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吸血鬼が地元の祭りに行けない理由

こんにちは、夜枕ギリーです。

先日は地元の公園で夏祭りがあったようで、遠くからアンパンマン音頭や炭坑節が聞こえてきました。お祭りの空気が好きなのでちょっと見に行こうかなと思ったのですが、急に強い抵抗を感じたので諦めました。ソロ映画もソロ焼肉もぜんぜん行ける人間ですが、「ソロ地元の夏祭り」には強烈な壁を感じたのです。

たぶん電車に乗って行くような大きな祭りなら大丈夫。しかし地元の地域コミュニティ(いわゆる町内会)が主催で、屋台もこども会やシルバー会、草野球チーム、地元商店の方たちによるものが中心です。地元中学のブラスバンド部がYOASOBIの「アイドル」の演奏を披露したりもしていました。そんな規模の祭りといえば、皆さんの家の近くにも一つくらいはあるんじゃないでしょうか。

で、やはりあそこに入るのは無理ですね……。私はちゃんと住民票もあるこの町の住人ですが、あの場に自分が存在していい文脈が見つけられないのです。当たり前と言えば当たり前ですが、地域の祭りは地域コミュニティに参加している人のもの。具体的には自ら積極的に参加してる人は当然として、半強制的にコミュニティに属することになる中学生くらいまでの子どもと、その家族、さらにその家族と密接な関わりを持つ人たちのものです。

子どものころはお祭りが大好きだったので、地域の祭りも午前中から会場に赴き設営の様子を見ては期待を高めていた記憶があります。それでも高校生くらいになると何となく行きづらくなり、今思うとあれは思春期による気恥ずかしさからだけではなく、自分がもうコミュニティから外れているということを無意識に察していたからかもしれません。

映画館や焼肉店は客から対価を得てサービスを提供する場所なので、その場に一人でいること自体は何もおかしくないはずです。客側がソロ入店に抵抗を覚える理由があるとすれば、場から拒まれているからではなく、孤独を嘲られる怖さや恥ずかしさからだと思います。

私が焼肉などのソロ活動に抵抗が無いのはそういった「理」を支えにしつつ、孤独を恥ずかしいものと思っていないからで、逆に言えば理が無ければその場に踏み入ることができません。つまり地域の夏祭りには、コミュニティに属さない独身の成人が参加する理を見つけることができなかったという話。吸血鬼が招かれないと家に入れないのと同じですね。

最近コミュニティというものを考える機会があったのでこんな日記になりましたが、私がぼっち性やコミュ力の無さをアピりつつ、VTuberコラボにゲストを呼べるのは、この辺の「理」を素材にした鎧をまとっているからでしょうね。同じVTuberというコミュニティに属しているから大丈夫だよね、という理。

その鎧は流石に薄すぎるだろという自覚はあるし毎回貫通ダメージがバチボコに入りながらコラボを主催しています。もう少し厚い素材になるコミュニティに属したいね。

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