メモ(空気をよむどうでもいい前段と、超絶大事な本題)

例によってつまらぬ前段と大事な本題である。どうでもええ前段はすっ飛ばすがよい。


●前段


前段はこういうことである。

空気をよむ、という言葉がある。

まわりに幾人かがいる集団において、自分以外の人間が何を思っているかを勝手に察知して、自分に危害が及ばないような方向へ物事を持っていこうとすることをいうのだと思う。

その際、発言する当人は「自分はこう思う」とは言わない。「こういう場の感じだと、そうならざるを得ないな」というある種"客観的"で、懸念事項は全て検討したかのような言い方をする。そこに、自分がへりくだって皆様のご意見を尊重いたします、という態度を含ませている。皆が判で捺したようにそう発言すれば「じゃあそういうことで」と物事が決まる。これはその場にいる集団の感情によって決まる。論理や議論で決まるものではない。

自分がへりくだって皆様のご意見を尊重いたします、という態度を「議論になっていない」と難詰するようなことはしてはいけないのである。自分を尊重してくれている他人に対し難癖をつけるのは、少なくとも日本においてはお行儀が悪いのである。最近であれば「オマエ炎上すんぞ、マジで」みたいな感じになろうことだなあ。


さてこの反対側にあるのは、言葉でいえば「空気をよまない」なのかな、と反射的に思うところであるが、わたしはちょっと違うことを考えた。それは、空気の反対語は非空気である、なんてことではない。なんやねん、非空気って。

空気が無いのだから、それは物理的に言えば真空であり、であれば「真空をよむ」のであろうか。そんな言い回しが出てきたら何のことやら皆目見当がつかない。「真空をよむ」とかいうと、物理学か何かの学会誌の巻頭言で、会長か持ち回りの幹事あたりが仕事の履歴を交えたエッセイを書くような気がする。そこで真空というと、アレか、ヒッグス粒子とかああいうむつかしいやつが出てくるのか。そうなるとわたしにはちょっと(いや、ぜんぶ)読めない。そういうのは専門家に聞くのがよい。

今はほとんど使われない言葉になったが「腹芸」というのが「空気をよむ」の反対にあるのではないかと思ったのであった。「自分はこうしたいんだがな」と思うことを主体的に発信する。そうして物事をうまく進める。腹芸においては情報の発信地が明確であるが、明確でありながらそれが明確な言語を介したコミュニケーションではない(=言語を介しない積極的なコミュニケーションである)がゆえにそれを誰も言わない。反対に「空気をよむ」という行動をする者は、その発信地が明確で無いがために、発信地は其処である、あの場で決定したことである、と饒舌になる。それは言い換えると「自分に責任はない」という言い逃れである。

言語を介さない意思疎通というと以心伝心という言葉もあるが、これは使う場面が違う。以心伝心とは、個人間において一方の伝えたい明確な事象があって、それを他方が言語を介さずある程度以上の正確さで受け取ることである。

これとちがって、空気をよむといったときに人は以下のようになる。

物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態

山本七平 空気の研究

山本はこのあと、物質をさらに一般化して論理を展開している。

空気をよむ、というのはどこまでいっても受動的であり、自らが積極的に物事を推し進める姿勢ではない。その一方で「この場で行われていることを自分は理解していますよ」という議論への参加意識だけがある。それでありながら、皆が一定の理解に達しているのだからここで結論を出すのがよろしかろう、と全体を俯瞰している立場に立っているポーズを取る。本来その立場は司会者のものである。司会者は議論に入り込んだり結論に責任を持ったりする立場ではない。

空気をよむ、という心理的行動は、議論の参加者が突然司会者の立ち位置を占有することでもあり、それは議論においてある種の責任放棄とも取れる。皆が議論の参加者と司会者の立ち位置を行ったり来たりして、結論を出す時には集団が「総司会者化」するともいえそうだ。だから振り返るにあたって発言する際に、悪い意味で"評論家"的な口ぶりになるのだろう。


我ながらなぜこんなことを前段で書いているのか、と思うのだが、ちょっと考えると「空気をよむ」場面をうまく回避するために、それを自分なりに言葉におとして理解しておくのが必要だろうと思ったからである。

わたしごときがそんなことせずとも、前掲の本にちゃんと説明がされてあるし、山本七平は40年も前に一言で「水を差す」と言ってさらに考察を進めているのだから、今更わたしがやることなんてないのだけれども。



●本題

どうでもええ前段はすっ飛ばして超絶大事な本題なんですよ、ええ。

STORY STORY YOKOHAMAの3周年記念で、文庫本に豪華ブックカバーをかけてもらえるのは、わくわくしました。

正和堂さんとのコラボとのことで、今回はじめて正和堂さんを知り、そこに面白いブックカバーがいろいろあると知ったのでしたよ。

本題おわり。