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ライフとワークが融け合う世界にどう向き合うかのヒントを求めて

一介のUIデザイナーである私なのですが、非営利のデザインリサーチプロジェクトに参加する機会を得まして、いろいろ面白かったので書き留める次第です。
毎度ながらツラツラ書くよ!

参加したのはコレです ↓

昨今急激に世の中がリモートワークに移行していく状況にあって、デザイナーの取り組むべき課題は何さ!と探るようなアレです。
このnoteは、リモートワークに難を感じてる人が状況を良くするヒントを与えられたらいいな、と、そんな思いで書いています。

数名の方にオンラインインタビューをして面白いと思ったトピックを5つと、その総括、および私自身の価値観を踏まえてのプチ考察を述べたいと思います。


面白かったトピック5つ

■その1:仕事中に友達とゆるくつながる

在宅での業務中にmocriを使って、オンラインもくもく会風に友人とつながりつつ仕事をしている、という人がいました。
忙しい社会人にとって「友達と過ごす時間」を作るのは結構難しいものですが、こんな形でゆるく繋がれるのは良いですね。
(機密情報を漏らさないよう気をつけないといけませんが。)

リモートワークになることで友人関係が活発化する事例もあるのかも、という可能性が見えるエピソードでした。

■その2:見方を変えるだけで万事解決?

「在宅だと仕事の効率下がってつらい」とおっしゃる方がいたのですが、よくよく話を聞いていくと「リモートワーク開始以前から、業務効率には問題を感じていた」「以前のほうが体力的につらかった、今の方が寝れてる」「子供と触れ合う機会増した」という具合で、全体としては幸福度は増しているように思われました。

当人が「リモートワークつらい」と認識していても、客観視して状況をフラットに分析・再認識するだけで今感じてる辛さから解放される場合がありそうです。

■その3:業務と私生活を完全にミックスして得る楽しい家族生活

1DKで夫婦+娘2人(5才と8才)、4月から夫婦2人ともリモートワークという暮らしをされている方からもお話を聞けました。
いやそれ間取り的に無理あるだろ、リモートワーク成り立たんだろ」と激しく思ったのですが本人曰く「最初はバタついたけどもう慣れた、問題無い」とのこと。むしろ家事を分担しやすくなり、通勤と保育園送迎が無くなって以前より時間に余裕が生まれていると仰っていました。

仕事中に同じ空間に小さい子供が居てはやりづらくないか、と聞いたのですが、「2人で勝手に遊んで過ごしてくれてるから特に問題ない。ミーティングに割り込んできたりするけど、支障ないレベル」とのこと。
実際、インタビューの最中に何度かお子さんがフレームインしてきてこちらの気を引こうとするも、構わず続けていると「あぁ真面目な話してるのね」と察した様子でフイっと去って行かれました。

一般的に「在宅ワークでは仕事と私生活の時間・空間をどう分けるかが重要」という話を良く耳にしますが、それってただの思い込みなのでは... と思ってしまうエピソードでした。
恐らくはかなり特異な事例なのですが、快適に在宅ワークするヒントが此処にありそうな。

それと、「土日を休みとして過ごせるようになった」という話も興味深かったです。
以前は子供と過ごす時間に不足を感じていて、休日にそれを回収すべく出かけたり子供と遊んでいたりしていたが、今は休日に特別なことはせずただ休んでいる(曰く、休みの日に本当の意味で休んでる)とのこと。

■その4:やるなら組織全体で

以前から2020オリンピックに向けて試験的にリモートワークが実施されていた会社にお勤めの人から聞いた話なのですが、「前にやったリモートワークは非常に辛かった。今のはとても楽。正直出社するより楽。」とのこと。

以前は持ち回りでリモートワークにトライしていたため、社内の一部メンバーが家から仕事している状態でした。その時は「自分だけ情報的に隔離されている」「自分だけコミュケーションのハードルが高い」「(家族が出勤なり登校なりしてて)周りに人が居なくて孤独」と、心理的に追い詰められる要素が多かったようです。

今は組織全体でリモートワークを行っているので、孤立や不平等を感じず、また、組織全体でこの状況への最適化を図っているため、職場で働くよりもむしろ仕事しやすい、とのこと。

今後、社会情勢が変わって今の「一斉リモートワーク状態」が崩れていく時への備えも必要ですね。

■その5:過剰にFace to Faceで気まずい

業務についての話でなく、友人や仲の良い同僚との関係について聞いた話なのですが、「オンラインでランチとか飲み会とかする?」「しない理由は何?」と問うと、「気まずいから」という返答がありました。

曰く、「顔が見えすぎる。こんな正面から向き合って顔直視して話さない」とのこと。ナルホド。
ビデオ会話は普通、正面からの顔の映像になりますが、リアルでこんな正面から向き合うのって面接くらいのもんですよね。

他の方から聞いた際にも、「オンラインでの通話の時、相手が親しいほどビデオOFFの率が高い」という話がありました。
声のトーンで感情を察せられるレベルで親しい相手なら、真正面からの映像情報は過剰なのでしょう。ビデオ通話よりも間接的に表情や所作が伝わるようなコミュニケーションツールが欲しいところですね。

