こういうのが無いと生きていけない

こういうのが無いと生きていけないの、わたくし。

たとえば
NAGLFAR - Diabolical 
フルアルバムを聴き流しているのが至福の時。無駄に速くて無駄に音数が多くて無駄にトレモロでリフを刻んで無駄に叫びまくるのがいいんです。あと、無駄に音質が悪いのとか最高です。

音質が悪いのは
Ulver - Nattens madrigal
とか。強い風が窓を叩く音が続いていると思えば美しく聴こえる。そういう発想すること自体がすでにちょっとオカシイですね、そうですね。そんなことを言ったって良質なんだからしょうがない。Black Metalなんて言い始めたのはVenomだったか、それはそれとして。

やっぱりずっと聴いていたのは
Mgla - Exercises in futility
ですよね。そうですよね。奈落の底に引き摺り込まれそうな恍惚とした時間。どう聴いたって前向きな旋律がひとつも無い。そういう旋律が途切れずにずっと続くあたりがもうたまらなくいいんですよ、これが。

そして東方正教会の儀式をコンセプトにライブを行っていたのは
Батюшка - Литоургия (Batushka - Litourgiya)
このアルバム発表の後のいざこざがあって、ちょっと残念な感じになってはいるものの、完成度の高さと不穏さを感じさせる音像がやっぱりよい。この手の音楽に最初に触れたのはTRISTITIAだった。輸入盤店に入り浸り、ワケのわからないアルバムを買い漁っていた。いい時代だった。

リズムキープがしっかりしていて演奏能力の高い、それでいて汚い音楽がとても心地よいのであった。

エポックメイキングなアルバムとしてCarcassのHeartworkがあるが、このアルバムの叩き文句は「ビル・スティアーとマイケル・アモットによる流血のツインリード!」だったように覚えている。無駄にプロレスっぽい叩き文句が印象的だった。この叩き文句は伊達じゃなく「デスメタルを聴くと気持ち悪くなって体調不良になるかも」と言われて耐性のないリスナーが大半だった時代において、リズムチェンジやおどろおどろしさなど実験要素の強いデスメタルという「醜」に、流麗なギターメロディという「美」をぶち込んで、結果的に見事な対比を実現したことは賞賛に値する。

今も語られる「ジャンルの起点」とも言うべき作品が出た当時、デスメタルから派生した様々なスタイル百花繚乱であったシーンの空気をリアルタイムで体験できたのは、幸せだったとおもう。まったくマニアックな音楽シーンの話ではあるけれども。