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「弱いデザイナー」になること:デザイナーの協働と成長について


1人目デザイナーとして独学する中での悩み

こんにちは、Yondemyというスタートアップで1人目デザイナーをしているもろじゃいるといいます。

最近後輩の育成をしているのですが、育成の中で自分と後輩が共通に直面している根深い悩みがありました。
それは「これでちゃんとデザイナーできているのだろうか?」「デザイナーとして会社の役に立てているのだろうか?」という不安です。

これらはいつか何かをきっかけに消えるとも思えないので、多かれ少なかれ、すべてのデザイナーが持っているのではないかと思います。

こういう悩みの背景には何があるんでしょうか?
それは「強いデザイナーになりたい」というマインドがあるように思います。他のデザイナーの話を聞いていても、自分を省りみても、そう思います。

強いデザイナーになりたい

強いデザイナーのイメージは、

修行を積んで、一人前になり、「デザインのことは俺に任せておけ」と言えて、周囲を引っ張って啓蒙していける

というものです。
デザイナーはかくあるべきだという暗黙の前提があるように感じます。

しかし、Yondemyでの経験を振り返ると、こうした「強いデザイナーマインドセット」ではなく、「弱いデザイナー(*1)」のマインドセットでいた時の方が、良い結果が生まれていたように思えるのです。

組織としてのデザイン力

なぜ弱いデザイナーマインドセットの方が、良い結果が生まれたか?
その理由は2つあります。

1つ目は、組織全体のデザイン力を上げるからだと考えています。

プロダクトデザインにおいては、デザイナー1人のデザイン力(*2)より、よほど会社・組織全体としてのデザイン力の方が重要です。
その理由は、プロダクトのもたらすユーザー体験1つとっても、ユーザー体験の中でデザイナー1人が管掌できる範囲は限界があるからです。例えばカスタマーサクセスなどはわかりやすいですが、マーケがどんな広告を打つかで予期的UXは変わりますし、データベース設計の時点でユーザー体験が規定されてしまうこともありえます。
弱いデザイナーマインドでいると、組織としてのデザイン力が上がるように思えるのです。

2つ目は、デジタルサービスのデザイン(特にリソースの少ないスタートアップ)においては全体論的な視点が重要だからです。

デジタルサービスを考えるにあたっては、全体を見る視点が重要な気がしています。(*3)全体を見る視点は色々あります。
例えばコンセプトの成立とお金儲けが矛盾しない状態にあるか、今後の成長のために何をアセットにするかといったビジネス的視点や、ユーザーの生活の中でいつどこでどうやって使われるか、どんな欲求で使われるか、ユーザーは何を期待しているか、ユーザーは使い方をどう学習していくか、そしてユーザーはどんなインタラクションを「これ気持ち良い!」と思うのかとか、そういったユーザー視点です。
また、サービス運営側がどのように円滑に低い負荷でサービスを回すことができるかもデジタルサービスの一つの側面です。
普遍的な良いデザインというのはないと思うので、サービスの一部に注力してクオリティを上げ続けることより、これらの視点を切り替えつつ、得た知識を関連づけながら「そのサービスにとって何が重要で、何をしたらサービスが良くなるか」を考えて改善していくこと、そして何より「そのサービスを良くするとはどういうことか」をより多面的に見られるようになっていく方が余程重要だと自分は考えています。(したがって、「どんなものが良いデザインと言われてきたか」を参照するのは必要です。)
「普遍的な良いデザインがあるはずで、それを目指す」という盲目的な「強いデザイナーマインドセット」は全体論的視点を曇らせるものだと思います。反対に、弱いデザイナーでいれば、自然に全体論的な視点になっていくように思います。

ここからは、弱いデザイナーとは何をするデザイナーなのか。
また、弱いデザイナーになるための、修行にならない成長モデルを考えたいと思います。

弱いデザイナーとは何か

弱いデザイナーを、3つのミクロな実践で定義しましょう。

ノンデザイナーを頼り、
ノンデザイナーとデザインについて雑談し、
ノンデザイナーからデザインを学ぶデザイナー。

のことです。

1. ノンデザイナーを頼る

強いデザイナーは、組織のデザインクオリティのためにも、自分のスキルアップのためにも、なんでも頑張ってやりがちです。
しかし、弱いデザイナーはテンプレだけ作って後はノンデザイナーに丸投げします。「形を作る」というデザイナーの専売特許と思われる部分においても、ノンデザイナーに頼って、巻き込んでしまうわけです。

Yondemyでは、FigmaのAuto Layoutやトークンなどうまく制約をつけることで、質を担保しながらノンデザイナーに頼ることが多いです。特にプロジェクトを持っている人が作った方が早く本質的な検証ができるプロトタイプや、大量に同じものを作るバナーなどで活用しています。
例えば、AutoLayoutでノンデザイナーがpadding, gapに細かく配慮する必要はなくなります。

