するため、カードのテキストなどに関しても元となった世界観や設定を守らなければならない。
例えば分かりやすいのが、レントラーというポケモンはポケカでは「相手の手札を見てカードを捨てさせる」という技を持っていることが多いが、これはレントラーのポケモン図鑑の説明文にある「透視能力」を再現したものであり、バンギラスは技を使う際に相手または自分の山札をトラッシュすることが多いが、これは「バンギラスが暴れると山一つ消える」という説明文を再現したフレーバーテキストになっている。

ではLOやコントロールにこの話を当てはめるとどうなるかというと、これらの戦術は「相手を攻撃して倒す」という、元になった「ポケモンバトル」のコンセプトを全否定してしまうものであり、こういった戦術が流行しすぎると、「ポケモンの」カードゲームである意味がなくなってしまうという思想が製作側にもあるのではないか。

これはポケカに限った話ではなく、実機のゲームのポケモンでも、「受けループ」と呼ばれるTCGにおけるコントロールに似た性質を持つ戦術が「ソード/シールド」や「スカーレット/バイオレット」で露骨に公式から弱体化された過去がある(回復技のPPの減少や、露骨に対サイクル戦用に作られた「たこがため」「エラがみ」「でんげきくちばし」、要塞化を図る耐久ポケモンへの対抗策であるウーラオスなどがそうである)。こういった戦術も、「使用・攻略難易度が高く初心者の参入の壁になる」という事情も多少は含まれているかもしれないが、やはり「制作陣が思い描いている本来のポケモンバトルの像から乖離してしまう」という思想が根底にあるのではないだろうか(実際受けループのような耐久戦術がアニメや漫画などの他媒体で描写されることはほとんどない。アニメ・漫画映えしなさすぎるというのもあるかもしれないが)。
ポケモンの世界大会がダブルバトルで行われる理由の一つに、シングルにこういった配信映えのしない戦術が多いからというものがある、というのはよく耳にする話である。

遊戯王でも初期の環境でエクゾディアが流行しすぎて制限がかかった(限定カードであったために入手難易度が高くデッキ選択の平等性を欠いてしまう事も理由の一つではあったが)過去があるため、「公式が想定している本来の勝利条件とは異なる形で勝利を目指すデッキ」が主流になり過ぎるのは良くないと製作側が考えているのは基本的にどのTCGでも同じかもしれない。しかし、ポケカは「元になったゲームが存在する」という事情を抱えているために、特にこの側面が強いのではないだろうか。まだコンテンツが開始して日の浅いワンピースカードや名探偵コナンカードでのこれからの動向も気になるところではある。

この辺りは憶測の域を出ない話ではあるが、公式側も「ポケモンであること」を大事にしているからこそ、そういった戦術ばかりが覇権を握らないようゲームデザインをしているのではないだろうか。


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