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顛倒

つまらぬ話である。


技術開発が盛んだそうな。

バーチャルな世界、いまはメタバースとかいう横文字であらわすものがあるらしい。

メタバースはメタボリックシンドロームとは違うのですね。
…古いな、あははん、とかいわれるのかもしれないが、言葉に勝手にラベリングして新しがるのは、「世の中の流れは速い」とか嘘をつき、自分が前を走っていると他人に錯覚させたい人種が使う、薄っぺらな手段である。

その流れが速い世の中に、わたしはついていく気がない。しかし、なんの不自由もなく、わたしの世界で生きている。わたしの生きる世の中は、新幹線のように猛烈な速度で走る乗り物はあるが、時の流れはべつに速くない。今まで通りである。


さて、メタバースである。中身は知らない。知らないが、現実世界とは異なる世界に居るかのような体験ができるんだそうである。そのための技術開発が盛んなんだそうである。


現実の世界を良くするより、仮想世界を良くするためにあくせくするなんて、ちょっと違うんじゃないか、という人は、あまりいないように感じる。
「だってこんなことやあんなことができるから」
「今までできなかった素敵な体験が待っているから」
しかし、
そのメタバースという仮想空間において、腹は膨れず、疲れを取ることはできず、怪我に薬を塗ることもできない。
なのに、
現実世界を差し置いて、猛烈な勢いで開発が進んでいる。ただ、そういう仮想空間を構築する技術が好きな人達の都合が優先して。

現実世界にお金をかけるより、仮想空間にお金をかけたほうが良い、と言われているような気がする。

シンギュラリティ、という言葉が流行った。今もそういう言葉は意味をもっているのか、わたしは知らない。そんな言葉をもってこなくても、人間は既に技術に振り回されて、片手に収まる小さな画面に一日中囚われて、仮想空間が現実世界より価値があるような、それを認めるのが常識であるような、のっぺりとした顔をしている。

そういう世界は無味無臭であって、起伏のない人物と、起伏のない世界、どこから始まったのかわからない、過去のぶった切られた世界がある。誰かの思いつきを出発点に始まった世界は、立ち戻るところがない。立ち戻るところはないが、未来へ線を引き続ける。そういう世界に没入する人は、過去を振り返る、という概念を持たない。今この瞬間の恍惚とした自らの感覚のみを追い求める。無味無臭の世界に傾倒する人のなかには、現実世界での道徳を忘れ、現実世界での人間関係を忘れ、現実世界での清潔さを忘れる者もある。

仮想の世界が華やかなのは、お金が余っているからである。現実世界に投資する先は限られているから、それ以外のところにお金を使いたい人がいるのである。現実世界ではないところ、仮想空間にお金を突っ込めば、現実とは違うルール、現実とは違うタイムスパンでお金を増やすことができる。

植物の種を蒔いて収穫をまつより、仮想空間に金を突っ込んでアルゴリズムに任せ、手を汚さず資産を増やす。

声高に言われる「効率」というのはそういうもののような気がする。手触り感のないものが勝手に歩いて、人を振り回すようになった。

そして、
わたしも仮想世界の面白さに飲み込まれ、年金を気にして右往左往するだけでなく、知らぬ間に得体のしれない「現実とは異なる世界」の恩恵を受けている。


つまらぬ話であった。