これは、単にデザイナーが楽をして、ノンデザイナーに負担を押し付けるということではありません。
ノンデザイナーがFigmaをいじり、デザイナーの作ったテンプレに注意を向けることで、デザイナーの関心(例えば四方のpaddingは揃えるとか、色は3色以内に収めるとか)を学び、デザインリテラシーが上がります。デザインリテラシーの細かな積み重ねが、組織のデザイン力につながっていきます。

2. ノンデザイナーとデザインについて雑談する

強いデザイナーは、1人でデザインの責任を背負おうとします。また、他のメンバーが知らないデザインの知見を導入することで価値を示そうとします。
しかし、弱いデザイナーは、ノンデザイナーに自分がその時直面しているデザインにまつわる課題について話し、意見を求めます。

私自身を振り返ると、最初1人でカスタマージャーニー的なものをこねたり、悩む時間が本当に多かった。半年仕事で使った時間の割合を書き出したことがあるのですが、1人で考える時間が、相談する時間の3倍あったんですね。これは流石にヤバいと思い、とにかく課題について誰かと軽く話す時間をとりまくりました。その結果いくつか良いことが起きました。

その1つに、こんな例があります。
その時何か会社のためにデザイナーができることは何かというのを考えていて、「組織全員がユーザー目線を持てる仕組みを作りたいな」と思っていました。当時フロントエンドのコーディングとマネジメントをしていたので、副業のエンジニアの方と週一で話していたのですが、ミーティングの中でその話をしたんですね。流れで、リサーチャーのインターンの子がヨンデミーユーザーが書いたアメブロ記事をよく読んでいる話になりました。

社員みんなアメブロ読んでくれたら良いよね。でも、読めと呼びかけるだけでは読んでくれない。
その時出たアイデアが、アメブロのヨンデミー関連記事をSlackに流すようにするSlackのWebhookでした。なんとその日中に爆速実装していただきましたが、実装から2年以上経った現在でも、社員がユーザーの声に触れるインフラとして機能しています。

他にも色々雑談していました。
私がやってきたのは、Slackの個人チャンネルで思考プロセスやプロトタイプを上げてみることです。デザイナーは目に見えるアウトプットが作れるので、盛り上がります。(あと、反応があると自分が嬉しい)

社内ツールであっても「使いづらいところない?」と訊いて、痒いところがないか聞く美容師のような感じで(?)、ツールを使う社員と意思疎通をとることもしました。このエピソードは、他のメンバーにきいたところ、「デザイナーってこういう人なんだ」と強い印象を与えていたそうです。

3. ノンデザイナーからデザインを学ぶ

強いデザイナーは、役立つために、自分が会社でいちばんデザインできなければいけないと考え、また相応のプライドもあります。
しかし、弱いデザイナーはノンデザイナーから、デザインの視点を学びます。これの意味を考える前に、「弱いデザイナー」の学習について考えましょう。

弱いデザイナーという言葉は、一見すると学習や成長と矛盾しているように思えるかもしれません。しかし、私は「弱いデザイナーであること」は、成長と矛盾するどころか、成長そのものだと考えています。
修行して強いデザイナーになることよりも、弱いデザイナーであることを目指すことの方が、本質的に成長といえるのではないかということを考えていきたいのです。

弱いデザイナーの成長モデル

成長について考えるには、デザインが下手な状態と上手な状態を定義する必要があります。そもそもデザインが上手い?とは何でしょうか。

デザインが上手いとはどういうことか

例えば、「細部まで行き届いていて、美しく、一貫性があり調和している」というものがあると思います。あるいは「ユーザーがコンバージョンしてしまう」も上手さの一つでしょう。

上手さといったときに、よく使われるメタファーに山登りがあります。

このメタファーには下の2つが暗に含まれています。

  1. 普遍的で、動かない頂上がある(美、イデア、正解)

  2. 自分の能力が上がれば、思い通りに不確実性なく作ることができて、成功できる(確実なので、再現性があって、何回でも成功できる)

しかし、特にデジタルサービスにおいては、この山登りモデルは通用しないのではないでしょうか。
まず、これはデザイン全般においてですが、固定された「ユーザーの求めているもの」があるのではなく、
状況・社会との関係性の中で「求めているもの」が生まれるという特徴があると思います。その道具の存在によってユーザー自身が変化し、ユーザーの求めているものも変化してしまうという再帰的な構造もあります。

またデジタルプロダクトにおいて本当にデザインしているのは、
形あるプロダクトやUI自体ではなく、不確実なプロセスです。
例えば、当たり前ですが、画面単体では存在せず、画面同士の遷移が重要になります。ユーザーは生活の中でプロダクトを使うので、デザイナーはその生活というプロセスをデザインしていることにもなります。
同時に、電気によってサーバーが稼働し、メモリを使ってユーザーの情報を保存し、光ファイバーの上に構築されたインターネット網を通して情報のやり取りをするという通信のプロセスもデザインしています。(この辺はブラックボックスになっているので前景化しませんが)
さらに、サービスの利用によって会社にお金が入るというビジネスのプロセスもデザインしています。これらは不確実性のある、流動的な、プロセスです。

