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《不定期活動報告⑤》第三回・銀竹定例歌会が2月17日に行われました

 どうも、報告者の綾驟雨です。去る2月17日に第三回銀竹歌会が行われました。(1か月以上も遅刻してしまい本当に申し訳ありませんでした。体調管理に気を付けます……)
 この日の参加者は綾驟雨晴、植木まい、遠藤伊代、大橋弘典、カワウソさん(ネプリでは林和弥)、工藤鈴音、日比谷虚俊。懐音が欠席投稿。また今回は外部参加の方が1名いらっしゃいました。

 早速投稿された歌を見ていきましょう。題詠「昔」を中心に3首投稿していたので、今回は題詠を中心に引いていきます。

先輩が嫌い母親大嫌い 一月一日バイトに向かう 日比谷虚俊

嫌な奴になっちまってと笑いつつはじける泡の遠かったこと 植木まい

(以上二首が最高得点タイの特選2票でした)

「別れてから懐かしむなんて、変な人。」「過去の関係だから良いんだ。」 綾驟雨晴

主要記憶地区外縁部スラム街最低層に昔の私 懐音

人体に淡雪ついてきて湿る昔のことなんざ覚えてねえさ 大橋弘典

その昔百葉箱に住んでいた過去がちらつき揺らめく野花 工藤鈴音

かげらふの羽化する風の死ぬる日よサナトリウムの窓の透明 カワウソさん

廃盤の香の老婦人頼む二人がけの席二つのコーヒー 遠藤伊代

 それぞれについて選を行った意見を参考にしつつ、僕の解釈を書いていきます。
 日比谷さんの一首は大学生らしさがあります。ネガティヴな感情の羅列。されど向き合わなければならないというアンビバレントさが、好き勝手のいかなくなる大人への階段でありモラトリアムでもある大学生という立場の辛さを浮かび上がらせています。
 植木さんの一首は解釈が楽しい。「泡」を石鹸玉と解釈する人もいましたが、僕は泡沫のような観念的なものと解釈。これ以外にも「遠かった」などの言葉のチョイスにもあそびを持たせているところも工夫が感じられます。
 綾驟雨の一首は、実際にそうであるという経験則を基にした講評をいただきました。
 懐音の一首は前衛的ですね。時間の流れを記憶と表現に託した結果、リアリティを持つ。選を入れた大橋さんが話していた、ひょっこりと昔の自分が角から顔を出しそうだというのがまさにそれっぽくて納得してしまいました。
 大橋さんの一首は懐音曰く、題に対してのアンチさがあるとのこと。投げやりな言い方が特徴的ですが、淡雪がつくという感覚も一過性のもので、いつか昔のものとなることを考えるともの悲しくもなります。
 工藤さんの一首は百葉箱に住むという独特のことば選びが何といっても楽しい。作中主体の輪郭をぼかし、解釈の幅がぶわっとひろがる感触がしました。
 カワウソさんの一首は現代ではあまり聞かなくなったサナトリウムが題材に。死を連想させる言葉の連続を、透明な窓で閉じ込める。新鮮な空気と治療を目的とするサナトリウムの清らかさとの見事な対比です。
 遠藤さんの一首は味を感じさせます。五感に訴える時間の経過。古くなるという過程を経たこなれた感触。飾らない、簡潔に綴った短歌ですが、ノスタルジーを感じさせるこの一首はとても好みです。

 3月の銀竹句会は初の対面・Zoomハイブリッドで行いました。詳細は次回の報告者が綴ってくれると思いますが、やはり直接会って文藝その他の話ができることって本当にかけがえのない機会ですし、今回そういう機会に恵まれたことに感謝しています。
 それでは、今後も銀竹をよしなに。

(報告者:綾驟雨晴)


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