ギャルの属性「無知」とロリの属性「無知」には本質的な違いはあるのか
ギャルの属性の成立。
ギャルが出始めたのはケータイが出始めた2000年代。
インターネットの普及。
SNSの普及と重なる。
新しい現代の価値観、概念。
価値観と、概念がほぼ同時に現出した。これは現代の価値観と、概念が同時に現出する特性を表している。
一方でギャルには多種多様なダイバーシティが存在していた。
今は絶滅危惧種になっている原住民族のようなスタイルから、白ギャル・黒ギャルの大別する枠組み、清楚系・ビッチ系・メンヘラ系・アイドル系・ボーイッシュ系・ガーリー系・ダウナー系・アッパー系等の細やかなフレーバーまで発展している。
彼女ら、「とりわけ」彼女らの精神的な殴り合いは差別化を無意識に行なっている。
まさに現代の精神の闘争である。
最近ではしばしば、フェミニズムとも関連づけられる。
そう、これは女の世界なのである。
男は必要ない。
ギャル女の横にはギャル女がいるかもしれない。はたまた清楚系なのかもしれないし、ビッチ系なのかもしれない。
でも、ギャル女の横にはギャル男は必ずしも必要とはされていない。
これは現代のアイドルを見ても明らかである。
百合なのである。
だがしかし、女同士で殺し合ってもいる。
つまりユリイカ、愛し合い殺し合う。
共喰いである。
自己完結している。
ロリとは旧人類から存在した概念。
厳密には、現象が初めにあった。
その後に概念が生まれ、価値観は最後に付与された。
ロリには生来故の忌避的な性質を孕んでいる。
ロリとギャルの最もな違いはお互い干渉・非干渉の関係にある事だ。
ロリはギャルになることが可能だが、ギャルはロリには基本的にならない。がしかし、ファッションとしてロリを被る事はままある。これはいってみれば、精神的な成熟がもたらす賢さを蓄積した結果であり、賢しさ故の不可逆的なものなのである。
つまり、本質的にはロリがギャルするのは可逆であるがギャルがロリするのは不可逆なのである。
そういった意味では、ロリにとってギャルは受け入れ可能な内なるものではあるが、ギャルにとってはロリは受け入れられない外なるものである。
結論としては、ギャルの無知は本質的には未知であり、ロリの無知は本質的な無知なのである。
ロリータ
ギャル
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