総じての感想①: 融け合わせ方大事

全体を通して、リモートワーク環境では仕事と私生活が融け合わざるを得ないということ、そしてその融け合い方は多種多様であり、個々人や家庭ごとに適切な融け合い方は異なるのだということが見えてきました。

勤め先や年齢層、住む区域が同じでも最適な働き方には想像を絶する差異があり、この先の時代には組織も個人もその多様性を受け入れざるを得ないものと思われます。

また、「仕事に私事を持ち込まない」とか「家庭に仕事を持ち込まない」というのは不可能であり、心理面でも行動面でも、それらを統合して捉えることになっていきそうです。
仕事は生活の一部となり、各々に適したライフスタイルの中で生活の糧も得ていく形になる、とでも申しましょうか。

総じての感想②: 場作り、仕掛け大事

「生活リズムを整えよう」「仕事に集中しよう」「運動しよう」とどれだけ意気込み、そして意志を持続できたとしても、精神力や自己管理能力では実現できないものなんだな、ということを何度か感じました。

行動をコントロールするには場(装置)を構築することが重要です。
職場に出勤するスタイルの場合には「定時」「通勤」「邪魔の入らない空間」といったものが提供されていたわけですが、それに変わるものを個々人が用意しないといけません。

リモートワークがうまくいっていないと感じている人は、この場作りを意識すると良さそうです。
例えば、ベッドからデスクへの導線上に着替えを用意しておいて、服を着替えることで頭を仕事モードに切り替える、とかですかね。こういった仕掛けを家族や友人との関係性の中に仕込むことができたら尚良さそうです。

リモートワークには犬を飼うと良い、という話がありますが、メンタルケアだけでなく生活のリズムを作るという意義も含んでのことなのでしょう。

これは個人レベルでなく組織レベルでも大事な発想で、「進捗を共有し会える場」「自然に雑談が発生する場」など、いろいろ仕掛けを作ることが求められています。

所感追記:エクストリームなパターンと生活基軸ワークスタイル

■ エクストリームユーザにインタビューする意義

今まで、特異な状況の人にインタビューすることの意義をあまり感じていなかったのですが、今回お一方かなり特殊な状況の人がいて、話を聞くと他の人とは全然違うインサイトが出てきて面白かったです。

単に「目新しさ、珍しさが面白い」という話でなく、

- 他の人たちも持っている課題なのに、表出しなかった。
- 他の人たちの課題を、全く新しい切り口から解決できそう。

というのが(ぼんやりとですが)見えてきて、とても有意義でした。

■ 業務ベースより生活ベースが良さそうだ、という話

いろいろお話を聞いていて、リモートワークにざっくり以下2パターンあるように感じました。

【業務ベースパターン】
仕事の効率を如何に損なわないかに注力。仕事と生活をきっちり分ける。仕事に集中できる時間と場を確保する。

【生活ベースパターン】
仕事の効率は一旦諦める。生活(家事・育児)が基本であり、その中に仕事を挟み込む。

後者の生活ベースパターンの方が、ストレスなく、また、(主観的な)業務の達成感や満足度も高いように感じました。(あくまで主観ですので、客観的なアウトプット量、アウトプット品質は落ちているかもしれませんが。)

前項で述べているエクストリーム事例は極端に後者寄りだったのですが、本人の実感としては「業務には全く問題なく、幸福度は著しく増した」というご様子でした。

オマケ:人類として

あるインタビューの後に、興が乗ってリサーチチームSlackチャンネルに書き殴ったポエムを転記しておきます。

【やんわりと壮大なことを思った(ポエム)】
近代以前の、数千年におよぶ農耕民族の生活を考えてみる。

- 仕事と生活のオンオフなんてない。週末という概念すらない。
- 家族みんなで大人も子供も協力して働く。
- 大多数は自分の生まれた集落とその近隣の中で生涯を終える。

これが大多数にとっての一般的な生活様式であり、職場に出勤する形が多数派になったのは戦後の数十年のこと。
標準的な人類としては、家族と空間を共有しながら働くのが自然であり幸福なのだと言えるのかも。
古代からの「人類として自然な在り方」と、ここ1世紀くらいに勃興した「近代産業」「学校教育」「情報化社会」を同時に成り立たせるにはどうしたらいいのか、という命題を問われているのでは。

人類の、数百万年にわたる進化の中で培われた狩猟採集民としての欲求を満たせているのか、というあたりも気になるところです。

インターネットによって好奇心や探究心を満たせているし、ゲームの類で狩猟本能も満たせそうだ、と個人的には思っているのですが、身体をフル活用せずに目と手先と脳だけでこれらの本能的欲求を満たしている状況には、何か大きな落とし穴が潜んでいるかもしれません。

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などといろいろ懸念はあるし、現状は課題だらけですが、新しい世界を楽しんでいきましょう。

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