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優しさ

平日の始まり、月曜日を乗り越えた皆様…お疲れ様です。

私は月曜の初っ端から寝坊で始まりました💧
滑り込みセーフで職場に着き、光の速さで1日が過ぎ…
帰宅して晩酌中でございます🍶

土曜は月曜提出の書類のために23時まで残業をし、
残業内容は前任の栄養士がほったらかしにしていったミスの修正など。
やりたくないことも誰かがしないと困るからと
片付けていき…

残業終わりに友人から受け取るものがあったので友人宅へ。

残業お疲れ様とケーキを渡され、
感動で半泣きでした😭😂😂

思えば、昔より今はかなり周りの人に恵まれているなと感じます😌

小学生の頃に両親が離婚し、中部地方から九州へビューンと引っ越してきました。
今は中部地方に行こうと思えばお金を払い、
新幹線や飛行機などで行けますが
また小学生だった自分はアメリカと同じくらいの距離を感じていました。
住み慣れた街から住み慣れていない街へと行き、住む。
ここから少し対人関係がズレていったのかなと思います。

前述の通り、離婚した訳なので片親の状態。
祖父母と暮らしはいましたが、
服や流行りのゲーム類は我慢でした。
服は3姉妹なので常に姉からのお下がりでしたし、
私もそれで満足でした。

ある日、学校でA子ちゃんから
「あられちゃんの服はボロボロだー」と言われたのです。

そこで私もお気に入りだから大切に着てるんだーと言えばよかったのに

このA子ちゃんの一言でかなり周りを気にするようになりました。
吃音も酷かったので、
「あられちゃんと話すとどもりがうつる」と言われていました。

中学校に上がって良かったことは
制服になり、全てが平等になったこと。
これで毎日の悩みが少し減ったこと。

しかし吃音はどんどん酷くなるばかり😑😩
先生に当てられても「分かりません」と嘘をつき続ける日々。
本当はわかるのに。
話し方をモノマネされる3年間でした。😑😑

高校生になるといよいよ周りとあまり話さなくなり、
一人で英検の勉強をしているか、
音楽を聴いているかでした。

孤立していた、孤独だった
そんなことはないですが、どもらないようにとても必死な3年間だったと思います。

学校が苦手だったので、大学には行かず高卒で働こうとしましたが、
ある出来事がきっかけで管理栄養士という仕事を目指すことになります。

その出来事は祖父が胃ろうになったことでした。

カツ丼が食べたいと死ぬまで言っていたことが今でも忘れられません。

胃ろうという嚥下いわゆる飲み込みができなくなった人の延命治療。
今は嚥下支援というものはとても進んでいて、
1度胃ろうになった人も言語聴覚士さんという嚥下のスペシャリストの力を借りて
口から食べれるようになる方が増えたと思います。

祖父のような方を口から食べさせるようになりたいと
管理栄養士を目指すことになります。

バカだった自分も勉強して大学へ。

4年間、長いなあと少し嫌な気持ちに。
でも目的は管理栄養士になること。
あまり人と話さずにまた中高の時のように一人でいようと思っていました。
いざ入学してみると、
たくさんの友人ができ、声をかけてくれ、
人生初の「自分は吃音者です」と言った告白にも
「どんなにどもってもあられちゃんは面白いよ」と答えてくれた友人たちに出会えました。

大学に行くことをやめなくて良かったなと思ったことと、
今でも遊ぶ友人は大学の友人なので、
いい人たちに恵まれたなあと
中高の自分の暗黒時代を振り返るとそう思います。

長くなりましたが
どもりの自分は嫌いでしたが、そんな自分が嫌いな自分も
誰かが受け入れてくれる日が来るのだなと実感できた話でした😌

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