要するに、デザイナーが登ろうとしていた山は、実は頂上が動きまくるし、実は一度たどり着けたとしても再びたどり着けないかもしれないし、自分のスキルがついても全く原因のわからない外部の要因で失敗するかもしれないという山だったのです。これに対し登り方を考えるのは辛いですね……。

山登りではないモデル

ではどうやったらデザインが上手くなるのでしょうか?

最も単純な要素にするなら、まず「質の高いもの」と「低いもの」の区別を体得するというのが「上手くなる」ことなのではないでしょうか。
「自分の作ったもの」と「質の高いもの」の差が体感できれば、差を言語化するなり、知識をつけるなり、他人に相談するなりできます。

ディテールの話など感覚的な質の問題は言わずもがな、コンバージョンや情報設計などの、感性というよりは数値で判断するような話に関しても、コンバージョンするデザインとそうでないデザインの差、情報を正しく秩序立てて伝えられるデザインとそうでないデザインの差に気づくことができるかが重要になってくる気がします。

したがって、質の差に敏感な感覚を持つこと、そしてその差に反応して自らのデザインのやり方を変えることが素早くできることが、デザインの上手さだと理解しています。

質の差に敏感な感覚を持つこととはどういうことでしょうか?

その例として、突拍子がないですが、都会人にとっての森と、木こりにとっての森を考えてみます。都会人にとっての森は、単に緑の植物がたくさんあるというだけですが、木こりにとっての森は、さまざまな樹種で構成され、地形とそれが何の痕跡なのかという意味に満ちていて、草木同士の関係がどんなかも体得しています。

したがって、もし森の樹種や地形、草木が変化したら、木こりはその変化と意味することに敏感に気づくでしょう。しかし、都会人は気づきません。

この差はなぜ生まれるか。それは木こりは都会人よりも、森に対してマルチモーダルに、注意深く関わっているからです。

マルチモーダル

マルチモーダルとは、工学でよく使われる言葉です。
意味は「同じ現象についての情報を、異なるタイプの検知器から、異なる条件で、複数の実験や被験者で獲得すること」(*4)です。

都会人は森を「憩いの対象」として、鑑賞することしかできません。
一方、木こりは、財産として森と関与します。例えば自分が欲しい木がどれなのかを見分けていると思います。また、どれを残してどれを間伐するかという区別を、葉っぱの様子や枝ぶりなどで商品価値や森という資産への影響を推定して行うんだと思います。
木の皮や葉のパターンを視覚だけじゃなく聴覚や嗅覚を使って感じ取ることで、木の健康状態を測るでしょう。また、木が今後も育つような生態系が保たれているのかを感じ取るために、「どんな動物/昆虫/キノコが何を目的に木に集まってきているか」という動物や菌類視点になっても考えるでしょう。

まるで鑑識の捜査のように、さまざまな痕跡を、さまざまな「感じ方=検出器」を使うことで、森の様子を感じ取っていきます。これがマルチモーダルということです。

デザインが上手くなる話に戻りましょう。

私は、デジタルプロダクトのデザインが上手くなるというのは、プロダクトと人の間のインタラクションにマルチモーダルに関わるようになることだと考えています。

デザイナーが何かをデザインして、実際に形になり、ユーザーの元に届いたとしても、意図した機能を果たせるかはわかりません。デザイナーが求められるスキルは例えば、
1. 予め失敗確率を減らすこと
2. 失敗を早く検知してそれに対応すること
です。

特に2. について、デザイナーはプロダクトと人のインタラクションが残した痕跡をもとに、失敗を検知する必要があります。
例えば、ユーザーリサーチを元にしたユーザーの課題感、SQLのデータ、CSに来る問い合わせ、ブログ記事などです。あるいはアプリを実際の環境で使ってみることや、目の前で使ってもらうことでも、うまくいっていないことはわかります。
プロダクトは様々な要因が複雑に影響する思い通りにならない科学実験のようなものであり、さまざまな面からプロダクトのインタラクションを検知できるようになることで、差異に敏感に気づき、素早く対応できるようになるのではないでしょうか。
これは1. の失敗確率を減らすところでも同様です。2. が高速にできるようになれば知見も高速に精度良く溜まるようになります。

これは説明しやすい例ですが、もっと感覚的な例(例えばUser Delightをどうやって起こすか)においては、検出器を増やすことの重要性は増すのではないかと考えています。

マルチモーダルになるためには

マルチモーダルになるために必要なことは、プロダクトに注意深く向き合い続けるということと、検出器を増やすことです。
「検出器を増やす」ことを成長目的に据えてみたらどうでしょう。
Human Interface Guidelineを最初に読むことはそんなに重要ですか?
もちろんHuman Interface Guidelineを読んで「ボタンの最低サイズ◯px以上じゃないといけないんだ」とか「Appleのプラットフォーム的視点の検出器」は手に入ると思います。しかし、それはあなたのプロダクトのインタラクションにとって重要な検出器でしょうか?

