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アスリートとけが

東京オリンピック男子マラソンで見事6位入賞を果たした大迫傑選手は本当にすばらしいランナーだと思います。私もこれまでの大迫選手のレースは、オリンピックも含めて福岡国際マラソンやシカゴマラソン、東京マラソン等テレビで観戦して本当に素晴らしい選手だと思って観戦していました。

しかし、私が陸上競技を初めて、過去の映像や情報を含めて様々な選手について知るようになって、歴代で最強の選手は大迫選手ではありません。

現駒澤大学駅伝部コーチの藤田敦史さんです。藤田さんが現役時代は本当にとんでもない走りをみせてくれていました。

ちなみに、私が初めて藤田選手の走りをみたのは、1998年の全日本大学駅伝です。当時駒澤大学のアンカーだった藤田さんの走りに私は魅了され、陸上部を退部して小学校のときしていたバスケット部に入部しなおそうとおもっていた私の決心をあっさりと心変わりさせました。

その後藤田さんは大学4年生の最後のレースとしてびわ湖毎日マラソンに出場し、日本人トップ、さらに当時の学生記録を更新する素晴らしいタイムでその年のセビリア世界選手権の代表に選ばれました。

世界選手権では、足底をけがして痛み止めを打ちながらのレースでみごと6位入賞、翌年のシドニー五輪代表での活躍が期待されていました。

しかし、けがでシドニー五輪の選考会に出場できず、代表に選ばれることはありませんでした。

そのシドニー五輪では日本男子マラソンは川嶋伸次さんの19位が日本人トップという厳しい結果に終わりました。

停滞ムードが流れていた男子マラソンの空気を一気に変えたのが藤田さんだったのです。

シドニー五輪後の2000年12月に行われた福岡国際マラソンで、藤田さんは圧倒的な強さを見せます。

シドニー五輪での金メダリストであるエチオピアのアベラ選手やその他強豪選手がそろったレースで、序盤から集団で冷静にレースを進めていた藤田さん。だんだんと集団の人数が絞られていって最終的にはアベラ選手との一騎打ちになります。

しばらく併走が続いていましたが、アベラ選手が一瞬ふらつき(頭痛がしたと本人は語っていたようです)藤田さんと接触、それをきっかけに藤田選手が一気にスパートし、あっというまにオリンピック金メダリストを突き放してしまいました。

そのまま35~40キロまでの5キロを14分44秒までペースアップするとんでもない走りで最後まで駆け抜け、当時の日本記録を更新する2時間6分51秒でゴールします。当時の世界歴代11位の記録で、今で言えば2時間3分台くらいの価値はあると思います。

本当に圧倒的な強さで、当時平和台陸上競技場に応援に行っていましたが、ゴールのときにはスポーツを観て生まれて初めて涙を流しました。それほど停滞した日本男子マラソン界の空気を一気に変える、とてつもない走りでした。

そんな藤田さんでしたが、その後はけがに苦しみ、時折良い結果を出すものの、オリンピックには結局縁がなく、2013年に現役を引退しました。

あの時の藤田さんの福岡国際マラソンでの走りは、今でも私の中では日本人で最強だと思っています。

しかし、そんな圧倒的な強さをもつ藤田さんでも、けがには勝てませんでした。むしろ、圧倒的な強さを身に着けるために、他を寄せ付けない圧倒的な練習を自らに課したことで、けがに苦しむ結果となりました。

どれほど強い選手でも、けがに苦しめられて結果を出すことができない、けがをきっかけにして現役を引退せざるをえない。どんなスポーツでもこのような悲しいことが起きてしまいます。

けがに苦しんだ経験を持つ選手が指導者になることで、有望な選手のオーバーワークを防ぎ、選手の才能をさらに伸ばしてほしい、そう切に願います。

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