著作権のこと

 noteの創作大賞において、著作権に関する困った問題がある。他人の作品を、時系列として後になってから自分の作品であると偽って投稿する行為である。これは創作大賞という場があるからたまたま発覚した事実をわたしが実際に見たので「本当にこういうことがあるのか」と思ったのである。
 このようなことはある頻度で起こる。ある頻度で起こることが身近に起こってしまうと「本当にこういうことがあるのか」になる。それを実際に目にすると反射的に「よくないことだな」と思う。反射的に思うのはいわゆる倫理・道徳的な観点からである。
 ここで倫理・道徳的な観点といっても個人差があることを考えると、ある人は善いと思う一方で、他の人にとっては価値のない場合もある。そうなると、一個人の倫理観や道徳観から善し悪しを決めつけることにあまり意味は見いだせない。そうであればわれわれが頼るのは少し大きな決まり事、つまり法律である。個人の価値観じゃない物差しでやりとりしようぜ、ということである。

 日本には著作権法という法律がある。SNSにおいて著作権に言及されている文章をみかけることがあるが、その内容から推測すると実際の法律がどうなっているのか見たことのある人、理解している人はそんなに多くないように思われる。こちらにある。


なぜ著作権法があるのか。第一条に明記してある。

(目的)
第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

 著作権法は「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」のである。
 日本という国は、法律によって著作者の権利の保護を図ると言っている。そして、著作権法は文化の発展に寄与することを目的とする、と言っている。われわれはこのような法律が運用されている国にいる。

 手の届くところに自分の権利の保護を図る決まり事があるのだから、それに触れて著作者とは何か、著作物とは何か、その権利とは、保護するとはどういうことか知ろうとすれば、すでに何も知らない状態から一歩踏み出している。ただ「著作権」と思わせぶりに連呼するよりは中身を少しでも正しく知ったほうがよい。困った時に立ち返る決まり事がここにあると知ること、そこにアクセスする手段を知ることは、それを知らない状態とは大きな違いがある。

 知る、というのはその人の力になる。

 人がその思想や感情を創作として表現したものは、文章や絵画、音楽だけではなくさまざまな形をとる。そうやって人が表現したものを尊重する、その積み重ねが結果的に文化の発展に寄与するのではないか。
 そのようなことを知らないまま、あるいは知ろうとしないまま他人の創作物を自分のものだと言い張る場所やそれを野放しにする場所では人は創作を続けられないし、法律や決まり事の運用がまともになされないようなところにおいては、必然的にそこを構成する人間の倫理観・道徳観が問われる。



noteにおける参考情報としては下記がある。

創作を後押しする著作権の考え方
https://www.help-note.com/hc/ja/articles/4409701626393



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