デザイナーの育成の際も、「どうやって検出器を増やし、高精度化していくか?」という視点で考えてみたいと思っています。

弱いデザイナーになることは、検出器を増やすことである

弱いデザイナーのマインドセットは、無闇な修行マインドから脱却し、学ぶべき対象を予め決めることなく、影響を受けることで変化に対して自らを開くことです。それは、視点を「私」に限定しないことで、検出器を増やすことにつながります。

このとき、「ノンデザイナーからデザインを学ぶ」ということが重要になってきます。
先ほど、デザインが上手いというのは、プロダクトと人の間のインタラクションにマルチモーダルに関わるようになることだと定義しました。
考えてみれば、このインタラクションに関わっているのは、デザイナーだけではありません。PMは経営戦略視点を持って関わり、CSはトラブルを抱えた顧客の視点を持って関わり、マーケや営業はまた違った視点で関わっていると思います。この視点を借りることができたら、さらに検出器を増やせるのではないでしょうか。

強さを経由しないと弱いデザイナーになれない?

これについてスタートアップのデザイナーの方と議論させていただく機会があり、そのとき出た意見の中に「ある程度経験を持たないと、差に敏感になれないんじゃないか?」というものがありました。つまり、経験を積むという強いデザイナー的成長を経なければ、弱いデザイナー的になれないのではないかという指摘です。これに関しては明確な答えは出ていません。
しかし、弱いデザイナーというのは態度であり、志向です。私たちが前提にしている、「私個人のスキルがあるから、プロジェクトが成功する」という因果関係を、一度立ち止まって見直してみることです。
経験を積むことを経由して差に敏感になると言うことは、差に敏感になるという大目標を達成するために、その前の経由地として経験を積むという達成できそうな小目標を設定することです。
そうではなく、直接、差に敏感になるための、様々な工夫や戦略を立てるのが弱いデザイナーです。たとえそれが一時的なものでも、即席のものでも、とりあえず差に敏感になれるものを使うのです。それが、この記事で書いてきた、他の人を頼ること、UGCのブログ記事やカスタマーサクセスに来た問い合わせをSlackに流してコストゼロで見られるようにすること、他のメンバーと話すことなどです。
それを通して、デザイナーの経験とかスキルとして括られているよくわからないものは学習できるのではないかとも思います。

まとめ

まとめるとこんな話でした。

  • デザイナーは修行して「俺についてこい」という強いデザイナーになるのではなく、弱いデザイナーの成長モデルを持った方が良いのではないか

  • その理由は、組織のデザイン力につながることと、サービスを全体論的な視点で見られるようになること。

  • 弱いデザイナーとは、非デザイナーを巻き込み、頼り、話し、非デザイナーに学ぶデザイナーである

  • 弱いデザイナーの成長目標は、プロダクトと人の間のインタラクションにマルチモーダルに関わるようになることである。そのためには、プロダクトに向き合い続け、インタラクションを様々な観点から見ることのできる検出器を増やすことが必要

*1 「弱いデザイナー」という言葉の元ネタは、ロボット工学者の岡田美智男の「弱いロボット」にあります。
「弱いロボット」とは、自身の弱さを適度に開示することで、周りにいる人の強みや優しさを引き出すロボットのことを指します。
詳しくは以下サイトをご覧ください。

「弱いデザイナー」ついて他社の方とお話しした時には、これは「弱い」というよりむしろ、「弱さを曝け出す」とか「柔らかい、力を抜いて受け流す」ような感じのイメージなのかも、という意見ももらいました。

*2 デザイン力というのは曖昧な言葉ですが、例えば「ユーザーの視点から考えることを徹底できるか」「ユーザー体験にとって本質的な細部に固執できるか」などを想定しています。

*3 ただし、細かいインタラクションは思いのほか全体に影響を及ぼすので、部分が重要ではないと言っているわけではありません。部分が全て重要なのではなく、全体との関係において重要な部分が決まります。雑に言えば、全体をうまく回すために必要な部分には注力し、そこまで影響がない部分には注力しないという判断です。

*4 D. Lahat et al., "Multimodal Data Fusion: An Overview of Methods, Challenges, and Prospects," in Proceedings of the IEEE, vol. 103, no. 9, pp. 1449-1477, Sept. 2015, doi: 10.1109/JPROC.2015.2460697.



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